第45話 願い事

 ママ、上手に出来たねって言ってくれるかな?


 うきうきと楽しげな歩みは、家が近づくにつれてとぼとぼと静かになってしまった。


 ママと透也、帰って来れたかな?

 結局、昨夜は二人とも病院へお泊まりになってしまって、今日の朝食はパパが作ってくれたので、ちょっとカリカリお焦げ付きの目玉焼きだった。

 また今日もおばあちゃんが来ていたら……と、ちょっぴり悲しい気持ちになる。


「ただいま」

 

 小さな声で言いながら玄関の扉を開けた。


「おかえりなさい」

「あ……ママ!」


 ママが慌ててやって来て、ぎゅっと抱きしめてくれた。


「来未ちゃん、ごめんね。昨日は帰って来れなくて」

「ううん、大丈夫だよ。透也も帰ってきているんだよね?」

「うーん、透也は明日までお泊まりになっちゃった」

「そうなんだ……」


 そっか。また、ママは病院に行っちゃうんだ。


 悲しくなってしりすぼみの声になる。


「でも、今夜はパパが代わってくれることになったから、ママは来未と一緒に寝られるよ」

「え! 本当?」


 つい、嬉しそうな声を上げてしまって、ハッとする。


 透也は病院で辛い思いをしているのに、嬉しいなんて思って、酷いお姉ちゃんだな、私って。


 でも、素直な思いは隠しきれなかった。心がまた、うきうきとして明るくなる。


「そうだ! ママ、これあげる。ママへのプレゼント!」

「ありがとう。とっても綺麗ね」


『これはどうしたの?』と尋ねようとして、一緒に包まれていた手紙に気づいた。几帳面な字で丁寧に書かれた手紙には、突然渡された親が驚かないようにと気遣いながらも、簡潔に経緯が記されていた。


 来未ちゃん……毎日放課後は、美海ちゃんと遊んでいるとばかり思っていたのに、本当はお花屋さんに行っていたのね!


 事実に気づいてちょっとショックだった。


 そういえば透也が生まれてからは、来未のこと、ちゃんと見てあげられていなかった。ずうっと寂しい思いをさせてしまっていたんだわ……


 ママは思わず目頭が熱くなって、もう一度来未を抱きしめた。


「来未ちゃん、ありがとう」

「うん」


 ママ、喜んでくれた! 良かったぁ。


 もう一度抱きしめられて、来未の心の中に『安心感』という温かいものがじわじわと広がっていった。

 それはとっても強くて、さっきまでの『寂寥感』をぐいぐいと押し潰してくれた。



 翌日、母親と一緒に訪れた来未を見て、舞美はほっと胸を撫で下ろした。


 来未ちゃん嬉しそう! きっとママも喜んでくれたのね。


 来未の母親は丁寧に頭を下げると、来未が毎日お世話になっていた事への感謝と、かいつまんだ事情を話してくれた。

 弟が生まれてからは、来未に我慢をさせていたこと、いつも遊んでいたお友達は習い事をいくつも始めてしまったので、遊べる日が減ってしまったこと等、来未から聞いた事情も含めて語ると、深々と頭を下げた。


「来未のこと、ありがとうございました」

「いえいえ、私達も来未ちゃんと過ごせて楽しかったですし、これからもいつでも遊びに来てくれると嬉しいです」

「そう言っていただけて、ちょっとほっとしました。でも……」


 来未に聞こえないような小さな声で「お店の邪魔をしてしまったのでは無いですか? 本当にすみませんでした」と恐縮する。


 そんな母親へ、舞美はきっぱりと言った。


「いいえ。寧ろ素敵なアイデアをいただけましたから」


 確かに、このハーバリウム体験教室は、来未のために考えた苦肉の策ではあった。身を潜めるようにしながらも訪れる来未が、少しでも安心して店内で過ごせるようになったら……そんな思いから三人で考え出した案。


 でも、やってみて気付きもあった。


 小さい頃から花に親しみ、花を愛で花を贈る事が身近になっていたら―――

 それは将来のお客様を生み出すことでもあるのだ。

 食育ならぬ、花育!?

 勝手に命名して楽しくなる。

 

 まあ、お店の売上の話になるとちょっと現実的過ぎる話になってしまうけれど、大人になっても花に囲まれた生活は、心を穏やかに保つ助けになるはず。


 私だったら、そんな、温かい世界で生きられた方が嬉しいから。


 これからも、体験教室を開いていこうと思えたのだった。



 それからも、来未は『フルール・デュ・クール』のお客様だ。

 もう、毎日では無いし、一人では無くてお友達と来る日も増えた。

 そんな彼らの要望に応える形で、体験教室も続けている。

 子どもでも参加しやすいように、五百円コイン一つ。

 材料費を賄えるかどうかの瀬戸際だが、舞美はそれでも続けたいと思っている。


 そんな舞美を支えてくれる優秀な二人がいるから、自分の決断を信じて進めるのだ。

 

 そんな今に、感謝している。



「舞美さん、私、またお願い事をしようと思って」 

 

 来未がそんなことを言い出したのは、しばらくしてからのこと。


「やっぱり願い事が叶ったら嬉しいから」


 そう言ってはにかんだような笑みを浮かべる。


「早く透也が元気になって一緒に遊べるようになりたいなって思って、今度は透也にあげるハーバリウムを作りたいの」

「それは素敵ね」


 舞美は早速材料の準備を始めた。


『……願いが叶っても、いいことばかりじゃ無いから』

 硬い表情でそう言っていた少女が、もう一度願い事をしてもいいかなと思ってくれたことは、舞美にも勇気をくれた。


 もちろん、願い事は必ず叶うとは言い切れないし、また悲しい出来事だって起こってしまうだろう。


 それでも『願い事』をすることは、生きる力をくれるはずだ。



 花言葉

 ペンタス……希望が叶う、願い事

 マリーゴールド……勇者、元気、生命の輝き

 ディモルフォセカ(ドライフラワー)……元気、豊富

 リンフラワー(ドライフラワー)……あなたの親切に感謝する

 

 



 


 



 

 


 

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