第5話 タイミングを逃す

 足の骨折で入院中の、松波克己まつなみかつきは、ベッドの上からぼーっと外を眺めていた。

 サッカー部のレギュラーとして、みんなとプレーできる最後の夏。三年生最後の県大会に向けて、万全の準備をしてきたはずだった。

 それなのに……なぜ俺は、ベッドの上にいるんだろう。


 練習試合に向かう途中、飛び出してきたバイクと接触してしまった。

 大事故にならずに済んだが、足を複雑骨折してこのザマだ。


 悔しくて、悲しくて、やりきれなくて。

 泣きたくても涙すら出てこない。

 吊り上げられた足を見つめて、何も考えられなくなった頭を左右に振った。


 これじゃ、大会に間に合わないな。

 でも、もっと辛いのは……


 その時、病室の廊下に微かな気配が感じられた。

 誰か来たのかな?

 視線を向けたが姿は見えない。


 四人部屋の他の住人は、検査や退院で今は誰もいない。

 急に広く感じた病室。誰でもいいから入ってきてくれたら気が紛れるのにと思う。


 気のせいか……

 再び窓の外へと視線を戻した。



 扉の直ぐ近くで壁と同化していたのは、先ほど『フルール・デュ・クール』でお見舞いの花束を買った中村雪菜なかむらゆきな。背に隠すように花束を握り締めている。


 元気づけたいと思ってきたけれど、なんとなく声がかけづらい。

 克己の気持ちが痛いほどわかるから。


 雪菜と克己は互いの家が近かった。

 わざわざ待ち合わせるような仲では無いが、学校の行き帰りにバッタリ会えば、楽しく話しながら帰れる気楽な幼馴染。

 サッカー大好きな克己のサッカー話は、会えば必ず語られるお決まりのネタ。雪菜はサッカーのルールもよくわからないけれど、喜々として話す克己の横顔は、いつの間にかドキドキする存在になっていた。


 だから、サッカーができない克己の胸の痛みが、自分のことのように感じられる。 

 高校最後の夏。こんなことがなければ、サッカー三昧の日々だったのに。


 最後の夏はベンチで過ごすことになりそうだと気づくと、泣きそうな気持ちになった。こんな泣きそうな顔のままは行かれないと、一旦離れて気持ちを落ち着けることにした。



 三十分ほどたってから改めて病室を訪ねてみれば、サッカー部のマネージャーを務める山岡南やまおかみなみと言う女生徒が訪ねて来ていた。

 先ほどとは打って変わって嬉しそうな笑顔の克己を見て、雪菜は衝撃を受ける。


 自分が慰めてあげたかったのに……南さんの方が早かった。

 なんで躊躇してしまったんだろう。

 後悔の念が沸き上がる。


 いや、違う。南さんがこの時間にわざわざ訪ねてきたのは、マネージャーとしてでは無い。だって、まだサッカー部やってる時間だし。

 きっと、個人的に尋ねてきたんだわ。

 そして、克己も嬉しそうだ。


 二人は、付き合っているのかな?


 さっきまでの気持ちとは別の、タイミングを逃してしまった後悔とやるせなさ、嫉妬と悔しさと言う負の感情まで芽生えてきて、雪菜はまた逃れるようにその場を離れた。


 この花、どうしよう……



 結局、そのまま家に帰ってきてしまった。

 母親が出かけていてラッキーと胸を撫でおろす。『この花どうしたの』って聞かれたら答えづらいもの。


 空いたペットボトルに水を入れて素早く花を活ける。


 こっそり自室へ飾ろう。

 

 周りの包装を捨てようとして、張り付けられているカードに気づいた。


 花言葉が書いてある!


 一緒に持って上がり、目の前の花と見比べながら読んでみた。


 花言葉

 ピンクのチューリップ……誠実な愛、愛の芽生え

 白のガーベラ……希望

 ヒペリカム……悲しみは続かない、きらめき

 カスミソウ……感謝、清らかな心


 花屋の二人が作ってくれたのは、雪菜の希望通り。

 贈られた相手を励ます言葉に溢れた花束だったのだと気づいた。


『希望』とか『悲しみは続かない』とか、克己を励ます言葉がいっぱい込められていたんだね。

 でも、ナニコレ! あ、愛の芽生えですって!


 チューリップの花言葉を見て、心臓がバクバクと鳴り出した。

 

 こんな花言葉の花も入っていたんだ。

 これじゃあまるで、告白みたいじゃないのよ。

 そんなんじゃ無いのに。ただのお見舞いなのに。残念だったねって、でも、がんばってねって、言いたかっただけなのに。


 違うわね。頑張ってなんて言えないよね。

 もう、失ったチャンスは戻ってこないんだもの。がんばったって戻って来ないんだから。


 それは、私も同じか。


 目の前に、南と笑っている克己の笑顔が浮かんだ。幸せそうだったな。


 やっぱり、告白したかったな……


 もっと早くに、この気持ちに気づけば良かった―――


 雪菜の目に涙が溢れた。


 あの花屋さんの二人は、気付いていたのかな?


 

 





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