第31話 奥深くに眠る想い
「義姉さん、相談があるんだけど」
優からこんな風に話を切り出されたのは初めてだったので、舞美は無意識に身構えた。
遂に、この日がきてしまったのね。
優君が花屋を辞めたいって言い出す日が……
頭の中では笑顔で送り出すイメージトレーニングが万全だった。それなのに、心は心細さで悲鳴を上げている。必死に笑顔を貼り付けた。
「優君、どうしたの。なんでも遠慮なく言ってみて」
「実は、神尾玲奈さんの古い知り合いの方が店に来たんだけど、玲奈さんに伝えるべきかどうか迷っていて」
「え!?」
予想外の言葉に、一気に力が抜けた舞美。しどろもどろになって答える。
「えっと、相談って玲奈さんのことだったのね」
「ああ。実は」
舞美の様子に気付いた優が、言葉を止める。
「ごめん。突然変な相談をして」
「いいえ。大丈夫。玲奈さんのお知り合いの話、詳しく聞かせてくれる?」
内心深く安堵しながら、優の話に耳を傾けた。
その男性客が、今このタイミングで『フルール・デュ・クール』を訪れたことに不思議な縁を感じて、舞美も惹き込まれてしまう。
「その方、まだ玲奈さんのことを想っていらっしゃるのかしら?」
「……わからない。でも、そこから動けなくなっているような気がしたんだ」
「玲奈さんにお話したほうがいいかもしれないって思ったのも、何か理由があるんでしょ?」
「まあ……なんとなく」
玲奈の呟きは秘して、自分の心証として言う。
「玲奈さんも、紫陽花に思い入れがあるみたいだったんだ。もしかしたら、二人とも同じ出来事が心に残り続けているのかなと思って」
「そっか……何かお手伝いできたらいいんだけど、踏み込みすぎるのもねぇ」
「やっぱり、難しいよな」
自分で自分に言い聞かせるようにそう言うと、優は笑顔を添えて礼を言った。
「義姉さん、ありがとう。もう一度その
「優君!」
立ち去りかけた優を引き留める。
「優君のその細やかな気遣い、素敵だと思うわ。何でそんな事まで気づいちゃうんだろうって、いつも驚かされる。でも、気づいてしまったら無視できないから、きっとたくさん考えたり悩んだりするのでしょうね」
何故かこのまま優を返してしまいたくなかった。
優の繊細さがどれほど魅力的であり、周りを助けてくれているのかを伝えたかった。
そうだわ!
こんな時こそ日頃の感謝をきちんと伝えるべきよ。そうしたら、きっと彼の自信に繋がるはず。
そんな思いに突き動かされて舞美は続ける。
「でも、お陰で私はたくさん助けてもらっているのよ。優君には感謝しているわ。いつもありがとう」
素直に気持ちを伝えたはずだった。だが、優の表情がみるみる苦しそうに歪むのを見て、間違ったと悟った。
「俺はそんな善人じゃない」
絞り出すようにそう言うと、優は唇を噛み締めた。
何かを言いかけては口をつぐみ、指先を差し出しかけてはぎゅっと握りしめ、最後にほうっとため息を漏らした。
「義姉さんは大袈裟だな。俺が店のことや義姉さんのことをサポートするのは当たり前だろ。お給料もらってるんだから」
そう言っておどけると、「あがります」と背を向けた。
また、気を使わせちゃった。優君に嫌われたらどうしよう……
どんよりと落ち込んだ舞美。自分の奥深くに渦巻く浅ましい心に気づいてゾッとする。
優を手放せなくなっていく自分を―――自覚した。
帰る道すがら、優は自分で自分を罵りまくっていた。
何過剰反応しているんだよ!
舞美さんは単に日頃の労を労ってくれただけじゃないか。それを、クソ真面目に謙遜した上嫌味まで言い放って。最低だ!
舞美への想いは隠し通さなければ―――
そう思えば思うほどボロが出る。
潮時という言葉が脳裏をかすめる。でも、まだ、舞美の傍を離れるのは無理だ。店はなんとか軌道に乗ったが不安定なことに変わりはない。一人になんかできない。
先日玲奈の話を聞いて、随分気持ちが楽になっていた。諒の代わりにはなれないけれど、優は優なりの方法で舞美を助けていけばいいのだと、自分で自分を肯定できた。
今まで抱えてきた劣等感を手放して、前を向こうと思えた。
でも、それと恋慕は分けなければいけない。
これ以上、舞美さんに重荷を背負わせたくは無いからな……
次の日、開店準備の店内には、シフトに入っていない舞美の姿があった。出勤した優の元へと直行する。
「あの、優君、昨日は負担になるようなことを言ってしまってごめんなさい」
「ごめん。俺の方こそ生意気なことを言って」
二人で同時に謝り合って自然と笑みが浮かんだ。
「優君、ありがとう」
「義姉さん、ありがとう」
今度は同時に礼を言い合う。
「二人にカモミールとカンパニュラの花束を作ってやろうか?」
眼鏡の奥からニヤニヤと見つめる雅が軽口を叩いた。
「雅君、覚えていてくれたのね。ありがとう」
「うは! 『ありがとう』が増殖したぞ」
「もう、雅君ったら」
雅に感謝しつつ、三人で穏やかに開店準備を進めたのだった。
男性が来店したのは、その日の閉店間際だった。
緊張した面持ちで、いつものようにガラス越しに店内を覗き込む。時刻を確認してギリギリな事に気づくと、入店を躊躇して入口から一歩遠ざかった。その姿に気付いた優が、慌てて声を掛けに動いた。
「いらっしゃいませ」
「すみません。ギリギリの時間に」
「いえ、大丈夫ですよ」
一目見て察した舞美もにこやかに挨拶する。
「いらっしゃいませ」
「実は、今日は花を買いに来たわけでは無くて……」
「神尾さんのことですか?」
先手を打った優に、申し訳なさそうに頷いた。
「はい。あの、私は
本来、顧客の情報を漏らすのは個人情報保護の観点から好ましくは無い。だが優の直感は、藤倉を信頼すると決断していた。
「毎日撮影に飛び回られているようで、精力的に活動されていますよ」
「そうですか。良かったです」
優の言葉にほっと胸を撫で下ろしつつも、どこか淋しげな藤倉を見て、舞美もリスクを抱える覚悟を決めたようだ。彼の想いを掬い取るように、踏み込んだ話を付け加えた。
「独立してフリーになられてからは、物凄く忙しいそうで、恋愛している余裕が無いとボヤかれていましたけど」
最後は申し訳無さそうに「でも、本当のところは御本人にお聞きしないとわかりませんが」と付け加えた。
「ああ、もちろん、そうですよね。すみません。言いにくいことまで言わせてしまって。ありがとうございました」
藤倉は感謝を込めて深く頭を下げた。
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