第12話 ありのまま

「こんにちは」

 今日もカップケーキ片手にやってきた雫は、雅が差し出したエディブルフラワーのセットを宝物のように受け取ると目を輝かせた。


「綺麗……」

「柏木花園のは特別フレッシュだからね」

「食べられる花って、思った以上に種類があるんだよね」

 優も加わって、三人で一瞬を切り取ったような花弁たちを見つめる。


 ピンクのペチュニア、ペンタス

 赤のゼラニウム、ナスタチューム

 オレンジのマリーゴールド

 黄色のパンジー、デイジー

 青のコーンフラワー

 白のベゴニア

 紫のビオラ


「こんなにいろんなエディブルフラワーがあったなんて知りませんでした」


 感嘆の声と共に顔を上げた雫が、一瞬「?」と瞳を揺らした。


 あれ……なんか雅さん元気がないみたい。


 とても微細な変化だから、気のせいかもしれないとも思う。でも、そのまま流してしまうこともできず。かと言って面と向かって『どうしたんですか?』なんて聞けるような雫では無い。


 じぃっとエディブルフラワーを見つめた後、ピンクのペチュニアと黄色のデイジーを手にとって、持ってきたカップケーキの上に飾り付けた。華やかで可憐なケーキの完成だ。


「あの、こんなのどうでしょうか?」

 

 そうっと差し出せば、二人の顔に正直な反応が溢れ出た。


「へえー。綺麗だな」


 即座に顔を輝かせた雅。


「黄色のデイジーは『ありのまま』、ピンクのペチュニアは『自然な心』という花言葉だから、どちらも飾らない姿を受け入れてくれる優しさを感じるよね。それに、ペチュニアは色に関係無く『貴方と一緒なら心が和らぐ』なんて言葉も持っているから、誰かと一緒に食べるのにピッタリだな」


 茶目っ気宿る瞳で雫と雅を交互に見ながら、優が蘊蓄を披露する。


「え、そうだったんですか。知らなかった……でも、私の本心です! お二人と一緒に食べられて、嬉しいです!」


「それは光栄だな。な、雅」

「ああ……」


 雅がようやく、ふわっと心をほどいたような笑みを浮かべた。つられたように、雫の心にぽわっと火が灯る。


「食べるのもったいないな」

「もったいないけれど、食べないともっともったいないから、是非、召し上がってみてください」


 珍しく積極的に、雫は二人にカップケーキを握らせた。


「「いただきます」」

 

 二色の声が響いて、その後静寂。もぐもぐ。


「結構香りがするね」

「食感もあるね」


 雫も続けてパクリと齧って頷いた。

「ですね。甘みを抑えたクリームに合いますね」


「柏木さんところで作っているのは知っていたけれど、実際に食べてみたことなかったからな。結構いけるね。このケーキ、売り出したら話題になりそうだな」

 優の言葉に、雅も大きく頷いた。


「そ、そんな夢のようなこと……」

「絶対に買うよ、俺だったら」

 二つ目に手を伸ばしながら、雅が笑顔で言う。

「俺も」

 もごもごと口の中で同意する優。

「そんなふうに言って頂けて、また元気をもらいました。ありがとうございます」

 ペコリと頭を下げられて、優も雅も照れくさそうに頭を掻いた。



 そこへ、おずおずと店内へ入ってきた女性。


「いらっしゃいま……あれ、坂崎さん!」

 雅に気づくやいなや、さっと頭を下げた。


「昨日は……ご迷惑をおかけしました」

「いえ、別に、大丈夫ですよ。ただ、あなたの気持ちをお届けできなくて申しわけなかったなと」

「母が酷いことを言ったんじゃないですか。本当にごめんなさい」


 深々と頭を下げ続ける。


「本当に大丈夫ですから、頭を上げてください」

 雅の言葉にようやく顔をあげた知里だったが、よく眠れなかったようで腫れぼったい目をしていた。


「私のせいで……」


 言い募る知里に、優も毅然とした態度で言う。


「坂崎様はお花を贈りたかったけれど、今回は先方様がお望みで無かったんですね。誰のせいでもありませんから、お気遣い無用です」


「ありがとうございます」


 くしゃりと顔を歪めて知里がもう一度頭を下げた。


「お陰様で吹っ切れました。やっぱり帰らないといけないんだなって」

「え! ちょっと待ってください」


 雅が慌てたように引き留める。


「帰るって、坂崎さんは何かご事情があって家を出られたんですよね? それは解決できたんですか?」

「……」

「良かったら、吐き出してみませんか?」

「雅、お前……」


 小さくため息をついた優だったが、カウンター奥から丸椅子を持ってきて知里に勧めた。


「いえ、お客様の邪魔になるから」

「今はお客様がいませんので大丈夫ですよ。雫さんもどうぞ」


 雫に『ごめんね』と目で伝えながら、もう一つ椅子を並べた。


 色とりどりの花に囲まれて座っている女性二人。向かい合う男性二人。

 逡巡しながらも、雅が口火を切った。


「……昨日お母様から聞きました。坂崎さんは内緒で家を出られて音信不通だって。だから心配で眠れなかったと。でも、俺、ちょっと違和感を感じたっていうか……お母さんが坂崎さんを心配しているのは本当のことだと思うんですけれど、百パーセメントじゃないっていう気がして、なんかこう、モヤモヤしたんです。だから、坂崎さんも、モヤモヤしているんじゃないかなって思って」


 知里の瞳が大きく見開かれた。


「やっぱり……そうですよね」


 小さくそう呟くと、全身からみるみる力が抜けていく。


「うちは母子家庭で、実は私、父と会ったことが無いんです。私が産まれた直後に離婚したみたいで、母があまり話したがらないから聞いたこともなくて……でも、私のことを一生懸命育ててくれました。それが母の生きる意味であって、希望でもあったようで。いつも二人一心同体って感じで」


 そこで一旦切ると、ふうぅーっと大きく息を吐いた。


「それなのに……いつの間にか凄く息苦しく感じるようになっていたんです。でも、母には感謝していましたし、大好きでしたし、いずれは一緒に住んで私が老後の面倒を見てあげるんだって、そんな事を漠然と考えていたんですけれど……好きになった男性ひとが一人息子で」

「もしかして、結婚を反対されたんですか」


 コクリと頷いた。

 

「彼は優しい人だったから、母のことも大切にするって言ってくれて、賛成してもらえるように努力するって言ってくれたんですけれど、全然聞く耳を持たなくて。反対されたまま結婚したいとも思えなくて」

「そうだったんですか……」

「結局、彼ともうまくいかなくなって、同じ会社だったから居づらくなって……家で過呼吸で倒れかけて、もう限界って。だから家を飛び出したんです。母との関係を断ち切りたかった」


 堰を切ったように泣き始めた知里の背を、雫が静かにさする。


「それなのに、おかしいんですよ。ちっとも晴れ晴れしないんです。あんなにも母と離れたくてしかたなかったのに、母と離れても落ち着かないんです。どうしているんだろうとか。体調崩してないかなとか。どうして我慢できなかったんだろうとか罪悪感に蝕まれて。もう……どうして良いかわからなくなってしまって」


「だから母の日に花を贈ろうと思われたんですね」


 涙に溺れるように頷いた。


「ごめんなさい。そのせいで、あなたに嫌な思いをさせてしまいました」


 そんな知里を真っ直ぐに見つめながら、優しい眼差しになった雅。だが、迷いなく言い切った。


「だったら、やっぱり、まだ帰っちゃだめですよ」


 

 

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