第32話 焼け木杭

「神尾さんのこと、今も気にかけていらっしゃるんですね」

 

 優の言葉に、微かな戸惑いを見せた藤倉。


「そんな美しい話じゃ無いですよ。彼女の最後の言葉が辛かったし、恨み言を繰り返しながら女々しく引きずってきただけです。だから、彼女の活躍を知って妬ましく思うと思っていたんです。でも、違いました。頑張ったんだなぁって、純粋に尊敬の気持ちだけが沸き起こってきました。それが自分でも嬉しくて」

 

 そこで一旦言葉を切ると、はにかんだような笑みを浮かべた。経てきた年月と重ねた経験を受け入れた者だけが醸し出せる、穏やかで包み込むような温かさを纏っている。


 優は思わず眩しそうに目を瞬かせた。


 ガラガラと店のシャッターを下ろした雅が、第三者らしい冷静さで椅子を並べて言った。


「座ってゆっくりお話しませんか?」


 恐縮する藤倉を誘って座らせると、舞美と優にもわざとらしいウィンクをよこした。


「雅、サンクス」


 店じまいは雅に任せて、共に席につく。


「神尾さんとは古いお知り合いと伺っているのですが」


 遠慮がちに問う舞美に、「すみません。最初にちゃんとお話するべきでしたね。お時間を取らせてしまって申し訳ないのですが」と頭を下げると静かに語り出した。


「彼女と出会ったのは、もう二十年も前の事です。二人ともまだ学生で、アルバイト先で知り合って、しばらく付き合っていました。その頃から、彼女はフォトグラファーになるという明確な夢を持っていて、デートの時もカメラを手放すことは無かったですね。貪欲に色々な物を撮りまくっていました。私はこれと言って取り柄も目指す未来も無くて、ただ彼女の隣に佇んでいるしか能のない男でした」


「じゃあ、藤倉さんも被写体を務めることが多かったんじゃないですか?」

「そうでもなかったですね。一緒に撮った写真もほとんど無いくらいで」

「そうだったんですね。ごめんなさい」


 素直に謝る舞美に「気にしないでください」と手を振る藤倉。


「彼女は常にどう撮るか考えて実践して、検証してを繰り返していました。物凄く地道な作業の繰り返しで、情熱がなければできないことだと思いました。私はただ傍に立って待っていることしかできなくて、気の利いた言葉もアドバイスできる知識も無いから、物足りなくて当然なんですよね」


「でも、写真を撮りまくる玲奈さんを黙ってずっと待っていたんですよね?」


 珍しく前のめりに尋ねる優。


「え! それは、そうでしょう。置いていったら酷いじゃないですか」

「そうとは限らないかと。デートって互いに楽しくあるべきで、どちらか一方のリズムに合わせ続けることは難しいと思うんですよ。だから玲奈さんの写真撮影の間待ち続けていた藤倉さんは物凄く辛抱強い人で、それだけ玲奈さんを大切になさっていたんだと思います」


「……そんな風に言ってもらえるなんて、思ってもみませんでした。なんか、嬉しいですね」

 

 優の言葉を噛みしめるようにそう言うと、そうっと立ち上がった。


「すみません。お忙しいところお時間を取らせてしまって。でも、皆さんに聞いていただけてすっきりしました。玲奈さんも幸せそうで安心しましたし。ありがとうございました」


 帰りかける藤倉に、優が再び食い下がる。


「玲奈さんが幸せかどうか、何故心配になったのですか?」

「なぜって言われても……彼女は羽を休めるのが下手な人だったから、無理しているんじゃないかと。大きなお世話ですよね。彼女はもう、自分の世界を確立しているんですから」

「本当は、もう一度彼女の横に佇みたいと思われたんじゃ無いですか?」

「そんな事はありえない。だって、あの日彼女から、私はもういらないとはっきり言われたんですから。今更そんなこと……」


 僅かに狼狽えを見せた。


「玲奈さんじゃなくて藤倉さんはどうしたかったんですか? 藤倉さんも玲奈さんと分かれたかったんですか?」

「そんなはず無いじゃないですか。私は彼女をずっと見ていたかったです。見ているだけで、元気をもらっていたんですよ、私の方が」

「その気持ちを、玲奈さんにちゃんと伝えたんですか?」

「それは……」


 絶句する藤倉を見ながら、優は己の発した言葉が刃となって自らに突き刺さったのを感じた。


 知ったようなつもりになって、相手の気持ちを尊重するような顔をして、結局自分の考えは何も言わずに逃げる。

 俺が今までやって来たことだ。

 偉そうに藤倉さんに言えるような奴でも無いくせに!


「すみません! 出過ぎた事を」

「ああ……俺は……」


 呻くように呟くと、藤倉はドスンと椅子に腰を下ろした。


「あなたの言う通りです。俺は玲奈と分かれたくなかった。そして、今もあわよくば彼女と寄りを戻したいと思っています。なんて諦めの悪い男なんだ」


「だったら、その気持ちを玲奈さんに伝えてみませんか?」


 頭を抱えた藤倉にそう言ったのは舞美だった。


「え! ま、義姉さん」


 慌てた優が止めようとするも、にこやかに言い添えた。


「ここ『フルール・デュ・クール』は『お客様の心を映す花束を作ること』をモットーにしています。藤倉さんの気持ちを玲奈さんへお伝えするお手伝いを、是非させていただけ無いでしょうか?」


「い、今更そんなこと……」

「今更じゃなくて、、伝えたい思いを込めてお贈りします。年月を積み重ねたからこそ、言えるようになる言葉もあると思うんです。それはきっと、過去に伝えたいと思った言葉とも違っているんじゃないかと、私は思うんです」


 舞美の真剣な眼差しに、藤倉も覚悟を決めた。


 二人の言う通りだな。

 きちんと彼女に向き合わなかったから、引きずり続けているんだ。きちんと自分の手で幕引きをしなければ、前へ進めない。


 玲奈にとっては、とっくに過去の事だろうと思っていた。

 でも、過去は現在と繋がっている。


 今の玲奈へ、今の俺からの言葉を。


 

 


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