第13話 本当に伝えたいことは

 はっと顔を上げた知里。驚いたように見つめる優と雫。

 雅は静かに言葉を続けた。


「誰かのためにって気持ちは、凄く尊い事だと思います。でも、それを一人の人にずーっと捧げ続けていたら……自分が消えちゃいそうだなって、思うんですよ。境目がなくなっちゃうって感覚かな。坂崎さんはお母さんが喜ぶことをたくさんやってあげたいって思っているんですよね。自分のことを一生懸命育ててくれたから。でも、お母さんが喜ぶことって、本当に貴方がやりたいことばかりですか?」


「それは……やりたいことばかりじゃないけれど」


「後、俺、昨日お母さんと話した時感じたんですけど、貴方のお母さんは坂崎さんのことより自分の心配をしているみたいだなって」


「え!」


「言葉の奥に、これ以上を心配させるなっていう苛つきを感じたんです。を安心させるために帰って来いって言われたような気がして。俺は他人だから聞き流せるけれど、お母さんのことが大好きな娘の立場だったら……自分の気持ちを捨ててまでお母さんのためにって思ってしまうんじゃないですか?」


 項垂れる知里に、雅は真剣な眼差しを食い込ませる。


母娘おやこと言っても別の人間だから、違う考え、違う生き方をして当然なんです。そのことを、貴方も貴方のお母さんも、忘れてしまっているのかなって思いました。きっと、近くに居過ぎたから」


 知里の頬を再び涙が伝い落ちた。


「坂崎さんが坂崎さんのために生きることに、罪悪感を抱かないで欲しいなって思います。育ててくれたお母さんには、『ありがとう』と伝えるだけでいいはずなんですよ。だって、親は自分の意思で生んで育てるんですから。子どもが負い目を感じる必要は無いんです。だからもう一度冷静に考えてみてください。坂崎さんがお母さんに伝えたい気持ちは何ですか?」


 伝えたい気持ち?


 雅の問いかけに、知里は直ぐには思いつかなかった。


 私の本当の気持ち……


 指摘されて初めて気づく。何故、こんなに苦しいのか。

 

 母を喜ばせたい―――その気持ちがいつの間にか呪いとなっていた。

 母の顔色を伺い、母を悲しませないように生きようとして、できない罪悪感に苛まれ続けた。

 

 それはとても息苦しくて、そこから抜け出したくて……


 でも支配され続けた思考を覆すのは容易では無くて、中途半端にチャレンジしては母の怒りと縋る眼差しに挫折と後悔を繰り返していた。


 だから決死の思いで家を出たのだ。物理的に距離を置けば変われると、母も変わってくれると思ったから。


 でも、簡単にはいかないわね……


 今回のことではっきりと分かった。

 雅の言う通り、こんな中途半端な状態でノコノコ帰ったら元の木阿弥だ。もう二度と抜け出せなくなってしまうかもしれない。


 じゃあ、自分はどうしたら良いのか?

 本当はどうしたいと思っているのか?

 どうしたら、母の横でも楽に息ができるのか?


 そして―――本当は、母にどうして欲しいのか?


 いつの間にか知里の涙は止まっていた。少しずつ、安堵と感謝が広がっていく。


「私、この罪悪感を誰かに共に背負って欲しかったのかもしれません。私は間違っていないって言って欲しかった。大丈夫って背中を押して欲しかった。だから、あなたのその言葉、本当に嬉しかったです。ありがとうございました。本当に伝えたいこと、ゆっくり考えてみます」


 そう言って頭を下げた。


「すみません。生意気言って。でも、そう言ってもらえてほっとしました」

 雅がほっと息を吐くと、優がすうっとティッシュ箱を差し出した。


 涙の最後の一滴を拭き終えた知里に、雫がそっと声を掛ける。


「あの、嫌でなければなんですけれど……」

「え、ああ。綺麗」


 カップケーキの上には、ピンクのペンタスと紫のビオラ。

 

