第20話 共にいる幸せ

「ただいま!」


 いつになく弾んだ声を響かせた。

 新しい契約を取れた高揚感と、優と穏やかに諒のことを語り合えた喜びが、舞美の中で駆け巡っている。


「諒君、今日は嬉しいことがいっぱいあったよ。フラワリングセレモニーの契約が取れたの。そうしたら、優君が」


 言いかけてハタと言葉が途切れた。「ごめんね。まだ優君に頼ってばかりなの。だめだなぁ」小さくそう呟くと吹っ切るように先を続ける。


「優君が言ってたよ。きっと諒君が天国で画策していたに違いないって。私もそう思ったわ。……ありがとうね」

 

 位牌に手を合わせた。


 空耳でもいいから、諒の声を聞きたい。そんな風に思っていた頃もあった。でも、最近は疲れ切っていて、そんな願望を持つ余裕すら無い日々が続いている。

 いつの間にか、諒のいない日常が当たり前になって流れていた。


 ふと、罪悪感に駆られる。


 忙しいから悲しいことを思わずに済むし、お店と関わっている限り、諒と繋がっていられるのだから、諒を忘れたわけではない。

 それでも、傍で温もりを感じられないと言うことが、こんなにも記憶を薄れさせてしまうのかと愕然とする。


 諒の肌を思い出そうと感覚を研ぎ澄ませても、取り巻く冷たい空気をより深く印象付けるだけ。

 

 諒君を忘れたくないのに……


 だんだん遠ざかっている己自身を感じてしまう。


「ごめんね」


 ほうっとため息をついて花立を取ると、枯れてしまった花を取り除いて水を変えた。

 そして、持ち帰ってきた花を加えて活けなおす。


「いつもロスフワラーばかりでごめんね。でも、諒君なら、大切にしようって言ってくれるはずだもんね」


 店で廃棄処分になる予定の花を毎日持ち帰っては、諒の仏前に供える。

 売り物としてはもう盛りを過ぎているけれど、まだ生きている花。


 捨てたら可哀そうだもの。


 いつもは黙してささっと活けていたのだが、今日は諒に向かってぶつぶつと相談してみる。


 コンセプトばらばらの花々を、いかに美しく、優しい言葉にアレンジできるのか考えてみると、新鮮な発見に満ちていた。

 

「どうかな? これは。諒君気に入った? え、ダメ? どこが? うーん」


 きっと周りで誰か聞いていたら、驚いてしまうだろうなぁと思いつつも、久しぶりに諒に話しかけることができて嬉しかった。


「ほら、開店当初から彼女に、あ、今はもう奥さんなんだけどね、奈美さんに花を贈りまくっているマメ男の安藤君、初めて喧嘩したんだって。今日青い顔してお店に来て、『ごめんなさい』を伝える花束が欲しいって。だから、私が諒君からもらった花束を作ってあげたんだ。あの時、凄く嬉しかったから。わだかまりがすうって解けて、素直に諒君の言葉が胸に響いて……」


 目の前の花をまじまじと眺める。


「あの時かもしれないわ。花っていいなぁって。諒君が花屋さんに憧れる気持ちがわかったの。今はもう、私の気持ちでもあるんだけどね。よし! これでどうかしら?」


 花言葉

 黄色のガーベラ……究極の愛、優しさ

 スプレーマム……あなたを愛します、清らかな愛

 ピンクのブバルディア……幸福な愛、夢

 アネモネ……儚い恋


 今日は諒君と話せた……


 満足げに微笑んだ頬を冷たい雫が零れ落ちた。


 諒君! 応えてよ―――




『これから帰るよ』

 

 仲直りの花束を抱えて、安藤省吾あんどうしょうごは帰宅LINEを送信した。結婚後、省吾は異動して別の支店に移ったので、一緒に出退勤なんてことはできなくなった。代わりに帰宅時間についてはちゃんと連絡を入れ合うようにしている。今日は奈美ちゃんから帰宅済みのLINEが入っていたから、いつもだったら、直ぐに既読がついて『気を付けてね』と返ってくるはず。

 なのに……なかなか既読にならない。

 ヤキモキしながら足早に自宅へと向かった。

 到着直前になって、ようやくついた既読通知と、『気を付けてね』の文字にほっと胸をなでおろす。


 良かった。もう怒ってはいないはず。


 ところが、ガチャリと玄関の扉を開けたところでまた不安がぶり返した。

 

 あれ? 家の中が暗い。まだ帰ってきていないのかな?


 どこにいるのかを確認しようと携帯を覗いたところで、ようやく奥から奈美の声が聞こえてきた。


「お帰りなさい。ごめんなさい」

「いや、ごめんなさいは俺のセリフ! ごめん! 奈美ちゃん」


 そう言って電気をつけながら奥へ駆けつけてみれば、暗い寝室でベッドに起き上がったばかりの奈美の姿。


「ごめん。そんなに落ち込むこと無いよ。奈美ちゃんの言葉に耳を傾けないで一方的に自分の希望ばかり押し付けていたのは僕のほうだから。だから……」

「えっと、省吾君。ごめん。御夕飯作れてないの」


 あれ? なんか話が食い違っている気が……


 その時になってようやく違和感に気づいた省吾は、抱えていた花束をテーブルにそうっと置くと奈美の元へと駆け寄った。頬を紅潮させてぼーっと潤んだ奈美の瞳を見て、慌てて額に手をやる。


「奈美ちゃん、熱ある。風邪? 具合悪かったんだね」


 コクリと頷いた奈美が、だるそうに省吾に寄りかかってきた。


「ごめん。具合悪い事気づいてあげられなくて」

「ううん。今日の昼ぐらいから熱が出始めたから、省吾君が知らないのは当たり前。帰りがけに薬もらってきて飲んだら寝ちゃって」

「いいんだよ。寝ていて。どうしようか、おかゆでも作るよ」

「省吾君……ありがとう」


 思わずぎゅっと抱きしめた省吾。奈美の熱が肌を通して伝わってきた。

 少しでも、その熱を己の身に移し取ってあげたくなる。

 そんな省吾の気持ちが伝わったようで、素直に体を預ける奈美。

 

 省吾の心は不思議と満たされていた。


 喧嘩してもこんな風に自然と仲直りできて。

 こうやって弱みを見せあって助け合っていかれること。


 これほど幸せなことがあるだろうか?


 やっぱり、奈美ちゃんと結婚できて良かった―――

 


   

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