Episode 9 レモンの未来

第38話 レモンを使ったお菓子

 花屋ならではの涼を提案しようと、今年の夏は店の前に緑のカーテンを作った。パッションフルーツの時計様の花が咲き、小さな緑の実もなり始めて、道行く人々の目にも楽しく、概ね好評のよう。


 そんな『フルール・デュ・クール』の店頭に、レモンの木の鉢が入荷されていた。こちらもまだ青い小さな実がなっているだけだったが、実物みものと言うのは、なんとなく気分を明るくしてくれるものだ。

 今度レモンのケーキを作ろうかな等と考えながら眺めていた雫に気づいて、雅が近づいて来た。


「いらっしゃい。雫ちゃん」

「こんにちは。雅さん。これ、レモンですよね」

「そうだよ。色づくのはまだまだ先だけれどね」

「でも、なんだか香りがもうしている」

「そうだね」


 今度は二人でしゃがみ込んで眺めている様子を、優は店内から微笑ましい気持ちで眺めていた。


 お似合いの二人だよな。


 だが、ふと気がかりにもなる。


 雅はきっと、雫ちゃんに千歳ちゃんを重ねているんだろうな。


 妹の千歳を交通事故で亡くした時の雅の落ち込みようは、見ているこちらも辛くなるほどだった。彼がその気持ちを、ちゃんと乗り越えられているのかは、今でもわからない。

 

 いや、乗り越えるのなんて無理だよな。心から消えることは無いのだから―――


 そんな優の心配が的中。雅の表情が切なげになった。


「そうだ! 今度レモンを使ったお菓子を作ってきますね」

「……いいね。そうしてくれると嬉しいな」


 雅の笑顔が微かに歪む。振り向いた雫も、敏感にその変化に気付いた。


「あれ? 雅さん、レモンの酸味が苦手だったりしますか?」

「……いや、そうじゃ無くて……ちょっと思い出したことがあってね」

「あの、何か気に障るようなこと……」

「違う違う。楽しみだなって。俺レモンの香り好きなんだけど、レモンを使ったお菓子、食べ損なってしまったから、残念だったなって思ってさ」


 無理に明るい笑顔を作ったような雅に違和感を感じつつも、それ以上深追いすることはできないと雫は思った。


「じゃあ、がんばって作りますね」

「ああ。楽しみに待っているよ」


 会話の流れで頑張ると言ったものの、本当にレモンのお菓子を作ってもよいのか迷う。


 なんか、いつもの雅さんと違う。

 とても悲しそう……


『レモンを使ったお菓子を食べ損なった』と言っていたわね。誰かに作ってもらうはずだったのに食べられなかったということよね。


 それは、一体誰だろう?


 ざわざわと心が波打った。

 雅を心配する気持ちと同時に、見えない誰かに対して膨れ上がる嫉妬心。

 醜い感情に気づいて慌てて打ち消した。


 雅さんの彼女でも無いのに、私ったら最低だわ!

 

 会社を辞めて、外に出られなくなっていた雫に手を差し伸べてくれた雅には、感謝してもしたり無いくらい恩義を感じている。

 こうやって、時々手作りのお菓子を持って来るようになって、雅の人となりが見えてくると、ますますその魅力に好感を持つようになった。


 けれど、それが恋と言える気持ちなのか。

 雫はまだ、自分でも結論づける事ができていない。仮に恋だとして、その先どうしたいのか?


 告白する?

 それともこのまま秘めたまま?


 どちらにしても、雅の事をもっと知りたいという気持ちは抑えられなくなっていた。


 一瞬訪れた沈黙を破るように、雅が話題を変えた。


「雫ちゃん、今日のおやつは何かな?」

「あ、えっと、今日は暑いのでシャーベットにしました」


 目の前に小さなクーラーボックスを掲げて見せる。雅の目が期待に煌めいた。


「おお、楽しみだ。早速食べたいな」



 店内に入ってきた二人を優がからかった。


「今度は俺が外に出ようかな?」

「何言ってんだ、お前」

「え? お邪魔でしたか?」

「いや、急に店内が暑くなったと思ってさ」

「優の温度センサーが遂に狂い始めたぞ」


 朗らかな笑顔を見せた優。以前に比べると、だいぶ感情をストレートに出すようになってきた。いつも通りの憎まれ口を返しながらも、見つめる雅の瞳が嬉しそうだ。


 そんな二人の醸し出す強い信頼感に触れられるこの一時は、雫にとってもかけがえの無い時間になっていた。


「丁度いい。優が外行くなら、優の分のシャーベットも俺が食べようかな」

「お、今日はシャーベットか。暑いから助かるよ、雫さんいつもありがとう」

「そう言っていただけて良かったです」

「何だよ、食べる気満々じゃないか」

「当たり前だろ。雫さんのお菓子は外せない」

「その顔で甘党って、本当にむかつくな」

「お前もな」


 なんだかんだ言いながら、仲良く二人でクーラーボックスの中身を覗き込んできた。


「スイカのシャーベットです」

「正に夏って感じでいいな」

「食感が爽やかで最高だよ」


 シャクッと音を立てて掬うと、パクリと口へ放り込んだ。しゅわぁっと広がる冷たさ、スイカの仄かな甘みに、二人とも無言で笑顔になる。


 私、これを見たくてしかたないんだわ!


 拙い手作りお菓子を食べてもらうなんてご迷惑かもしれない……

 普段の雫だったら、そんな遠慮で直ぐに止めてしまっただろう。

 でも、彼らにだけはそんな風に卑下することは無いし、喜んでもらいたい一心で作り続けていられるのだ。


 今、この居場所があるのも雅さんのお陰なのよね。


 ありがとう! と心のなかで手を合わせた。








 



 

 

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