第29話 諒という存在

 長い長い撮影が終わり、一気に緊張の糸が解けた玲奈が、居間のソファにドスンと腰を下ろした。


「ああ、疲れた~。みんなも疲れたでしょう。ありがとうございました」


 アシスタントの二人は、心得たようにテキパキと片付けて帰って行く。舞美と優も残った花を車へ運ぼうとして、玲奈に引き止められた。


「そのまま置いていってくれる? 全部貰うわ」

「え、でも」

「実物見ながら考えたいこともいっぱいあるから、ね」


 そんな風に言われたら断れない。きっと店の事を考えてこんな心遣いをしてくれているのだろうと素直に感謝した。


 諒君が玲奈さんを尊敬していた気持ち、すっごく分かる!

 玲奈さんって本当に優しい。押し付けがましい理想論を掲げることもしないし、無理も無駄も弱さも恐れも、全部知りながら受け止めてくれる包容力を感じるのよね。


 諒が出会った人々の温かさを感じる度、舞美は不思議と自分も満たされるのを感じていた。


「二人共、もう少しだけ付き合ってくれる? なんとなく今日は、久しぶりに諒君をつまみに飲みたい気分なのよね」


 言い方は酷いが、玲奈が諒のことを深く思ってくれている事が伝わってくる。三人で思い出話をしたいと純粋に思っていて、それが諒への手向けだとわかって言っているのだ。


「ねっ、お願い。あ、でも運転手の優君は飲めなくってごめんね。ちゃんとノンアルコールも準備してあるからね。酔いつぶれた舞美ちゃんを送り届けてね」

「酔いつぶれるほど飲ませる気なんですか!?」


 目をまんまるにした舞美を見てカラカラと笑いながら、玲奈はさっさと準備を始めた。



 スパゲティやピザなどをササッと用意する玲奈は、パーティー慣れしているように見える。仲間内で集まる機会が多いのだろうと優は思った。

 

 そのもてなしの心が作品に深みを与え、人の心に訴えかけるのだろうな。


 乾杯して立て続けに杯を煽った玲奈が、写真を見せながら、諒と共に行ったアフリカ撮影旅行のことを話してくれた。まだ入社して間もない諒の姿は若々しく初々しい。現地の人々と笑顔で語らう姿に、鼻の奥が少しばかりツンとした舞美は、慌ててワイングラスを飲み干した。


「ああ、久しぶりに美味しいお酒」 


 そう言って笑った玲奈がしみじみと語り始める。


「諒君ってさぁ、本当に単純で真っ直ぐな子だったよね」 

「単純! ああ、そっか」


 妙に納得して笑い出した舞美。そんな二人を少し遠目に眺めながらちびりちびりとノンアルコール缶を傾ける優。


「いつでも前向きでへこまなくて、楽観的で体力があって。周りに伝播するあの明るさとエネルギーは凄いなーって思って。助かるなぁって思いつつも妬ましくてね。一緒にアフリカを旅しながら粗探ししてた」

「「え!?」」


 これには舞美だけで無く、優もびっくりして声をあげる。


「綺麗な花を撮ってる人の中身がこんなんでショックを受けたでしょ」

「「いえ!」」


 慌てて首を横に降る二人を愛おしそうに見つめながら言葉を続けた。


「あの頃の私、かなり行き詰まっていたのよね。カメラマンを目指した時から、私は凄く我儘だったの。一流のカメラマンになりたくて必死で技術と人脈を広げようと貪欲に動き続けてきて、それこそ周りの人を道具や手段のようにばかり見ていたわ」


 今の玲奈からは想像もつかないような荒んだ余裕のなさが垣間見えるエピソードに、舞美も優も再び息を呑んだ。


「それでもアシスタント止まり。当時の事務所から飛び出す勇気も無い。これと言って誇れる特別な物も無い。利用しているつもりが、結局利用されている現実を思い知らされて……だから、彼の若さと真っ直ぐさが痛かった」


 玲奈の瞳が、真っ直ぐに優を捉えた。当時の暗闇を抱えたような瞳孔に、既視感を覚える。


 この目を……俺は知っている。


 雅にブラコンと言われるくらい、大好きで尊敬していた兄。

 同時に、劣等感に苛まれた日々。


 あの頃の自分は……いや、今の俺も、同じ目をしているに違いない。


 何故、玲奈が自分にだけ聞こえるように紫陽花の花言葉について呟いたのか、なんとなく分かったような気がした。


 玲奈さんは気づいているんだ。俺の中のドス黒い思いに―――


 優の気付きを感じ取ったかのように、急速に眼差しを和らげる玲奈。


「アフリカって、時間の感覚が日本とは全然違っていてね。不便だったり貧しかったりしても、自然に感謝して生きている人々に出会ったの。そうしたら、分かった気がしたのよ。堂本諒って人物のこと」


「え! どんな人物だと思われたんですか?」


 興味津々な舞美の声に、玲奈がいたずらっぽい笑みを浮かべる。


「彼はね、とことんシンプルなのよ。だから悩む時間を進む時間に変えられるし、悪意を感じづらいから不安も少ない。そんな底抜けの明るさを生まれながらにして授けられた強運の持ち主なんだって分かったの。やっぱり妬ましいわ」


 最後の方は笑いながら悪態を添える。


「でもね、同時に気付いたの。天から授かれなかった私は、マイナス思考と煩悩地獄でのたうち回りながら、劣等感に苛まれる人生を生きて来るしかなかったけど、ちゃんとここまで生き延びてきた。それだけでも凄いことなんだってね。そう気づいたら、目の前がぱあっと開けて、肩の力がすうっと抜けていくのを感じたわ」


 プシュッとまた缶を開け、乾杯するように軽く掲げた。


「初めて自分を自分自身として受け入れられた気がしたの。だから諒君と出会えたことに感謝しているのよ。それなのに、こんなに早く逝っちゃうなんてね。念願の花屋の成長も見れず、こんな可愛い妻を置いていかなければいけないなんて。どれほど無念だったろうって思ったら、やっぱり強運と悪運はセットなのかもしれないわね」


 しんみりと呟くと、また一口ぐいっと缶を煽った。


「とことん単純でお人好しな諒君はさ、私が横でこんな悪意あることごちゃごちゃ考えているなんて思ってもいなかったみたいでね。旅の終わりにアフリカのバラをプレゼントしてくれたのよ。『お疲れ様でした!』って」


 噛みしめるように言う。


「『アフリカローズの花言葉は、感謝と発展、活発なんですよ。旅に同行していただいてありがとうございました。それから神尾さんがますます素敵な写真を撮れるように応援しています!』って言いながらね。参ったわよね。完敗って感じ」


 潤む瞳を持て余すように笑い出した。


「もう、憎らしいのに憎ませてくれない酷い男よ。だから、同じ被害を被っているだろう二人と一緒に彼を忍びたかったのかもしれないわね。付き合わせてしまってごめんなさいね」


 そうか、だからか―――


 優の中に降り積もって根雪のようにカチコチになっていた思い。

 玲奈の一言一言が、ゆっくりと溶かしていくのを感じ取っていた。

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