第33話 雨降って
考え考え、丁寧に気持ちを語る藤倉。その真摯な姿にこちらも全力で知恵を絞る。
渾身の花束は舞美と優が直接玲奈に手渡すと約束した。
藤倉の背を見送ってから、優は舞美へと向きを変える。
「義姉さん、ありがとう」
舞美と玲奈の関係や店の事を無視して行き過ぎた言動をした優を、迷うこと無く援護射撃してくれた舞美には申し訳なく思った。
「別に、私も玲奈さんと藤倉さんを、もう一度だけ巡り合わせたくなっただけよ」
「もう一度巡り合わせる?」
含みをもたせたような言い回しが気になった。
「ええ。昨日優君に言われて、私も玲奈さんの気持ちを考えてみたの。もちろん、直接聞かないとわからないんだけど、この間の撮影の時に玲奈さんが選んでいた禅語は、出会いに関するものが多かった気がして。玲奈さんも何かを変えたいと思っていて、出会いを求めているんじゃないかって思ったから」
真っ直ぐに優の瞳を見つめ返しながら笑みを浮かべる舞美。
「まあ、普通は新たな出会いを求めるものだけど、一つくらい、過去が混じっていたっていいんじゃないかしら」
過去との出会いが、同じ味わいを生み出すとは限らない。年月が二人に味方してくれる時もあるはず。
そんな舞美の願いが聞こえたような気がして、優も力強く頷いた。
忙しい玲奈と予定を合わせるには一週間必要だった。出張と出張の合間の貴重な半日に突撃をかける。
「玲奈さん、お届け物です」
単なるプライベートな訪問だと思いこんでいた玲奈に、いきなり花束を差し出した。
「うわっ、びっくりした。綺麗……だね」
白い紫陽花に目を留めて、一瞬言葉が途切れた玲奈。ちらりと優に目をやってから「一体何のお祝い?」と笑いだした。
「実は」
言いかけた舞美の言葉を引ったくるように、優が説明を始める。
「こちらの花束は、藤倉宗二様から承った御品です」
玲奈の瞳が大きく見開かれた。
「ふ、じ倉、え!? 何故彼から。そんな……何故それを知っているの?」
動揺を隠しきれない様子に、優も舞美も確信した。
玲奈も、まだ藤倉を忘れていない―――と。
「兎に角、こんなところで話すのも何だから、上がって」
居間のソファに腰掛けて、藤倉から花束を依頼された経緯を詳しく話した。
「なんか、ドラマでも見ているみたい」
ポツリとそう呟くと、その先が続かずに黙りこんだ。目の前の花束を戸惑ったように見つめる。
「彼が今も私のことを覚えていてくれたなんて。しかも、こんな花束を贈ってくれるなんて、ちょっと信じられなくて」
くしゃりと顔を歪ませ、声を震わせる。
「私、彼を傷つけたのよ。最低な言葉で。彼の一番魅力的なところを切って捨てて断罪したの。それを言われた彼がどれほど苦しむかなんて思いやることもなく。それなのに……やっぱり大馬鹿野郎よ」
最後の憎まれ口には、懺悔が滲んでいた。
心を落ち着かせるようにゆっくりと息を吐き出してから、玲奈は静かに語り始めた。
「彼とはアルバイト先で出会ったの。私はその頃から我儘で自己中で、将来の夢も恋も全部手中に収めたくて、でも簡単じゃなくて。焦ったり悲観したり暴走したり、感情の起伏の激しいタイプだったから、彼の穏やかさ、なんでも許してくれる包容力が大人に見えて羨ましいと思ったのよ。で、私から告白したの。実際、付き合ったら物凄く優しくて、私が主導権を握れるし、楽だった」
そこで一旦言葉を切ると「ね、最低でしょう」と泣き笑いになる。
