第19話 思慕

 心を込めて作られた花束を抱えて、省吾はようやく笑顔を取り戻す。


「ありがとうございます。この花束を見たら絶対許してくれるはず。百人力を得たようです」

 と言い残して帰って行った。



「やっぱり舞美さん、凄いや」

 雅の賞賛に「年の功って言いたいんでしょ」と笑った舞美。


「さあ、さっさと片づけるわよ。その後ちょっとだけ時間頂戴。今日もらえたとっておきの契約の話をしたいから」



 店の営業を積極的に進める舞美のバイタリティには、優も雅も舌を巻く思いだった。それだけ、この店を愛し、必死なのだと伝わってくる。


 その裏にあるのは、亡き夫、諒への思慕―――



 新しい契約とは、大通りに新しくできた葬儀場で『フラワリングセレモニー』の依頼が入った時に、遺族と相談して故人を贈る花をオリジナルに用意すると言う契約だった。センスを問われる難しい仕事だが、だからこそやりがいがあると舞美は考えていた。そして、何よりも『フルール・デュ・クール』のコンセプトそのものでもあった。


「既に大手の花屋さんが決まっていると思っていたよ。よくそんな契約ができたね」


 驚く優に、舞美も大きく頷く。


「私も、びっくりだった」

「……いつだったか、俺と雅に色々アイデアを聞いてきたよね。あれって、このためだったのかな?」

「うふふ。そう」


 言ってくれたらプレゼン資料作りを手伝ったのに。

 また、義姉さんは一人で頑張り過ぎる!

 そんな言葉を投げつけそうになって、優は唇を噛み締めた。


 わかっている。義姉さんが考えていることは……


 舞美さんは、俺と雅はあくまでも一時的な助っ人だと思っている。

 いや、正確には、兄の夢のためにしまっているから、いずれは俺達が自分の好きな道へ進めるようにしてあげたい。

 そう思っているんだろう。


 本当は俺のほうが、舞美さんをこの店から開放してあげたいと思っていること……きっと気づいてないだろうな。


 そんな優の物思いは、舞美の弾んだ声で現実に引き戻された。


「普通の葬儀の時は今まで契約しているところがあるらしいんだけれどね、『フラワリングセレモニー』は遺族の方との綿密な打ち合わせが必要でしょ。だから、近いところのお店にしようと思ってくれたみたい。これはチャンスだからね。がんばりましょう!」


「「はい!」」 


 三人で気合を入れあいながら、雅はふと、この契約は『フルール・デュ・クール』にとって、進むべき道だったのではないかと思った。


 俺達三人とも、大切な人を亡くしているからな……

 精一杯の心を込めて見送りたい。その気持ちを、誰よりも理解しているもんな。


 考えることは同じだったようだ。優と舞美の瞳にも、同じ決意が宿っていた。



「義姉さん、遅くなったから送ってくよ」


 いつもなら、「大丈夫」とやんわり辞退する舞美だったが、今日はなんとなくまだ話したいと言う気持ちが強かった。この喜びを誰かと共有したい。そんな思いが舞美の舌を軽くする。


「この契約ね。諒君がプレゼントしてくれたんだろうなって、思ったの」


 一緒に歩き始めて直ぐに、舞美がそう言って微笑んだ。


「俺もそう思った。兄さん、あの世であれこれ考えて画策していたんだろうなって」

「画策って」

 吹き出した舞美。

「まあ、諒君ならあり得るわね。これからもどんなサプライズがあるかわからないから、楽しんでいこうね」


 嬉しそうに『諒君』と連発する舞美を見て、感情の欠片がぐるぐると渦を巻き始めた優。

 賞賛、感謝、愛おしさ、嫉妬、憐憫……言葉にならない、もろもろ。


 だが、一つ気づいたことがあった。


 今までは、舞美がこの店を必死に守っているのだと思っていた。だから、無理をさせて申し訳ないと、もう解放してあげたいと思っていた。


 でも、そうでは無かった―――


 義姉さんは自分の意思でこの店を守っているんだ!


