第48話 背水の陣
柏木花園の商品は九割を生花市場へ、残りの一割だけ直接取引をしている。元々は家族経営の小さな花園だ。礼司の工夫により業績は上向きになっているが、扱っている商品は
だから決して奢ることなく。信頼ある人からの紹介がある時だけ、直接契約を受け付けることにしていた。
そんな花園の事務所へ押しかけて、直接仕入れさせてもらえないかと舞美が懇願してきた時、礼司は会いもせずに断った。
事前に電話でアポを入れてから訪ねて来いよ。ビジネスの常識だろ。
どこの馬の骨とも分からぬ取引先とは、関わりになりたくない。そんな危険や手間を犯している余裕はこちらもないんだよ。
厳しいようだが、それが本音だった。
それでも、舞美は諦めなかった。何度も何度も押しかけてきて、何度も何度も断って。
そんなある日、礼司は出掛けに偶然、舞美と鉢合わせてしまった。直観的に気づく。
あのストーカー営業さんか。
華奢な身体にダークスーツ。ふんわりウェーブの髪を後ろで一つに束ねた姿は、まるで空回りした気合に振り回されている新入社員のように見えた。
こんな子が一人で直接交渉に来ていたのか。
やれやれ。どうやら人使いの荒い生花店のようだな。
気づかぬふりをして通り過ぎようとすると、スッと舞美が前に出た。
「あの」
「······」
「柏木花園の方ですよね。お忙しいところ申し訳ないのですが、責任者の方とお話させていただけないでしょうか」
「······お会いする約束などは?」
「······していません。ご迷惑をおかけしていることは分かっています。でも、どうしても、こちらの花を仕入れさせていただきたくて」
見下ろせば柔らかく穏やかな顔立ち。押しの強さは微塵も感じ取れない。
それなのに、眼差しから鬼気迫る悲壮な覚悟が伝わってきて、思いがけずたじろいだ。
なんて······迫力なんだ!?
こんな華奢な女性のどこからこの情熱が湧いてくるんだろうか?
何が彼女をここまで狩りたたてているんだろう?
少しだけ興味が湧いてきた。
「大変嬉しいお言葉ですが、商品は生花市場へ卸していますので、そちらでご購入いただけ無いでしょうか」
「······はい、それは分かっています。でも、鮮度も落ちるし値段も上がるし。それじゃ、この花たちの魅力が半減してしまいます」
ほおぅ……一応営業トークは心得ているんだな。次はなんと言ってくるんだ?
お手並み拝見といくか。
試すような気持ちで先を待つ。
「うちの店はまだオープンしたてで、これからやっていけるかもわからないし、不安に思われるのは当然です。でも、私諦めたくないんです! お店の未来も、お客様の気持ちを届けられるお店にするって言う夢も。そのためには、どうしても柏木花園さんのお花が必要なんです」
あ、見た目と同じ、夢見る夢子さんだったのか。
時間の無駄だったな。
舞美の言葉に、礼司は即座に『否』と決断した。
生花は『
『夢』だけで商売は続けられない。
「申し訳無いのですが……以前にもお話した通り、個別契約は紹介のある方のみなので」
「お願いします! どうかチャンスをください。私では信用に足らないと思いますが、うちのスタッフはみんな花と真剣に向き合っています。だから柏木花園さんのお花も大切にします」
その言葉に、はたと気づいた。そういえば、彼女の事を何も知らなかったと。
確か……名刺には花屋の名前が書いてあった。チェーン店とかでは無くて個人の花屋のようだ。しかも、オープンしてまだ一年しか経っていない新規参入店。
場所は公民館や図書館の近くだったな。駅にも近いから、まあ、立地は悪くないだろう。
名前は、うーん、堂本なんとか?
そう言えば······社長って書いてあったな。
え!? この若い女性が社長か。若くして起業した女性ってことか。
なるほど。
だから熱意はあるが実力が伴っていないんだな。花を大切にする気持ちを失っていないところは評価ポイントとしては高いけれど……
こちらとしては取引額も大きくないし、手間ひまかけてリスクを負う義理はない。今回はお引き取り願おう。
そんな礼司の心の内を知ってか知らずか。
舞美がぐっと礼司に迫る。
「お願いします! マップで近くの花園を調べていてこちらの事を知りました。実際に来てみたら本当に素晴らしくて。朝、出荷準備中のお花が宝石みたいに生き生きしていて驚いたんです」
マップで調べた! 朝の出荷の様子を見に来ていた!
すげぇバイタリティだな。見かけとは違うのか?
真剣な大きな黒い瞳に見上げられて、礼司は再びたじろいだ。
この花たちの魅力が半減してしまいます―――
単なる営業トークと思っていた言葉は、実際に彼女が見て感じて導き出した純粋な評価だったのだと気づいた。
己の『
商売道具である『花』へ、ここまでのエネルギーを傾けられるなんて!
こんな人と仕事したい……
礼司の中に燻るチャレンジ精神がムクムクと顔をもたげる。
いつの間にか、俺も小さくまとまってしまっていたようだな……
頭ごなしに彼女を否定した自分の驕りを苦々しく思った。
本当に築けるのだろうか?
『花』を中心とした理想的な商売関係を。
作る人も、売る人も、買う人も。
みんなが『花』を大切に思いながら関われるような。単なる消耗品では無く、単なる損得勘定でも無く繋がっていかれるような。
そんな商売が成り立つのだろうか?
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