「最初は本当に居心地が良くて、ずうっとこうして居たいって思っていたんだけど、だんだん物足りなくなってきて。彼の優しさが軟弱で優柔不断に見えて、勝手にイライラしてなじって、言い返さない彼に失望した。あの頃はファインダーを覗いていても、いかに綺麗に、カッコよく、センスよく撮るか。そんなことばっかり考えていたわ。本当に見かけにばかり目を向けて、颯爽と前へ進むことがカッコよくて、停滞は惰性と決めつけていた。驕り高ぶった愚かな自分に嫌気が差すわ」
「玲奈さん……」
話を聞きながら目を潤ませ始めた舞美に気付いた玲奈が「もう、舞美ちゃんたら」と言いながら横に移動する。
「ありがとう」
「ごめんなさい。なんか聞いていたら、胸がぎゅっとしちゃって」
もう一度「ありがとう」と言いながら舞美の背をさすった。視線を優へ向け種明かしをするように続ける。
「あの日、彼に別れを切り出した日。公園の紫陽花が綺麗だった。直前に降った雨の粒を沢山抱えていて、ほんの少し揺らしたらポロポロと零れ落ちるのがわかるから······触れないように気を付けて撮ったことを覚えてる。いつものようにじっと待っている彼を振り向いて、投げつけたのよ。言葉の刃を。だからずっと、紫陽花を見るのが嫌だったんだ」
「だからあの時」
「やっぱり、聞こえちゃってた?」
バツが悪そうに笑う。
「違うわね。本当は優君が傍にいることに気づきながら呟いた。誰かに聞いて欲しかったんだと思う。自分の思うままに生きたくて、そのために他人を利用して利用されて、ボロボロになって気付いたのは、彼の強さだったわ。黙って相手に合わせるのは、それだけ深く相手を受け入れる力を持っているから。私にはとても真似のできないようなことを、彼はし続けてくれたんだって思ったら、謝らなくちゃいけないって思ったの。でも、今更謝っても、傷つけた事実が変わることはないし、彼の傷だって癒やされるはずがない。そう思っていたから……」
愛おしそうに、花束に手を伸ばした。
「これは義姉さんからの受け売りなんですけれど」
そう言いながら、優がチラリと舞美を見る。頷く舞美と心を合わせた。
「もしよろしければ、今、贈りたい言葉を、私たち『フルール・デュ・クール』へ託していただけないでしょうか?」
すっかり暗くなった帰り道。
黙って運転する優の横で、舞美もまた静かに考えていた。
自分の中に見つけた優への依存心。予想以上に膨らみ始めた気持ちに、早く結論を出さなければいけないと焦っていた。でも、玲奈と藤倉を見て少し気が楽になった。
時間をかけて考えたっていいんだわ……
穏やかな笑みを浮かべた舞美に気づいて、優の表情も柔らかくなる。
温かな沈黙が車内に満ちていた。
花言葉
紫陽花(白)アナベル……ひたむきな愛、辛抱強い愛
グロリオサ……栄光、勇敢、燃える情熱
ルドベキア……あなたを見つめる
ピンポンマム……君を愛す、真実
破れ傘……透き通る心、復縁
石化柳……あなたのために生きる、たくましさ
藤倉から玲奈へ。贈る愛は深く強い。
あの時言えなかった『別れたくない』という言葉の代わりに、過去の全てを飲み込んで申し込むストレートな本音。『もう一度、やり直したい!』
玲奈から藤倉へ。初めて伝える素直な想い。
心からの『ごめんなさい』と『ありがとう』
藤倉への尊敬と
花言葉
カモミール(15本)……ごめんなさい
カンパニュラ……ありがとう
山紫陽花(白)……乙女の愛、切実な愛
パンジーゼラニウム……あなたを深く尊敬します
ハーデンベルギア……幸せが舞い込む、運命的な出会い、過去の愛、奇跡的な再開
年月を経て再び出会った愛が、互いを丸ごと受け止め合い、寄り添う事を紫陽花に誓ったのは、それから直ぐのことだった。
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