第42話 告白

 仕入れから帰ってきた雅が、花ケースの前で悩んでいる。


「どうした?」


 不思議に思って尋ねた優には、眉間に皺を濃くして見せただけで何も答えなかった。


 変なヤツ。


 そしてピンとくる。


 そっか。そういうことか。


 ついつい顔がニヤけてしまった。雅の奴、遂に雫ちゃんに告るんだな。雫ちゃんも雅の事を好きだし、何より千歳ちゃんのことも大事に思ってくれている。

 本当に良かったと、我がことのように嬉しくなった。


 次の定休日。雅は先日のお礼と言って、雫を連れ出した。家の車を借りて、海が見える場所までドライブ。最後に店に寄って花束を渡そうと計画している。



「おはよう、雫ちゃん。どうぞ」


 助手席の扉を開けて紳士然とエスコート。やや緊張した面持ちの雫が「ありがとうございます」と言いながら座った。膝の上のクーラーボックスに目が吸い寄せられた雅。


「デートの時までお菓子を作らなくてもいいんだよ」

「デ、デート!」

 声を可愛らしく裏返した雫に、雅も照れくさそうに笑いかける。


 雅さん、今デートって言ってくれた!


 自然と頬が緩んでしまう雫、ふっと横を見ればこちらを見つめている雅と目が合った。車内の距離感は思っていた以上に近くて、小さく息を呑んで固まる。


「安全運転で行くからね」


 眼鏡の奥の真剣な眼差しが、雫の覚悟を問うた。その言葉の重みを知る雫は、ありったけの信頼を込めて応える。


「はい。よろしくお願いします」



 平日休みのメリットは、渋滞に巻き込まれずに済むこと。

 快適なドライブは、少し遠い地まで二人を運んでくれる。


 照りつける太陽の日差し、肌をなぞる涼しい海風、足元を削る波。

 五感をフルに使って、今、この時を楽しんだら、木陰で一休み。


 雫が取り出したのは、レモン風味のベイクドチーズケーキだった。


「もしかしたら、千歳さんが作ろうと思っていたのはチーズケーキだったかもしれないと思いまして、作ってみました」


 一生懸命に千歳と向き合ってくれる雫が愛おしくなって、雅は抱きしめたくなった。なんとかその衝動を抑える。


 切り分けられたベイクドチーズケーキの上には薄切りのレモン。

 柔らかくて口の中でとろける生地と広がるレモンの香り。

 

「美味しい。千歳もチーズケーキ好きだったよ」

「ああ、良かったです」


 嬉しそうに笑った雫の目を真正面から捉え直した。


「ありがとう。凄く美味しかった。でも、今度は雫ちゃんが作りたいって思うレモンのお菓子が食べたいな」


 目を真ん丸にした雫。その意味するところに気付き、噛みしめるように頷くとほっと力を抜いた。


「私、少しは千歳さんのお役に立てたでしょうか」

「少しどころじゃないよ。すっごく助けられたよ。千歳も俺も。だから、もう大丈夫なんだ。ありがとう」

「……はいっ」


 雅の言葉で胸が一杯になった雫は、ただ頷くことしかできなかった。


 生きていて良かった―――


 ほんの数ヶ月前までは、起き上がることも辛くて引きこもっていた。誰の、何の役にも立てない自分が情けなくて辛くて、死んだほうがマシだとさえ思い詰めた。


 こんな私が、「ありがとう」と言ってもらえるようになるなんて……

 ちゃんと感謝を伝えたい!


 雫は意を決したように雅を見つめ返した。

 

「雅さん、私は雅さんのお陰で今日があります。あの時、『フルール・デュ・クール』の店先で雅さんに出会えて、心の持ちようが大きく変わったんです。『こんな私じゃダメ』から『こんな私のままでも大丈夫』って。だから、改めてお礼を言わせてください! ありがとうございます」


 カチリと眼鏡を引き上げて、雅もクソ真面目な表情になる。


「じゃあ、お互い様って事でいいよね」

「……私の方がもらい過ぎてると思いますけど」

「いやいや、俺のほうがってなるよ」

「えっ!?」


 戸惑う雫に、笑い出した雅。


「キリがなくなるから止めよう。それよりさ、次どこ行く? 今日は一日付き合ってくれるんだろう?」

「はい、もちろんです!」

「よし、じゃあ出発だ」


 雫の手を取って駆け出した。



 暗くなるまで思いっきり楽しんだら、最後は計画通り店の前に車を停める。不思議そうに見つめる雫に「ちょっと待っていて」と言って店に入り、大切に保管しておいたとっておきの花束を取って来た。


「雫ちゃん、これが俺の気持ちです! もしよければ、俺と付き合ってください」


 花束を掲げてストレートに申し込んだ。

 

 うわっ、俺ダサい。こんなムードもへったくれも無い渡し方をするなんて。

 

 差し出してしまってから、そんな事を思う。


 普段、お客様の気持ちを伝えるお手伝いをしているなんていい気になっていたけれど、実際花束を渡すのって、クソ気恥ずかしいもんだな。


 立場逆転の経験は新鮮だったが、今はそれどころじゃなく心臓の音がうるさい。雫の反応が気になって、少し怖くて。

 でも、目を合わせたら答えを急かしてしまうような気がして、花束に掛けたリボンを見つめ続けていた。


「雅さん……」


 震える小さな声が途切れる。慌てて見上げた雅の目に映ったのは、幸せそうな笑顔とキラキラと零れ落ちる涙の雫。


「雫ちゃん……」

「雅さん、嬉しいです! どうかよろしくお願いします」

「良かった、そう言ってもらえて」


 ほうっと全身の力を抜けば、ふわふわとした高揚感。

 自然と指先が雫に伸びて、その涙を掬い取った。光を増した瞳が熱を持ったように潤む。


「お花、綺麗です。ありがと……」


 皆まで言わせず奪い取った。


 花言葉

 薔薇(五本、赤)……あなたに出会えて良かった、あなたを愛しています

 ハイビスカス……新しい恋、あなたを信じる

 プルメリア……大切な人の幸せを願う、内気な乙女、陽だまり

 ドラセナ……幸福

 ミスカンサス……守り抜く愛


 長い長い葛藤の末に出会った恋は、穏やかで温かな居場所になった。

 


 


 


 

 


 

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