第16話 千歳のこと
「優、悪いけど今日は午前中で……」
配達から帰ってきた雅がぼそりと呟く。
「わかっているよ。月命日だもんな。千歳ちゃんの」
「ああ」
「どれでも好きなので花束作っていいからな」
「いつもありがとな」
花ケースへ視線を走らせた雅。
「あれからもう、八年か……」
「ああ」
いつもは明るい雅が、千歳のことになると無口になることは優が一番わかっていたので、それ以上は声をかけることもなく、二人で黙々と仕事を続けた。
仕入れた花を綺麗に仕分けたところで交代で昼を取る。その後、舞美と入れ違いに雅は帰って行った。
「雅君。妹さんの月命日にもちゃんとお墓参りしていて、偉いわよね」
舞美の言葉に、優も頷く。
「私は
兄の
兄の諒のことは、優も未だに思い出すと辛くなる。闘病生活は思いのほか短くて、アッと言う間の死だったから、受け入れがたい思いが残ってしまった。
その思いは、妻の舞美の方が更に大きいだろう。
最愛の
舞美の悲しみの深さは、諒への愛情の深さを意味する。
それは分っている。わかっているけれど、これ以上嘆いて欲しくないと思ってしまう。
義姉さん、もう十分だよ!
兄貴の代わりにこの店を守ってくれているだけで、義姉さんはもう十分だから。
いや、本当は……もう、兄貴に縛られないで欲しい―――
若い身空で未亡人となってしまった舞美には、新しい幸せを掴んで欲しいと本気で思っている。ただそこに、己の醜い欲望が見え隠れしていることに気づいているからこそ、耐えがたい苦痛を感じているのだ。
これは舞美への思いやりじゃない。俺のエゴだ!
どす黒い思いを断ち切るように、優は舞美に労いの言葉をかけた。
「義姉さんだって毎日兄さんに花を供えて手を合わせてくれているじゃないか。同じことだよ」
「……そう言ってくれて、優君ありがとう」
「さあて、俺は外の鉢花のチェックをしてきます」
「あ、あの」
「?」
「ううん。お願いします」
言葉を濁した舞美は、無理やり笑顔を張り付けた。
最近、優がよそよそしい理由は、なんとなく察しはついている。
でも、だからと言って、それを確かめてみる勇気も無いし、確かめたところでその先へ進めるとは思えない。
戸惑いと感謝。今はまだ、それ以上の感情を持つことができないのだから―――
丁度そこへ菓子を持った雫が尋ねてきた。
「おお、雫さんいらっしゃい」
「こんにちは。優さん、舞美さん」
「いらっしゃいませ。雫ちゃん」
優と舞美の表情があきらかにほうっとしたように緩む。
「今日は雅さんはお休みですか?」
「おしい。さっきまではいたんだけれどね」
「午後は用事があるみたいで、今ちょっと前に帰ったところなの」
舞美が気の毒そうに眉根を寄せた。
「そうなんですか」
「今日は何のお菓子かな? 雅の分も食っちまおうぜ」
「まあ、優君たら。それじゃ雫ちゃんが可哀そうよ」
「へ、なんで私が?」
「そっか」
「ええ」
きょとんとしている雫をよそに、優と舞美が顔を見合わせて笑った。
それは、久しぶりに二人で交わすなんの屈託もない笑顔。
「なんで私が可哀そうなんですか?」
意味がわからないと食い下がる雫に感謝しながら、二人はもう一度明るい笑顔を見せたのだった。
一か月ぶりの千歳の墓。毎回綺麗に手入れをしているので、特に掃除をしなければいけないことも無いのだが、雅は丁寧に水を撒いて清めた。
何の変哲もないグレーの墓石の両脇に持参した花を活ける。年頃の娘にふさわしい華やぎを取り戻したように感じて、ほっとした。
『千歳。今日はお前の好きだったアマリリスの花をメインにした花束だぞ』
花言葉
ピンクのアマリリス……おしゃべり
オオデマリ……華やかな恋、約束を守って、天国
オンシジュ―ム……清楚、一緒に踊って
『ちょっと遊び心があって楽しい花束だろ』
『優の店も軌道に乗り始めたよ。固定客も付き始めたし。本当はちょっと手伝うだけのつもりだったんだけれどな。どっぷりハマってしまったよ。花屋、結構面白い』
『色んなお客に会えるし、その人達の人生のステージに向き合う仕事っつうか。お手伝いができるって言うか……え! 何臭いセリフ言っているんだって? 俺だってたまには真面目なこと話すさ』
墓石の前にしゃがみ込み、ひたすら話しかけていた。心の中で。
声には出していないはず……多分。
雅は慌てて周りを見回した。
『そう言えば……ちょっと前に、お前と同い年くらいの女の子と知り合ったよ。え? お兄の彼女かって? いや、違うよ。全然そんなんじゃない。まあ、可愛いけれどな。お菓子を作るのが上手で。ちょっと千歳に似ているかな。外見の話じゃないぞ。中身の話。優しい子だよ』
妹の千歳が交通事故で亡くなったのは八年前。中学三年生の秋のことだった。
雅は大学二年生。バイトを始めて忙しくなって、一緒に過ごす時間が激減していた頃。
突然の悲報に、家族は呆然となった。
突然の死は、受け入れ難い。
しかも、朝元気よく出て行ったのに、帰りはもう冷たくなって帰って来たのだから。
何が起こったのかもわからないままに、葬儀をすませ荼毘にふす。
じわじわと押し寄せる喪失感は、八年たった今でも耐えがたい。
だからこうして、毎月千歳に話しに来ているのだ。
あの時、話せなかったこと。
あの日から今日までの、本当は話せたであろうことを。
静かに語る。ただ、そのためだけに―――
ふと、先日の男性客を思い出した。
亡くなった奥さんの好きな花のことを話していたな。
きっと、あの人も辛い思いを持て余しているに違いないと思った。
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