「食べられるお花なんですよ」

「へえ」


 知里は受け取ると一口齧った。花弁の食感が、意外とサクリと口内に響いて驚く。


「美味しい。お花も凄く新鮮」

「ああ、良かったです。ペンタスの花言葉は『希望が叶う』、紫のビオラは『揺るがない魂』という花言葉があるそうです。今教えて頂いたばかりなんですけれど」


 その言葉に、きらりと瞳を瞬かせた知里。


「花言葉も素敵」

 そう言って大切そうにケーキを抱えると、一口、また一口と、その身に刻むように味わっていった。



「本当の気持ちを届けたくなったら、またいつでも花束のご注文にいらしてください。うちの店のモットーは『お客様の心を映す花束を作ること』ですから」

 雅の言葉に大きく頷く優。素直に頷いた知里は、何度もお辞儀しながら帰って行った。




 それから一週間後。知里の母親のマンションの前。

 雅と雫は意を決したように頷き合うと、インターフォンのボタンに力を込めた。


 あの後、知里は再度花束を頼みに来た。今度こそ母親への気持ちを全て詰め込んだ花束を。

 

 だが、また突き返されるかもしれない。

 緊張した面持ちの雅に、雫が一緒に行きたいと言い出した。

 静かだが揺るぎない雫の決意に思わず頷いてしまった雅だったが、玄関扉を目にした途端、雫が一緒で本当に助かったと思ったのだった。


 あの日と同じように暗い顔をした母親は、雫が娘で無いことに不満と戸惑いを見せつつも、花束は素直に受け取ってくれた。


「あの、差し出がましいのは承知で申し上げます。中のカードもちゃんと見てあげてください。これは知里さんの気持ちが込められた大切なメッセージと花束なんです。どうか、よろしくお願いします!」

「お願いします!」

 二人で一緒に頭を下げれば、呆れたようにため息をついた。


「あなたたち、娘に頼まれたのね。あの子は……元気かしら?」

「新しい職場で頑張っていらっしゃるそうです」

「そう……やっぱり、教えてくれないんでしょう。娘の電話番号は」

「それは、いつかきっと、坂崎さんがご自身で知らせにいらっしゃると思います。それまで、少しだけ待っていただけないでしょうか」


 一生懸命な雅と雫の眼差しから逃れるように目を伏せた母親だったが、詫びの言葉と共に扉の向こうへと消えて行った。


「この間は……ごめんなさいね。何の関係も無い貴方に当たり散らしてしまって」



「ちゃんと見てくれるといいですね」

「そうだね。見てくれることを祈ろう」


 車に戻って二人してほっと息を吐く。


「雫ちゃん、一緒に来てくれてありがとう。雫ちゃんがいてくれて助かったよ」

「そう言っていただけて良かったです。なんとなく、一人だと辛いなって思って」

「うん。この前のことを思い出して逃げ出しそうになってた。雫ちゃんが居なかったらどうなっていたことか」

「それは無いと思いますよ」

「え?」

「雅さんはそれでも踏みとどまって、ちゃんと渡してきたはずです」

「そうかな?」

「そうです」


「……ありがとう」

 二人で顔を見合わせて、笑い合った。


 花言葉

 ピンクのカンパニュラ……感謝

 白いダリア……感謝、豊かな愛情

 赤のカーネーション……母への愛

 友禅菊……老いても元気で

 ナナカマド……私はあなたを見守っています



 花束に込めたのは、今まで育ててくれた母への感謝の気持ち。

 そして、ナナカマドが告げるのは、本当は知里が母親に言って欲しかった言葉。

 

 私、お母さんに見守っていて欲しかったの――—


 近づき過ぎた母娘が、互いの違いを受け入れるには時間が必要だ。

 だから、今は少し離れたところから……


 私も、お母さんを見守っているからね!

 

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