第7話 花束をください

 今日は朝からしとしとと雨が続いていたので、『フルール・デュ・クール』の店頭に、いつものような花鉢は並んでいない。ここのところ毎夕来ていた女子高生のお客様達も訪れてはいなかった。

 久しぶりに静かな夕暮れ時。

 雅と舞美は、作業の手を止めて窓の外を眺めた。


「良く降りますね」

「本当ね。でも、草木には恵みの雨になったと思うわ。ここのところ良い天気が続いていたからね」


 緩やかなウェーブのかかった髪を、後ろできゅっとポニーテールに結んだ舞美は、優し気な面差しを花々に向けながら、鉢花の手入れをしていた。

 枯れた葉や咲き終わった花を取り除いて、栄養が行き渡るようにすることは大切な仕事の一つ。


「ねえ、雅君」

「なんでしょうか?」


 やや色素の薄い瞳に影が落ちる。小さくてふっくらとした唇から、さり気ない感じを装いながら言葉がこぼれた。


「優君、元気にしている?」

「ええ、相変わらずぶつぶつ言いながらも元気ですよ」

「そう、なら良かった」

「全然会ってないんですか?」

「……ここのところシフトがいつも違うから、なんか私嫌われるようなことしちゃったかなと思って」


 雅は舞美を真正面からとらえた。

 色白で柔らかな目元、主張し過ぎない鼻と口。笑うとえくぼができるので幼く見える時もあるが、その胸の内は強くて熱い思いに溢れている。


 若くして未亡人となってしまった舞美は、健気にも亡き夫、諒の意思を継いでこの店を切り盛りしていた。店頭に揃えた花の鮮度が高いのは、舞美の粘り強い交渉と努力の賜物。小柄でおとなしい彼女のどこに、これほどのバイタリティが隠されていたのかと周りのみんなが驚いた。


 舞美が目の下にクマを作りながら必死でお店を立て直そうと奔走している時、優は片時も彼女の傍を離れずに支え続けていた。


 それなのに、店が軌道に乗り始めた途端、距離を取り始めたのだ。


 こんな風に、わざとシフトをずらしてまで。


 それが、舞美にとっては悲しくて気がかりなのだろう。


「気にすること無いですよ。じじい体質だから、朝早いのはいいけれど、夕方はもうおねむなんです」

「うふふ。雅君ったら。でも、ありがとうね」 


 そこで会話は途切れた。


 舞美が優の想いに気づいているかは、雅にはわからない。

 気づいていたとしても、きっとその先へ進むことは容易ではないだろう。


 義姉と弟の間には、亡くなったとは言え、偉大なの存在が今も居て、二人はそれぞれ諒を思慕している。その壁を超えることは簡単では無いだろう。


 

 サーッという雨音に耳を澄ませていると、タッタッタッタッと言う駆け足が近づいて来た。

 猫の絵柄の付いた水色の傘と共に飛び込んできたのは、中村雪菜だった。弾んだ息を整えながら、興奮したように言う。


「あ、あの! 告白にぴったりな花束をください!」

「おお、遂に」


 目を見開いた雅がそう言うと、雪菜は嬉しそうに頷いた。


「雅さんがあの時言ってくれた言葉、とても励みになりました。縁があったら……そう思っていたら、今日、わかったんです!」

「何が?」

「克己と南さんは付き合って無いって。っていうか、南さんは好きだったみたいなんだけれど、克己が断ったらしくて……その、好きな人がいるからって」

「そうなんだ」

「克己の好きな人が私ってことはないんだけれど……でも、今だったら、告白してもダメじゃ無いなって思って。だから、今から急いで告白してきます。もう、伝えるだけ伝えないと、私も次に進めないから。ちゃんと告白して、断られてきます!」

「……そっか。その覚悟があれば、道は開ける。よし。とびきり可愛い花束を作ってあげよう」


 傍で聞いていた舞美も嬉しそうな顔になる。二人であれこれ言いながら作った花束はこの間と同じチューリップとガーベラにカーネーションを加えて、カスミソウの代わりに緑のワイヤープランツを添えた鮮やかな色合いの花束になった。


「うわぁ、可愛い」

「たくさんの想いが込められた花たちですからね。告白、頑張ってくださいね」

 舞美の笑顔に見送られて、雪菜は力強く雨の中へと踏み出して行った。


「想いが伝わるといいわね」

 しみじみと呟いた舞美を見て、雅もコクリと頷いた。


 舞美さんの気持ち、優の気持ち。


 互いの気持ちも、いつか素直に伝え合えるといいのにと思いながら。 

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