第23話 それは知りたくなかった
1
「じゃ、ばいばーい」
「うん、おやすみ」
ゆとりと別れ、私は
私って、春樹先輩のこと、なんにも知らなかったんだなぁ。
大好きな人のことは、大好き、という気持ちだけ持っていればいいと思っていた。好きの気持ちをそのままぶつけていれば、いつかは振り向いてくれるんじゃないか、とそんな甘い考えがあった。
それが恋だと思っていたのだ。
人気のないホーム。冷たいベンチに座って待っていると、やがて電車がやってくる。窓際の席に座り、暗闇に映る自分の顔を見つめる。
「はぁ」
でも、実際に春樹先輩の過去や家庭の事情を知って、私は彼のことをなんにも知らなかったと自覚させられた。
私と同じように、今までの人生があり、思い出の積み重ねがある。私は父、母、弟、妹に囲まれて、それが当たり前の日常だと思っていた。けれど、春樹先輩はお母さんと二人きりで、苦労しながら今日まで過ごしてきていた……
春樹先輩はどこで生まれ、どういう子供時代を過ごし、どんな趣味があって、どんなことに感動して、どんなことに悲しむのか。
恋愛に直接関係ないことでも、春樹先輩に関することは、どんなことでも知りたい。そうして、全部をひっくるめて、影山春樹という人を好きになりたい。
「子供だったなぁ……」
もやもやの正体は、好きな人のことを何も知らない自分に対する自己嫌悪。でも、だからこそ、春樹先輩についてもっと知りたいという欲求が湧いてきた。そして、私のことも知ってもらいたい。
私がどれだけあなたのことが好きなのか、分かってほしい。
こんな気持ちも、子供っぽいのかもしれないけど。
2
翌日。
「お姉ちゃん、今日はパパと応援に行くね」
凛が天使のような笑顔を向ける。
「頑張るんだぞ」と父はガッツポーズをした。
「ただの練習試合なのに大げさだよ」
今日は丸一日部活の日だ。午前が練習、そして午後から西高と練習試合がある。
「じゃ、行ってきまーす」
学校に着くと、校門の前で春樹先輩とばったり会った。これから夏期補講に出るのだそうだ。
「華山さん、なんか元気ない?」
「え? そ、そんなことないですよ」
ゆとりから聞いていた春樹先輩の過去と家庭事情。そのことを踏まえると、進路に向けて全力で取り組もうとする春樹先輩の邪魔をしちゃいけないのかなって思ったりして……
「そういや、今日、練習試合だってね」
「え? 知ってるんですか?」
「女バレに彼女がいる友達がいてさ、聞いたんだ」
「はい。午後の一時からなんですけど。あの、よければ、なんですけど。時間があれば、応援しに来てください……なんて」
「分かった。僕も補講は午前で終わるから、見に行くよ」
「本当ですか?」
「うん、じゃ、また後でね」
春樹先輩は校舎の方へ歩いていく。その後姿を見ながら、私は心の内でめらめらとやる気が燃え上がっていくのを感じた。
第一体育館でも女子バスケ部が練習試合を行うらしい。
「私たちも頑張らなきゃ」
私は頬を叩いて気合いを入れ、第二体育館へ向かった。
3
補講が終わり、教室でお昼を食べる。母の手作り弁当だ。
「ごちそうさま」
それにしても、この暑さはどうにかならないものか。
今日は外気温が三十度を超えるそうで、おまけに風もほとんどない。熱気がこもらないように窓を全開にしているが、全く効果を感じず、蒸されているような心地だ。熱さのあまり、補講に集中できなかった。
教室にエアコンを導入してくれないかなぁ、と絶対に叶うことのない理想をぼやきながら外に出る。まだ正午になったばかりだ。練習試合が始まるのは一時だと言っていたっけ。ちょっと食後の散歩でもしようかな。
そうして中庭に出て、野球場の方へ足を向ける。するとその道中、テニスコートと野球場の間の林の中で、小さな女の子が困り顔で木にもたれているのを発見し、僕はぎょっとする。
長い黒髪の上にかぶさった大きな麦わら帽子、柔らかそうな白い肌に白いワンピース、夏らしい涼やかな装いの少女は、不安そうな面持ちで僕の方を見る。
なんでこんなところにいるのか、僕は周囲を見回すが、周りには誰もいない。声をかけるべきだろうか、と迷っていると、彼女の方から僕に接触してきた。
「あ、あの、すいません。たいくかんにはどうやって行けばいいんですか?」
透き通った、綺麗な声。
「あー、もしかして、迷子になっちゃった?」
僕が尋ねると、少女は恥ずかしそうに俯いて、小さく頷く。
この北高は全国二位の敷地面積を誇るため、初めて訪れた者――それも子供――が迷ってしまうのも無理はない。
「お、お父さんか、お母さんは一緒なの?」
「お父さんと一緒に来たんですけど、まだ試合が始まらないから、お散歩してたら……」
「迷っちゃったか」
「はい」
僕はほっと息をつき、
「じゃあ、連れてってあげるよ」
まだ
「ありがとうございます」
ぱぁっと明るい声が響く。
「へぇ、凛ちゃんって言うんだ」
「はい」
「お姉ちゃんのバレーの応援?」
「え? あ、はい」
不思議そうに凛は僕を見上げる。
「あの、なんで――」
と、その時、テニスコートの方からボールが飛んできた。
「危ない――」
とっさに凛を抱き寄せる。
「きゃっ」
僕の予測通り、ボールは凛がいた場所に着弾した。
「ありがとうございます」
地面に転がったボールを見て、凛は目を丸くする。
*
昼休憩。
「え? 凛がいない?」
「ああ、散歩に行くって言ったきり、戻ってこないんだ」
父はおろおろとする。
「ちょっと、なんで凛を一人にしちゃうのよ。まだ一年生なんだよ?」
「いや、体育館の近くをぶらぶらするだけだと思ってて、まさか迷うなんて思ってなくて……ああ、凛」
普段の父は優しくてしっかり者だけれど、どこか危機感が薄いというか、いざ、という時に頼りにならない危うさがある。こういうのを楽観主義というのだろうか。
「全くもう、そうやっておろおろしててもしょうがないでしょ」
父と手分けをし、凛を捜すことにした。
広いとはいえ、学校の外に出ることはないだろう。体育館周辺なら迷うことはないだろうから、きっと遠くの方へ行ってしまったのだろう。私は校舎の向こうの野球場の方へ足を向けた。
「りーんー?」
中庭にはいない。もっと奥へ向かう。
「凛ちゃーん……!」
すると、その時、私はとんでもないものを目撃してしまった。
春樹先輩が小さな女の子を抱き寄せているではないか。しかも、遠目だが、あれはたしかに凛だ。
「あ……あ……」
雷が落ちるように、ある疑念が私の脳髄を貫いた。
ま、まさか、春樹先輩……
男に興味があるわけでもない。彼女がいるわけでもない。それなのに、私の告白を断った、もっとも説得力のある理由。
「あ、あわわわわ」
とんでもないものを見てしまった。
春樹先輩のことをもっと知りたいと思ってたけど、こんなこと知りたくなかったよ。
春樹先輩、ロリコンだったんだ……
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