あなたの心贈ります
涼月
Episode 1 苔珊瑚の出会い
第1話 眼鏡男子
図書館へ続く桜並木は思った通り花盛り。
はらはらと舞い散る花弁に包まれて、ああ、綺麗だなと素直に思う。
半年ぶりの空は青くて、眩しくて、見上げると自然と涙が出てくる。
そして……ちょっとくらくらする。
この半年、雫の世界は自分の部屋の中だけだった。
他人から見たら、ニート。引きこもり。
そんな言葉で括られるのだろう。
その言葉の持つ負の意味に傷つけられ続けているけれど、カテゴライズされた中に居られるなら、まだ私は社会の一員なのかな。
自嘲気味にそう心の中で呟く。
就職して一年半で仕事を辞めた。
会社に行かれなくなってしまったから。
厳しい就職戦線を勝ち抜いてやっと入れた会社だったが、想像以上にハードな職場だった。
真面目で争うことがきらいな雫は、兎に角NOが言えない。
頼まれるとNOが言えないから仕事が溜まっていく。
本来であれば上司が仕事量をコントロールしてくれれば良いのだが、その上司も仕事に追われている。
みんな、必死で走っていた。
何のために仕事をしているのかなんて考える間も無く、目の前に次々と現れるハードルを必死に飛び越えていたら、いつの間にかライフがゼロになっていた。
そう言うことだ。
だんだんと、朝起きられなくなった。
無理して起きて、重い体を引きずる様に会社に行ったけれど、今度は眩暈や動悸が止まらなくなった。
しかたなく会社を休んで病院に行ってみたが、疲れがたまっているのでしょうと言って精神安定剤と眠り薬が処方されただけ。
結局会社を辞めた。
それでも雫は社会や会社に怒りを向けることはできなかった。
誰が悪いわけでは無い。
ただ、自分がついて行かれなかっただけ……
行き場のない思いは、自分への攻撃と化した。
脱落者。そう、私は脱落者だ!
もともとのんびりとしたところがあって、要領のいい方でも、コミュニケーション能力が高い方でも無かった。それでも今までは、誤魔化し誤魔化し、自分に『できる、できる、大丈夫』と声をかけてここまでやってきた。
それなのに……ついにメッキが剥がれてしまった。
もう、自分の手元には何も残っていない。
どうにもならない八方塞がり。
焦燥感と絶望感がグルグル回る。
この先どうすればいいんだろう?
どこにも居場所なんてない。
こんな役立たず、いないほうがいいかもしれないとさえ思い始める。
苦しい。死にたい。
でも―――死ぬのも怖い!
行き詰って、息が詰まって、ぽろぽろと涙が止まらなくて。
ぽつりと思った。
満開の桜が見たいな……
桜の木は気候変動にも人の気持ちにも関係無く、己のバイオリズムに従って生きている。
冬の寒さの後に春の風が吹いたから花弁を広げただけ。
桜はただあるべき姿で佇んでいた。
それで美しいと褒められたいとか、誰かを慰めようとか思っているわけでも無く。
散らないで欲しいと望まれたり、永遠の美を求められても応える気はサラサラ無い。
時期が過ぎれば潔く散り去るのみ。
そんな距離感が、傷ついた雫の心には心地良く感じられた。
互いに影響されない。
ただそこにあるだけ。
美しく思う私もまた、ただここにいるだけ……
無心で咲き誇る桜を目の前にしたら、やっぱり死にたくないと心が叫んだ―――
生きていたい!
息をしているだけ。それだけだっていいじゃない。
社会の中でやっていけるとかいけないとか。
みんなの迷惑になるとか役立たずとか。
そんなこと、もう、どうでもいい!
私は今、生きている。ただそれだけで、この先も生きていく理由になるはず。
淡桃色の花びらに包まれながらゆっくり歩いていたが、ふと違う
こんなところに花屋さんなんてあったかしら?
並木道の終点に小さな花屋を発見した。
そのまま前を通り過ぎようとして、店先のベンチ横に並ぶ小さな色とりどりの花々に吸い寄せられた。
たくさんの苗鉢には、花々が溢れている。
パンジー、ビオラ、アリッサム……黄色、紫、白、ピンク。
そんな中に、銀色っぽい葉や、丸い可愛らしい葉を付けた鉢などもあり、きっと組み合わせて鉢植えにしたら綺麗なのだろうなと心が弾んだ。
そんな自分の心に驚いた―――
「いらっしゃいませ!」
店の中から、若い男性が出て来た。
ふわりと茶味がかった柔らかな髪が風に揺れる。
細い黒縁眼鏡の奥には穏やかな瞳。
白いシャツの腕をまくり黒いカフェエプロンをキュッと身に付けた姿がとても似合っている。
鉢横にしゃがみこんだ雫の傍に来て、優しい笑顔を落としてきた。
「どんな花をお探しですか?」
「い、いえ……」
雫は慌てて立ち上がるとその場を逃げ出した。
ドキドキバクバクの心臓。
久しぶりに他人に声を掛けられたからかな。
それとも麗しい立ち姿、柔らかい声のせいかな。
しばらくしてそっと振り返ると、男性店員は驚いたようにこちらを見ている。
申し訳ない気持ちになりながら、雫はそのまま家へと帰ってきた。
久しぶりの外出ですっかり力尽きてぐったりと布団に潜り込む。
母親が心配そうに声を掛けてきたが、それに応えるのも面倒くさいくらいだった。
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