Episode3 ナナカマドに込めた覚悟

第9話 母の日は複雑な思い

 先ほどから『フルール・デュ・クール』の店先を一人の女性がウロウロと行ったり来たりしている。二十代後半くらいでスーツに身を包んでいるから、仕事の合間に訪れたのかもしれない。

 こちらから声をかけたほうが良いのかどうか、雅は迷っていた。優は配達に出かけていて店番は一人。

 

 間もなく意を決したように入ってきた女性は、どこか落ち着かない様子のままに言葉を発した。

「すみません。母の日の花束を送りたいのですが」


「いらっしゃいませ」

 密かに女性を観察していた雅は、慌てて営業スマイルに切り替えて注文票を差し出した。

「母の日のご予約ですね。こちらにご記入をいただけますか」

 女性は時計に目を走らせながら、差し出されたボールペンを受け取った。

 素早く宛先を記入した後、依頼人の欄への記入を一瞬躊躇する。

 先ほど外で浮かべていたのと同じ表情を浮かべてから、迷いを断ち切るように自分の名前と携帯の番号を書き終えた。


 坂崎知里さかざきちさと。それがこの女性の名前だった。配達先は少し距離があったため、宅配タイプにしてもらおうと口を開きかけたところで、女性がすがるように言ってきた。


「あの……何を言われても、絶対にあの人に……母に私の連絡先は教えないでいただきたいんです」

「……はあ」


 何やら深刻な事情が察せられて、何も言えなくなってしまった。

 とは言っても、匿名での注文は基本的に受け付けていない。いくら好意の花束であっても、名前もわからない人からのプレゼントでは、贈られた相手側を落ち着かない気持ちにさせてしまうから。

 でも、一旦引き受けた依頼を無下に断る気にもなれない。

 

 優にまた笑われそうだな。『相変わらずのお節介野郎だな』って。


 雅は心の中でため息をついた。

 

 どうしたものかと思いあぐねていると、知里がポツリと呟いた。


「母の日って、本当に迷惑。こんなの無きゃいいのに」


 真意を測りかねて直ぐに言葉が続かなかった。

 ハッとして慌てたように笑顔を貼り付けた女性。


「ごめんなさい。お願いします」


 とりあえずマニュアル通りに説明していくことにした。


「どんな花束にしたいですか。色味とか、相手の方の好みとかあれば教えていただけたら、それに合わせた花束を作成しますが」


「何でもいいです。この時期になると母の日、母の日ってあちこちで宣伝されていて……何か贈らないといけないような強迫観念に駆られてしまうんですよね。どうしようかって迷っていたんですけど、花なら住所とか必要ないでしょ。お任せします。母の日らしい感じで」

「あの、申し訳ないのですが、当店でもまるっきりの匿名配達は受け付けていないので、お名前だけはお伝えしてもよろしいでしょうか?」

 その言葉に、ピクリとした女性。


「改めて言われると、やっぱりしんどいな」

「……注文、おやめになりますか? それとも……メッセージカードを添えるっていうのはどうでしょうか。誰からというのが先方様にわかればいいだけですので」


 しばし沈黙の女性。注文を取り消すかと思いきや、絞り出すように言った。


「それじゃ『体に気をつけてください』とだけ。後、と」

「ちいより?」

「あ、私の小さい頃の呼び名です。あの頃は、母のこと大好きだったんですけれどね。今は……」


 何やら複雑な感情のすれ違いがありそうだと、雅は心を引き締める。


「『ちい』と書いてあれば、母には誰からと言うのは伝わりますので、それでお願いできないでしょうか」

「わかりました。承ります」


 この店のモットーは『贈る人の心を映し出した花束を作ること』。

 本来であればここから色々会話をしてリサーチしていくのだが、知里はもう会計の準備をしている。


 仕方がないので、花束のカタログを見せてどんな感じにしたいかと尋ねると、ロクに見もしないで適当に指差してきた。


「それでは、ピンクのカーネーションを主体とした花束にしますね」

「ええ、それでお願いします」


 一刻も早く立ち去りたそうな知里の勢いに押されて、雅はそれ以上何も言えないままレジを打った。


「出来上がりのお写真をメールでお送りしますか?」

 最後の足掻きを試みる。


「結構です」

「そう……ですか」


 彼女の背を見送りながら、また一人ため息をついた。


 気が進まないな。

 彼女の心が一欠片ひとかけらも込められていない花束を作ることになってしまった……

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