ぼくの話 25

ある日、上田先生が浮かない顔をしてやって来た。高校受験をするために、半年ほどお世話になっている先生だが、こんな表情は見たことがなかった。

何があったのか尋ねてみたい気もしたが、ぼくがそんなことを聞いても良いのか分からず躊躇った。第一、聞いたからと言って何をアドバイスできる訳でもない。仕事の悩みと言われてしまえば、返す言葉はぼくには持ち合わせていないのだ。


それでも、気になる。もしかしたら、話すだけでも楽になるかもしれない。それに、上田先生はアドバイスができないからと言って何か言うような人ではない。えぇい!聞いてしまえ!


「…上田先生、どうかしたんですか…?」

意を決してぼくは言葉を発する。

「…優也君…いや、別に大したことじゃ…いや、優也君には言っても良いかな。」


ぼくには言っても良い話?なんだろう?

秘密の話みたいで少しだけドキドキとする。


「…洋子ちゃんが、高校受験を辞めるって言い出したんだ。」

「えっ…?」


洋子が、高校受験を辞める…?

なんで?あんなに勉強していたのに?

コツコツと勉強していた洋子のことだ、学力が足りないなんてことも勉強が嫌になったということも無いだろう。


必死に考えるが、心当たりは見つからない。


「…なんで、ですか…?」

「それが、分からないんだ。この前授業に行ったらお母様が出てこられて『 もう高校受験は辞めるって言うんです。』って言われて…。お母様にも理由を尋ねたんだけど、話されてないみたいで『 知らないんです。』とだけ…。」

洋子は確か、お母さんの職業に憧れて教師を目指してたはずだ。そのお母さんにも理由を言わないということは、余程のことなのだろう。

自分のお母さんにも言えない理由を、ぼくが考えられるわけも無い。


「洋子には、会ったんですか?」

「部屋越しにね。中にも入れてくれなくてさ…理由を聞いても『 もう辞めたんです。』の一点張りでさ。あんまり無理に聞き出すのも良くないから、その日はそれで帰っちゃった。」

ははっと乾いたように笑っているが、先生の瞳には哀愁が漂っている。


ぼくが不登校になった後に同じく不登校になった洋子。

ぼくよりもずっと努力を続けていた洋子。

彼女に一体何があったというのか。


ぼくが知らないことも教えてくれた洋子。

ワンツーマンでやっていた勉強も、洋子が来る時は友達と勉強している雰囲気がして楽しかった。

彼女は勉強を続けていて、昔と変わらず賢かった。そんな彼女と自分を比べて、なんて怠惰だったんだと悲観することもあったけど、同じように頑張ろうとも思えた。


ぼくの目標になっていた。


強く、聡い彼女。彼女に何ができるだろうか?ぼくにも彼女を勇気づけることはできないだろうか?


クラスの話し合いの時、誰一人として橋本達の悪事を言い出すことはできなかった。でも、彼女は最初の一言を紡ぎ出してくれた。

たとえ、それがぼくを助けるためではなく、自らの正義感からくるものだったとしても、僕が嬉しい気持ちになったのは変えようのない事実だから。

今度はぼくが、彼女を暗闇から救い出す一言を言いたい。


ぼくは静かに太ももの上に置いた手のひらをギュッと握った。

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