Episode 7 紫陽花に赦しを乞う
第27話 出張花屋
「
店の軽バンのハンドルを握る優は、助手席の舞美に問いかけた。
「ええ、そうよ。諒君が商社にいた時からの知り合い。今はフリーで活動されていて、花の撮影ならこの方って言うくらい、有名な方なのよ」
「そんな有名人と知り合いなんて、兄貴も凄いな」
「うふふ。別に凄く無いわよ。諒君、生花の輸入を担当していたでしょ。で、アフリカのバラを売り込むための撮影を依頼した時に来てくれたのが、玲奈さんだったのよ。一緒に現地まで同行してくれて親しくなったみたい。弟みたいに可愛がってもらったって言っていたわ」
弟みたいに可愛がられた!?
諒の以外な姿に新鮮な気持ちになる。
俺から見た姿は、いつも優しくて頼りがいのある兄の姿だけだったからな。
想像がつかねえよ。
「だから、うちのような小さな花屋へ、わざわざこんな注文をしてくれたんだね」
「そうよ。有り難いことよね」
甘い花の香りに包まれている車内。
後ろの荷台には、注文を受けたたくさんの花々が積まれていて、現地で打ち合わせ通りのアレンジメントを制作する予定だ。一日出張花屋のような感じ。
リアルの店舗のほうは定休日なので雅には休んでもらい、こうして二人で向かっているのだった。
配達先は都内の某マンションの一室。神尾玲奈の自宅兼撮影スタジオ。
「次回の個展のテーマは
「茶花は季節感を大切にしているから、今の時期では無い花もあるからな」
「そう。だから、季節ごとの撮影。四回に分けて撮影されるのよ」
「責任重大だな」
「ええ、そうね」
後三回、こんな風に二人で過ごす時間が持てる。そんな考えが頭を過ぎり、優の心臓がトクンと跳ねた。無意識に緩む口元を感じて戸惑ったように眉を寄せる。
俺は何を考えているんだ!
まるで
そんな優の横で、少しずつ表情が固くなっていく舞美。静かに深呼吸をし始めた。
「大丈夫? 具合が悪い?」
「ううん。違うの。ごめんね。ちょっと緊張しちゃって」
「悪い。俺が『責任重大』なんて言ったから、プレッシャーを思い出させちまった」
「優君のせいじゃないわ。茶花を生けるのは慣れてないからなの」
「『花は野にあるように』だったな。利休のおっさんが言っていたのは」
「利休のおっさんだなんて」
ぷっと吹き出した舞美の顔に少しばかり赤みが戻る。
「まるで知ってるおじさんみたい」
「有名人だから知ってるおじさんだろ」
どや顔で返す優。その瞳は安心させるように柔らかな光を帯びている。
出た! 優君の屁理屈。
舞美の心にふわりと温かな火が灯る。
出会ったばかりの頃は、義弟のちょっと斜に構えた様子が可愛くて仕方がなかった。
でも、今は知っている。優がそういう態度を取るときは、決まって相手の気持ちを和ませようと心を配っている時だという事を。
誠実だけど口下手な優は、無責任な励まし方はしない。代わりに相手の肩の力が抜けるように、慣れない道化を演じがちだった。
「いつもは花に思いを伝えてくれるように願いながら花束を作っているけれど、今日は花の気持ちに耳を澄ませないといけないってことか」
「優君……」
「たまにはそういう日も無いとな。花達から見れば、当然の権利だもんな」
「花達の権利……そうよね。そうだわ。日頃の感謝を込めて、今日は花の声を聴けばいいのね」
心が決まった舞美の声に、内心ほっと胸を撫で下ろした優だったが、続く言葉にまた、大きく揺さぶられることとなる。
「ありがとう。優君、いつもありがとうね」
いつも……俺でも、少しは役にたてているのかな?
少しでも、舞美の心に己の痕跡を残せているのだろうか。
そんな欲張りな願望が顔をもたげた。
「別に、俺達はチームみたいなもんだから。当たり前のことを言っただけで」
「それでも、ありがとう」
ついつい素っ気ない言い方になる優に、迷いの吹っ切れた笑顔を向ける舞美。
くそっ。なんか、心が痛えな。
複雑な想いを抱えたまま、車はマンションの駐車場へと滑り込んだ。
出迎えてくれたのは、玲奈本人。
オーバーTシャツにスキニージーンズとラフな格好をしているが、溢れ出るオーラと華やかさを纏った人物だった。
「お疲れ様でした。早速で悪いけど、花を部屋まで運んじゃいましょう」
アシスタント二人と共に、花を傷つけないように慎重に運び上げた。
「舞美ちゃん、色々無理言ってごめんね。助かったわ」
「いえ、当店にお声をかけてくださってありがとうございました。至らない点がありましたら、遠慮なく仰ってください」
「またぁ、舞美ちゃんは真面目だなぁ」
微笑ましげに見つめていた視線を、チラリと横の優へ向けた。
「堂本くんの弟君だったよね。ごめん。名前が出てこない」
「堂本優です。兄がお世話になっていたそうで、ありがとうございました」
「あらま、弟君も真面目。世話なんか全然してないわよ。十歳年下の彼の話をつまみにして飲んだくれてただけ」
そう言って、豪快に笑い飛ばした。
いたずらっぽい口調とは裏腹に、深く澄んだ瞳が優の深淵を覗き込んできたように感じて、ぎくりと優の胸が軋む。
ほんの一瞬の沈黙。が、直ぐに明るい掛け声が響いた。
「二人共、疲れているところ申し訳ないんだけど、時間が無いから始めさせてもらうわね。あちらへ食料を用意してあるから、各自合間に適当に取ってくださいね。じゃあ、よろしくお願いします!」
早速、撮影スタジオとなっている部屋へと案内された。
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