第39話 雅の過去
数日後、雫はまた手作りお菓子を手に『フルール・デュ・クール』を訪れた。
「こんにちは」
「あ、雫さんいらっしゃい」
「雫ちゃん、いらっしゃい」
優と舞美に笑顔で迎えられて、やっぱりここは温かいと嬉しくなる。何の憂いも無く自分が居ても良いと信じられる場所というのは、雫にとって命綱のようなものだった。
優が申し訳無さそうに言う。
「雅、ちょうど帰ったところだよ。入れ違いになっちゃったね」
「午前中であがるなんて、もしかして具合が悪い、とかですか?」
「いや、そんなんじゃないから心配しなくて大丈夫だよ」
「そうですか……」
まだ迷いがあって、言葉がしりすぼみになる。
実は、雅が居ないのを確認してから店に入って来たのだ。わざと。
「雫ちゃん、なんか元気が無いわね。どうかしたの?」
予想通りの反応だったが、舞美が心配そうに尋ねてくれた。
「そ、そんな事無いです。ただ……その」
静かに次の言葉を待ってくれる舞美と優に申し訳なくなって、雫は腹を括った。
「雅さんの早帰りって、デートとかじゃあ無いですよね。あはは、忘れてください」
最後は自ら誤魔化しにかからなければ耐えられなかった。
二人が目を丸くした後、優しい眼差しになる。
「雫ちゃん、やっぱり」
「雅のこと好きなんだね」
「は、い」
AIロボットのように、微妙に筋肉を引き攣らせながらカクカクと答えた。
ああ、どうしよう。恥ずかしい!
自分の中でも言葉にできなかった想いが溢れ出てしまった。改めて自覚したら頭が沸騰したように、何も考えられなくなってしまった。
様子に気づいた舞美が、慌てて背をさすってくれる。
「大丈夫? 雫ちゃん!」
「あ、え、あ、はい」
「ごめんなさいね。ついつい、雫ちゃんが可愛すぎて声に出しちゃったの」
申し訳なさそうに謝る舞美に、ぶんぶんと両手を振る。
「ごめん。俺たちから雅に話すようなことは無いから安心して。後、今、雅に彼女なんかいないよ。フリーだから、そこも安心して」
「あ、ありがとうございます!」
ぺこりとお辞儀した雫の声には、ふつふつと染み出す喜びが隠しきれていなかった。
「ありがとう」
思いがけない言葉に、雫が優を見つめる。
「俺にとって雅は、大切な友だから。幸せになって欲しいんだ」
「雅さんにとっても優さんは大切な友達だと思います。見ていてそう思います」
勢い込んで言う雫に、優がふわっと笑顔を見せた。
「うん。そうだね」
そう言ってしばらく逡巡していたようだったが、思い切ったように話始めた。
「実は雅、今日は妹の千歳ちゃんの墓参りに行っているんだ」
「え!」
言葉なく顔を上げた雫の目を見ながら、
「俺の口から話すのもお節介かもしれないんだけれど。でも、まあ、別に隠しておくようなことじゃ無いと思うから」と言って、舞美と頷きあった。
雅が大学二年の時、妹の千歳が中学三年生の若い命を終えたこと、妹思いの雅は毎月、月命日に墓参りに行っていることを話した。
「もしかして……約束していたのは、妹さんだったのかしら」
思いがけず知ることとなった雅の悲し過ぎる過去。勝手に元カノかもしれないと想像して嫉妬していた自分の浅はかさが嫌になった。
「ん?」
「レモンのお菓子。約束していたのに食べ損なったって……先日雅さんが言っていたんです。私てっきり、前にお付き合いしていた彼女の話かなって思っていたんですけれど、もしかしたら妹さんとの約束だったのかもしれないと思いまして」
「そうなんだ。その話は雅から聞いたことないからわからないけれど……でも、雫ちゃんになら、そのうち話すかもしれないね」
「そうでしょうか……思わず、頑張って作りますって言ってしまったんですけれど、雅さんの様子がなんとなく悲しそうだったので、本当にレモンのお菓子を持って来ても良いのか分からなくて、それで今日優さんにお知恵を拝借できたらと思っていたんです」
「ああ、そう言う事だったんだね」
合点がいったように頷くと、真剣に考え始めた。
「やっぱり、止めておいたほうがいいかもしれませんね。きっと妹さんの事を思い出して、余計に悲しくなっちゃいますよね」
しんみりとそう言う雫に、はっきり言い切る優。
「大丈夫だと思う。そのこと、雅の方から話したんだろう? だったら、寧ろ供養になるかもしれないから」
「そうだったら良いのですが」
「私も大丈夫だと思うわ。きっと雅君、喜ぶと思う」
二人からそう言ってもらえて、雫の気持ちも落ち着いてきたのだった。
いつもと同じように、花束を抱えて千歳の墓にやってきた雅。綺麗な墓石を更に丁寧に拭き上げながらおしゃべりを始める。と言っても、声には出さないように気をつけているのだが。
『千歳、店にレモンが入荷したんだ。まだちっちゃくて緑色だけどな、熟したらお菓子を作ってくれるって。え!? 誰がって? 店の準メンバーみたいな
そこでハタと言葉を止める。
雫ちゃんに、千歳のこと、まだ話したことなかったな……
どこまで話せるだろうか?
ふと、不安になる。あの出来事については、優にも話せていない。それくらい辛くて暗くて歪な感情が渦巻く日々で、未だに心の奥底に燻り続けている。冷静になんか話せそうも無いし、打ち明けられても相手を困惑させるだけだろう。
でも、話さなければ俺という人間は伝わらないだろう。
もう、俺の一部になってしまって、切り離すのも難しいからな。
もうずっと、誰かを好きになる自分が想像できなかった。恨みつらみで塗り固まった感情が動くのは負の感情だけ。千歳と同じ年頃の女性を見る度思った。
彼女は幸せそうに笑っているのに、なんで千歳はもう笑えないんだ!
悔しくて羨ましくて悲しくて。
そんな雅の前に現れた雫は笑っていなかった―――
だから、彼女に笑って欲しかったんだ。
千歳と重ねている自覚はあった。誰かの代わりになんて、相手にとってはた迷惑で失礼な話だと、頭では分かっている。
それでも、放ってなんかおけなかった。
雅のお節介を、雫は物凄く純粋に受け止めてくれた。笑顔が戻り、お菓子を差し入れてくれるようになって……千歳が戻ってきたような錯覚に陥った。千歳との共通点を見つける度、嬉しくなる。
もっと、もっと一緒に過ごしたい!
何を考えているんだ!? 俺は。
雫ちゃんは雫ちゃんなんだよ。
千歳の身代わりにしちゃダメだ!
心の奥底で密かにそんな葛藤をしながら、一緒にレモンを眺めていた。
だから、今度レモンのお菓子を作って来ると言ってくれた時、バリンと大きな音をたてて心が割れたのを感じた。
作ってもらいたい!
でも、千歳じゃなきゃ嫌だ!
そこは千歳の席なんだよ!
勝手に重ねて穴埋めに使っていたのは自分なのに、妹との最後の絆に触れられた瞬間、拒絶感が湧き上がった。
その一方で、千歳と重なる雫になら、作ってもらいたい。最後のピースが嵌ったら、千歳を自由にしてあげられるような気がする。
すがるような願いも捨てられなかった。
ふぅーっと大きく息を吐いて墓石を見上げる。
『なあ、千歳。お前がレモンを使って作りたかったお菓子って、何だったんだよ?』
答えは返ってこない―――
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