 兄の情熱が、そのまま舞美に伝染して、今では舞美自身がこの店を自分の夢としていることが、ヒシヒシと胸に迫ってきた。それは、少しばかりの苦みを伴って、優の心に溶けていく。


 完敗だな……


 何故か唐突にそう思った。誰に、何に完敗なのか。

 それは兄に、なのかもしれないし、舞美の情熱にかもしれない。二人の絆の強さかもしれないし、その全てに対してかもしれない。

 

 だから、必要以上に陽気な声で応えてしまった。


「だな。これからも楽しんでいこう!」



 カラ元気を纏った優の声に、舞美の瞳が揺れた。


 私、また優君を巻き込むようなこと言っちゃった……


 諒の夢だった店を引き継ぐ。それは今では舞美の夢でもあった。

 けれど、現実はそう甘くは無くて、女手一つで開店早々の店の切り盛りをすることは不可能に近かった。義弟の優が勤めていた会社を辞めて手伝ってくれると言った時、本当は断るべきだと思った。


 彼のキャリアを奪ってはいけない。


 でも、「一人でも大丈夫だから」の一言が言えなかった。そして、今もまだ、言えないでいる。


 私ったら、いつまで優君に甘えるつもり?


 諒を失った悲しみと心細さを、優の献身が埋めてくれたことは感謝してもしきれないと思っている。だから、一日も早く彼を解放してあげないといけないと分かっているのに、手離したくない。

 そんな己の浅ましい心が情けなかった。


 せめて、心からの感謝だけは伝えたい。


 でも、優の瞳を真っ直ぐに捉えることはできなかった。俯きながら礼を言う。


「優君、ありがとう」



「ところでさ、さっき義姉さんと兄さん、喧嘩したことあるって聞いて驚いたよ。二人も安藤夫妻と同じで、喧嘩しないと思っていたから」


 空気感を変えるような優の言葉に、舞美もに立ち戻る。即座に笑顔と余裕を身に纏った。


「あら、結構していたわよ。まあ、諒君は完璧気配り男だったから、本当なら怒ることないようなことでも、私が勝手に拗ねたりしてた」

「ええ! 拗ねる義姉さんのイメージがわかない」

「そう? 好きな人に甘えたくなる時ってあるのよ。きっと無意識に愛を試していたのかもしれないわね。怖いわよねー」


 そう言っておどける舞美を、純粋にかわいいと思ってしまった優。あれこれ悩んでみても、素直な心の反応は止められない。

 ドキリとなった胸と赤い顔を隠そうと明後日の方向へ視線を彷徨わせた。


「なんか喧嘩っていうより、アツアツだな。惚気を聞いて顔が熱くなったよ」


「ふふふ。でも、ちゃんと喧嘩もしたわよ。一番腹が立ったのは……勝手にお店の開店準備を始めちゃったこと。あの時は本気で怒った。そりゃ、将来花屋をやりたいって話は、結婚の前にちゃんと伝えてくれていたし、私はそれを応援したいって思っていたわよ。でも、もっと生活が落ち着いてからゆっくりと準備していくものだと思っていたの。それなのに、相談も無しに急に仕事辞めて開店準備を始めちゃって」


 ふうっとため息を吐いた舞美がぽつりと言った。


「いつもの諒君らしくないなって、思ったんだけど、つい自分の感情をぶつけちゃって……あの人、なんとなく気づいていたのかもしれないわね。自分の体のこと。だから、焦っていたんだわ」


「そんなことがあったんだ。でも……やっぱり義姉さんはこうやって全面的に兄さんの夢を応援してくれている。兄さん喜んでいるよ」


「優君……」


 濡れた様に煌めく瞳が、優を見上げてきた。


「その後、諒君がくれた花束と一緒なの」

「え?」

「今日、安藤さんに作った花束。諒君が不安そうな顔しながらくれたの。で、『ごめん。それから、ありがとう』って言ってくれた。だから、私も『ごめんね。ありがとう』って言って仲直りできたから……安藤さんご夫婦も、上手くいくといいな」


「大丈夫だよ。絶対」

「そうね。大丈夫よね」


 舞美の瞳を受け止めながら、安心させるようにふわりと笑う優。


 その笑顔に、無意識に諒の面影を重ねてしまい、舞美は必死で涙と罪悪感を飲み込んだ。




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