第25話 誕生日の贈り物

 冷めきった紅茶が入ったマグカップに手を伸ばす。口に含んでから、「まずいっ」と吐き出しそうになって慌てて嚥下する。

 

 今日は不測の事態って奴に振り回されて、朝入れた紅茶を飲む暇も無かった。 

 これ、八時間も前のだった。ありえない!


 ふうっとため息を吐いて、枝野明日香えだのあすかは席を立った。


 入れ直してこよう。

 

 給湯室でカップを洗い新しい紅茶を注ぐ。くゆる湯気を見つめながら、無意識のうちにまたため息が出た。


 ああ……私、何やっているのかな。


 今月は結婚式が重なって金欠だ。アラサー女子の現実は厳しい。


 大学を卒業して大手ハウスメーカーに勤めた明日香は、好きなインテリアの仕事に関われて充実した日々を送っている……はずだ。

 だが現実は、土日出勤、夕方からの打ち合わせによる残業。

 顧客中心の仕事は、自分のプライベートが皆無になる。

 

 それでも、仕事は楽しかったから、今まではこの生活に満足していた。


 けれど、三十の声が近づくにつれ、周りの様相が一変していった。


 三十歳までには結婚したいと言う駆け込み結婚組。 

 子どもが生まれて四苦八苦している新米ママ。

 仕事が充実しているから今はこのまま突き進むと言う仕事組。

 そして、明日香のように、仕事もプライベートもほどほどでどこにも進めないであがいている迷子組。

 

 それぞれの別れ道がくっきりと見える年齢、それがアラサーと言う見えない壁。


 大人となり目の前に選択肢は広がった。

 でも、だからこそ、何を選ぶかが重要な意味を持つようになる。

 

 今決めたことが、将来を左右する。

 大きな分岐点。


 誤った選択をしたくない。でも、迷っている時間も無い。

 そんなプレッシャーがヒシヒシと押し迫ってくるのだ。


 

 学生時代のように、みんなが同じことを一緒にやっているわけでは無い。

 家族ができれば、自分の事だけ考えていれば良いわけでも無くなる。

 

 立場の違いは互いの考え方や物の見方をも変えていく。


 変っていくことが悪いわけじゃないし、それは人生経験を積み重ねた証。

 だから尊重し合えばいい。言葉で言うのは簡単だ。


 できれば良い経験を積み重ねて生きていきたいけれど、経験していないことに関して理解をすることは難しい。

 そうやって、少しずつ少しずつ離れていく友人との距離感を、じわじわと感じていた。


 手帳を覗けば、明日は真由佳まゆかの誕生日。


 三十年生きてきても、『親友』と呼べる存在は、そうそうできるものではない。

 言いたいことを気負いなく言い合えて、辛いときは寄り添ってくれる。嬉しい時は共にはしゃげる。そんな貴重な友が、明日香にとっての真由佳。

 

 学生時代は、互いに少ないお金をやりくりして、小さな花束を贈り合ってきた。

 それは勤めたり、結婚したりしても変わらずに。

 そうやって、『親友』と言う安らぎの関係は続いていくのだと思っていた。


 けれど、真由佳が結婚して子供ができた頃から、一緒に出掛ける機会はめっきりなくなった。真由佳は子育てに忙殺されてへとへとになっていたし、子連れでのお出かけは互いに気を使うから。


 だんだん会えなくなってくると、会うことにも勇気がいるようになる。

 物理的距離は心理的距離をも生む。

 

 プレゼント、もう迷惑かな……



 心を決めきれないまま、明日香は閉店間際の『フルール・デュ・クール』に駆け込んだ。


「「いらっしゃいませ」」

 

 二色の優しい声に迎えられて、また落ち着かない気持になる。花を見るフリをして必死に誤魔化していた。


 それ以上は何も言ってこない二人だったが、花の手入れをしながらもこちらに気持ちを向けているのがわかる。圧に負けたように口を開いた。


「あの……花束を送っていただきたくて」

「かしこまりました。どなたへの贈り物ですか?」


 素早く反応した優。


「友人の誕生日なんですけれど」

「その方のお好きな花とかはわかりますか?」」


「そうね……彼女が好きなライラックを入れて欲しいんだけれど」

「ライラックですか。なるほど。お友達に贈られるにはとても良いですね」

「そうなの? 後はお任せで」


 そう言った明日香へ、雅が更に尋ねてくる。


「もしよろしければ、お友達に伝えたいお気持ちをお伺いしてもよろしいですか?」


 一瞬きょとんとした明日香。雅の手元のメッセージカードを見て納得する。


「ああ、メッセージカードを書くのね」

「カードもなんですが、花束にも込めることができますので」

「花束にメッセージ?」


 驚いたように目を見開いた後、「ああ」と頷く明日香。


「花言葉ね」

「はい」

「ちゃんと考えていなくて……というか、もうマンネリ化してるだけのプレゼントで、どうしたものかしらね」


 顔を曇らせた。


 

 

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