第29話 ちらつくんだ
1
小春の顔を見つめる。
夕焼けの赤い光が彼女の顔を彩り、寂しげな表情を際立たせた。
「なんですか?」
「言おうと思って。君と付き合えない、理由を」
僕がその言葉を口にした瞬間、小春はきゅっと胸の前で手を組み合わせた。
僕は言葉を選びながら、慎重に話を始める。
大丈夫。
遠藤にこのことを話した時も、なんとか納得してくれていた。
きっと小春も信じてくれる。
「君の好意はありがたいし、君とこうやって一緒に遊んだりするのは楽しかった。でも、はっきり言う。僕は君とは付き合えない」
「どうして、ですか?」
小春の声に悲痛なものが混じる。
「……同じ、なんだ」
「同じ? なにがですか?」
ついにこの瞬間がやってきた。
僕は絞り出すように言葉を紡ぐ。
「名前が」
2
「え?」
「僕のお母さんと、君の名前が同じなんだ」
「名前?」
「影山小春。それが僕のお母さんの名前」
「そ、それがなんだっていうんですか? 名前が被るなんてのはそう珍しいことじゃないでしょう?」
理解ができないというように、小春は目を見開き、僕に詰め寄る。
「ダメなんだよ。母親と同じ名前の女の子ってだけで、母親の顔がちらつくんだ」
「ちら……つく?」
「これから先、もし僕が君と付き合ったとして、僕は君を小春と名前で呼ぶよね。小春、小春って。そうしたら、君を名前で呼ぶたびに、母親の顔が頭の隅にちらついちゃうんだよ」
「……分かりません。納得できません」
「僕は君のことは嫌いじゃないよ。人としてはむしろ好きだ。でも、無理なんだ。愛の言葉を囁くたびに、そういう対象でみることのできないお母さんの顔が浮かぶことに、僕は耐えられない」
「そ、そんなの愛があれば――」
「乗り越えられないんだ。これは生理的なものだから」
小春の目に涙が浮かぶ。
彼女を泣かせた自分が憎い。あいまいな態度を取り続けた結果、小春を泣かせてしまった。
なんて最低な……
「……」
「……ごめん。そろそろバスが来るよ、戻ろう」
僕は踵を返し、バス停に戻る。しかし、小春はその場を動かない。
これでいいんだ。
これがお互いのためなんだ。
少しして戻ってきた小春は目を赤く腫らしていたが、もう涙は止まっていた。
「ごめんね」
「……」
「もう、僕のことは諦めて、新しい恋を探してほしい」
「……」
「君が幸せになれるように、祈っているよ」
「……」
バスがやってきた。
それから僕たちは駅に着くまで互いに一言も交わさなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます