Episode10 ペンタスに願いを
第43話 小さなお客様
店の外に並んだ鉢花の間に、先ほどから小さな影が座り込んでいる。水をあげる風を装いながら、雅はさりげなく影に近づいた。
年の頃は小学生低学年くらいだろうか。
ランドセルを置いてから図書館にでも遊びに来た途中なのかと思って店内から眺めていたのだが、だいぶ長い間動かずにいるので心配になったのだ。
「その花気に入ったの? ペンタスって言うんだよ」
熱心に魅入っている視線の先には、ピンク色の五弁の花びらを星形に広げたペンタスの花鉢。
会話の糸口になるかと思って花の名前を告げたのだが、急に声をかけたのは失敗だったらしい。びっくりしたように飛び上がった少女は、大慌てで駆け去って行ってしまった。
「失敗……」
しょぼんとした様子で戻ってきた雅を、優が慰める。
「いや、雅のせいじゃないし。ありがとう」
「怖がらせちゃったかな? また来てくれるかな?」
「大丈夫だよ。凄く一生懸命に眺めていたから、きっと花が好きなんだろうな」
「だといいんだけど」
はあっとため息をついた雅に、ニマニマしながら優が尋問する。
「で、昨日は?」
「何が?」
「花束の効果だよ」
「クソ恥ずい」
「それはお前の感想だろって、まあ、そうだろうな」
妙に納得したような優の反応に、「おや、優も誰かに花束贈って告ったのか?」と興味津々の雅。
「え? 何? 雅、あの花束で雫さんに告白したんだ。そうか」
「……」
こいつ、カマ掛けやがったな。
そう思いつつも、嬉しくて言いたくなる気持ちは抑えきれない。
「ふっ、大成功に決まっているだろう?」
「そうか。良かったな」
しみじみと言う優に「ああ」と素直に喜びを見せた。
二人で拳を突き合わせ喜びを分かち合う。だが、『次はお前の番だぞ』という言葉は、簡単には言えずに飲み込んだ。
優にも早く春が来るといいんだけれどな―――
雅の心配は杞憂に終わり、次の日も少女はやって来た。でも今日は、店頭の花鉢の間に身を潜ませるように低い姿勢になっている。声を掛けられたくないと言う意思表示が溢れ出ているので、仕方なく、優も雅も知らぬふりをしていた。
次の日も、また次の日もやって来た少女。
「私が行くわ」
事情を聞いた舞美がそう言って請け合った。
舞美を見上げた少女。今度は逃げなかった。二人で何やら話し込んでいる。
流石だな……
ほっとした優だったが、ガラス越しに仲睦まじく話す二人を見て、ちょっと複雑な気持ちになった。
兄さんが生きていたら、今頃舞美さんもママになっていたかもしれないんだよな。
舞美がそれを望んでいたか否かは分からないが、ついつい『たら、れば』を考えてしまう。
だから、そういうのは大きなお世話だって言っているんだよ。優、お前は相変わらずだな。
自爆してどん底まで落ち込んだ気持ちを振り切るように、花の鮮度チェックに戻った。
そうっと少女に近づいて声を掛けた舞美。
一瞬警戒したように顔をこわばらせた少女だったが、柔らかな舞美の笑顔にたちまち懐っこく話し出した。
「お花好きなのね」
「うん」
「綺麗で可愛いよね。私も好きだからお店やっているのよ」
「ここ、お姉さんのお店なの?」
「そうよ。だから、いつでも遊びに来てくれると嬉しいわ」
その言葉にニコリとした少女。
「じゃあ、毎日来てもいい?」
「大歓迎よ」
「分かった。じゃあ、また明日ね」
バイバイと手を降って帰って行った少女。その言葉通り毎日やって来るようになった。何故来るのか。どこからきているのか。聞きたいことは山程あったが、舞美は何も問うこと無く、毎日花のことだけ話すようにしていた。
「私、この花が好き」
「ペンタスね」
「変な名前」
「あはは。変な名前か」
朗らかに笑う舞美。
「ギリシャ語で数字の五を意味する『ペンテ』という言葉から、名前が付けられたらしいわ。ほら、花びらが五つあるからじゃないかしら 」
「ギリシャ語!? へえー」
「花言葉は、希望が叶うと、願い事よ」
それを聞いた少女が、キュッと唇を噛み締めた。今までの笑顔が一瞬で消えてしまった。
「……願いが叶っても、いいことばかりじゃ無いから」
「え!」
驚いた舞美は、掛けるべき言葉を思いつかずに黙ってしまう。
一体、彼女は何を経験したのかしら?
まだ幼いのにこんな言葉が出てくるなんて。
「そっか。確かに、願いが叶ってもいいことばかりじゃ無いわね」
ただオウム返しに返しただけの言葉だったが、何故か舞美の中で大きな意味を持ち始めた。
そうだよね。念願の花屋さんをオープンできたのに、諒君はあっという間に居なくなってしまったものね……
舞美の言葉に溢れ出た本物の共感を、少女は敏感に感じ取っていた。
お姉さんも悲しそう……
ちょっとだけ心が落ち着いて、少女は「また来るね、お姉さん」と言って口の端を少しだけ引き上げることができたのだった。
少女が帰った後、元気をなくした舞美を心配して優が声を掛けてくれた。
「義姉さん、何かあった?」
「優君……」
少女の言葉をそのまま伝えれば、優も雅も直ぐに共に考え始めてくれる。
ああ、そうだったわ!
舞美は大切な事を思い出した。
みんなで知恵を出し合うこと、それが『フルール・デュ・クール』の良いところでもあるんだから、ちゃんと二人にも相談しなくちゃいけなかったんだわ。私一人でなんとかしようなんて、独りよがりな考え方よね。
諒君は居なくなっちゃったけど、今はこの二人が居てくれる。悲しみが消える訳では無いけれど、新しい幸せが訪れ無いわけでも無いのよね。
だから、素直に感謝して頼ってもいいんだわ。
少し、心が軽くなれた。
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