第28話 潮時
1
プールサイドに密集する大勢の客たち。僕たちもその中に交じって、休憩時間が終わるのをじっと待つ。
小春の方を見ると、彼女はちょこんとその場にしゃがみ込み、人の居なくなった水面を見つめていた。
濡れた肌が日射しを受けて煌めいている。
「春樹先輩、あっちにウォータースライダーがありますよ」
小春はすっと立ち上がると、南の方を指差した。
「あとで行ってみようか」
「大きいですねぇ。私、ウォータースライダーって乗ったことないんですよ」
「そうなの?」
「なんだか怖そうで」
意外だな。
「やってみると楽しいよ」
「いやぁ、でも一人だとなぁ。怖くて乗れないなぁ」
小春はちらっと僕の方を見る。
「一人だとなぁ」
「……分かったよ。一緒に乗ってあげるよ」
「やったぁ」
気づくと、小春の周りを取り囲むように、男の客ばかりが集まっている気がする。皆、一様に小春のダイナマイトボディに舐めるような視線を向けている。
それもそのはず、小春は今このプールにいるどの女子よりも可愛いのだから。
が、だからといって小春にそんなエロい目を向けるなんて許せん!
「華山さん、あっち行ってみよう」
僕は小春の手を取り、男たちの群れから引き離すと、南側へ歩き出した。
「あっ、はい」
場所を移動しても人の混みようは変わらずで、人と人の間を縫うように移動する。そうしている内に休憩時間の終了を告げるアナウンスが流れた。
するとプールサイドにいた客たちが堰を切ったようにプールになだれ込み、あっという間に先ほどの喧騒が蘇った。
南側は流れるプールとウォータースライダーがほとんどを占めるエリアである。ちょうど順番待ちが少ないこともあって、僕たちはウォータースライダーに向かうことにした。
このプールのウォータースライダーは二種類あり、一つは傾斜の緩い滑り台型のもの。もう一つは大きなパイプ型の本格的なもので、こちらはボートに乗って滑る。
「高いですねぇ」
小春はウォータースライダーの上部を見上げた。高さは十メートル以上は優にあるだろう。先ほどは知ったような口をきいたが、実は僕もウォータースライダーを滑ったことがなく、今回が初めての体験なのだ。が、それは小春には内緒だ。
上へ続く階段は中腹まで列ができており、スライダー目当ての客たちがもう並んでいた。
「春樹先輩、私たちも並びましょう」
「うん」
最後尾に着き、自分たちの番を待つ。列が進むにつれて階段を上がることになるのだが、少しずつ地面が遠ざかっていくのを見るとだんだん肝が冷えて、心臓がドキドキする。
なるほど、恐怖心を煽るための演出をすでに仕掛けてきてるわけか。なかなかやるな、市民プール。
十分ほどで僕たちの番がやってきた。
最上階からプールを見下ろす。思っていたよりもかなり高い。もし事故やトラブルが起きたら――そう、例えば勢いがつきすぎて滑ってる途中に外へ放り出されたりなんかしたら………
これって本当に大丈夫なのか?
パイプ部分は完全な筒状になっている部分もあれば半分だけの部分もある。
「それじゃあ、どちらが前に乗るか決めてください」
競泳水着にキャップを被り、アロハシャツを着た係員のお姉さんが浮き輪ボートを準備する。この浮き輪は二人乗りで、前後に座るタイプのものだ。
「春樹先輩、もしかしてビビってます?」
「は、はぁ!? び、び、びビビってなんかないけど」
「足が生まれたての小鹿みたいになってますけど。じゃあ、私が前で」
小春は前の方へ座る。大きなお尻が座席に収まり、安定感がありそうだ。僕もその後ろに座った。
「怖くなったら私の体を支えにしてくださいね」
顔だけこちらに向け、小春はそう囁いた。
「さ、支えって」
目の前には白い背中がある。僕は小春の肩に手を置く。バレーで鍛えているだけあって筋肉がほどよくつき、それでいて触ってみるともちもちと柔らかい。
「それじゃあ、行きますねー」
係員が浮き輪を押し、僕たちはウォータースライダーに突入した。
「うわああああ」
「きゃああああ」
浮き輪は左右に揺れながらパイプの中を滑走する。やがてパイプが半円状になっているエリアに入り、視界に青空が広がった。
「わああああ」
「きゃ、ちょっ、春樹先輩!?」
「おわあああああ」
僕は振り落とされないように全力で小春にしがみつく。滑り落ちていくその速度を全身で直に感じる。
気づくと、目の前に水面が迫っており、次の瞬間、勢いよく水飛沫が上がった。ゴールのプールに到着したのだ。僕たちを乗せた浮き輪ボートは、勢いをなくして静かな水の上をプカプカと漂う。
「はぁ、怖かった」
ものの十秒ほどだったのに、心臓のバクバクが治まらない。
しかし、恐怖と同時に高揚感を感じてもいる。人生初のウォータースライダーはとてもスリリングな体験だった。
「はぁ、はぁ」
小春の方も息が荒い。自分を支えにしろなんて偉そうなことを言ってたくせに、けっこう怖かったんだな。
「春樹先輩って、意外とダイタンなんですね……」
こちらを振り向いた小春の顔は朱に染まっており、細めた目が僕をジトッと見据える。
「へ?」
「あんなに激しく抱き着くなんて」
「え? へ、変なとことか触ってない……よね?」
「さぁ」
言いながら小春はその豊かな胸を腕で隠す。そういえば、手のひらにやけに柔らかいものが収まっていたような気がする。
「ちょっ、華山さん?」
「うふふ」
プールサイドに上がり、小春は勝ち誇ったような顔を見せた。
「僕、どこを触ってたの?」
「さぁねぇ」
2
その後、お昼も近くなったので、食堂で昼食を摂った。ラーメンもフランクフルトも、明らかにインスタントでチープなのにこういう場所で食べるとなぜか美味しく感じる。
「春樹先輩」
「ん?」
「周り、見てみてください」
「周り?」
周囲の席を見回す。言われてから気づいたが、座っているのはほとんどが二人連れの若い男女――カップル客だ。
「私たちもカップルに見えますかね」
嬉しそうに小春は言う。その姿を見て、僕は胸が痛んだ。
僕にその気はないけれど、小春にとって今日はプールデートという認識なのだろう。新しい水着を買って、わざわざ隣町のプールに足を運んで……
それもこれも、全部僕のため。
僕に振り向いてほしいがために、彼女は自分の時間を犠牲にしてしまっている。
「そろそろ行こうか」
「はい」
それから流れるプールに入り、二人で何周も流れに乗って楽しんだ。その間、小春は笑顔を絶やすことはなかった。
*
夕方になり、僕たちは帰り支度を始めた。
バス停でバスを待つ。次のバスが来るまでまだかなりの時間があった。
「これならもうちょっと泳げましたね」
「……華山さん」
「はい?」
「時間もあるし、ちょっとその辺を歩かない?」
「え? いいですよ」
小春と並んで歩く。
ここらが潮時だろう。
これ以上、小春を僕が縛り付けてはいけない。
僕は足を止める。
「春樹先輩?」
小春は数歩進んだところで振り返った。
これから僕はとても残酷なことをする。いや、今までしてきた。
付き合う気もないくせに、小春が傍にいることを良しとしてきた。彼女の想いを受け流しながら、自分の欲望を優先して、調子に乗ってしまった。
でもこれが最後だ。
「聞いてほしいことが、あるんだ」
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