ぼくの話 28
洋子に誘われるまま部屋に入ったぼくは、彼女を見た。
目は泣き腫らしたのであろう、もともとの一重がさらに重くなっており、いつもの半分ほどしか目が開いていないように見える。お風呂にも長らく入っていないのだろう、髪は冬にも関わらず少しベタついているように感じた。
彼女のドアを開けることに成功はしたが、ここからはどうしようか、全く考えていない。
なぜぼくだけ部屋に入れてくれたのかも分からず、彼女が口を開くのをただひたすらに待った。
「私が、優也君を救ったの…?」
「そうだよ。俺、あの時すごい嬉しかったんだ…。洋子が何か言ってくれなきゃ、みんな黙ったままだっただろうし。」
その言葉を聞くと、洋子は深く考え込み、再び口を閉ざしてしまった。
ここに来る時、外は雪が降っており薄らと道路に積もっていた。夏には溢れんばかりの緑の葉を付けていた木々も、すっかり丸裸になり寂しい様相になっていた。
彼女の部屋のカーテンは、閉ざされていて冬を感じることはできなかった。暖房をつけないと体の芯まで凍えてしまうほどになる室温だけが、辛うじて季節を知らせている。
「ずっと、後悔してたの…。」
目を合わせずに彼女は話し出す。
「話し合いになった時、これは言わなきゃいけないって思って言った。もしかしたら、この後には私がいじめられることになるかもしれないって考えたけど、見過ごすことは出来なかった。」
彼女は人一倍正義感が強かったのだ、そう考えるのも無理はない。
「でも…でも、実際は私じゃなくて、優也君が更に酷い目に遭って…不登校になって…。それで、私は本当は間違ったことをしたんじゃないかってずっとずっと…後悔してた。私があの時、知らんぷりをしてたら暴力なんか振るわれなかったんじゃないかって…!」
違う。違うよ洋子。ぼくは、自分で立ち向かうことができなかったんだ。君が気にすることじゃないんだ。
「一言謝りに行けるのに、怖くてそれも出来なかった…!“ お前が言わなければこんな目に遭わなかったのに”って言われるのが怖かった…!」
「洋子。違うよ。悪いのはお前じゃない、そうだろう?いじめる奴が悪いんだ。お前は悪くないよ。」
とうとう泣き始めてしまった洋子に、必死に声をかける。橋本が来るまでは、ぼく達のクラスはいつだって平和だった。あいつが来なければ、その平和は続いていたはずなんだ。
「ありがとう…。それを聞けて、良かった。」
「洋子…洋子、お前が高校受験を辞めるのは、それが原因なのか…?」
もう、遠回しにするのは止めだ。正直に聞くしかない。
でも、今の洋子ならなんとなく答えてくれる気がした。
「……。」
…ダメだった、か…?
「…違う。」
「えっ…。」
「辞めたいと思ったのは、これが原因じゃ…ないの。」
「じゃあ、なんで…。」
受験を辞めるにしてもこの時期に、ぼくと再会して3ヶ月も経った後に、5年生での出来事を理由に辞めるとは考えられない。
洋子に何があったのだろうか。
「…杏子に会ってね…。」
そこから、ぼくは洋子が杏子と久しぶりに会った日の話を聞いた。
何もできない―…その言葉は、実際に言われた訳では無いぼくの心も抉っていく。
「好きで…何もしないわけじゃないのに…!でも、何も出来ないのは本当だから…言い返せなくて…。」
当たり前だからと言って、必ずしもやらなければならないということは無い。選択肢は無限にあって良いと思う。
でも、当たり前ができなかったという事実は、ぼくらの中にコンプレックスとなって残っていくのだ。悪いのはあいつらだって分かってはいるが、だからと言って後悔しないわけではない。
もっと早く外に出ていれば、もっと早く高校受験をしていたら、もっと早く…いろんなたらればが押し寄せ、ぼくらの足首を掴んでは引きずり込もうとする。
「俺も…いっつも思ってたよ。近くの高校で卒業式や入学式がある度に、親は出たかっただろうなぁって…。」
「……。」
「俺は…行かなくなった理由も話さなかったから、母さんも父さんもビックリしたんだよ。父さんには毎日怒鳴られてた。」
「…お父さんから聞いた。行かなくなった理由、分かってたけど…また追い詰めたらどうしようって思ったら、今度は何も言えなかった…。」
「良いよ、別に。洋子が父さんに伝えてくれたってきっと…学校に行く気にはならなかっただろうし。でも、父さんが叱るのを止めたのも洋子のおかげなんだぜ?」
「私…?」
「うん。洋子が行かなくなったのを洋子のお父さんから聞いてさ、俺が不登校になった原因が分かって怒らなくなったんだ。」
「それは、別に私のおかげじゃ…」
「いや、お前のおかげだよ。洋子が理由をちゃんと両親に話してくれたから、俺の原因にも気づいて貰えたんだよ。だから、お前のおかげだ。」
真っ直ぐと洋子を見すえて話す。人の目を見て話す、これは洋子の話し方で、いかに彼女が真摯で正義感に溢れているのかがよく分かる。
今日は、1度も目が合わなかった。洋子から合わせようとしないのだ。そんなのは、らしくない。何時でも自信を持って堂々と道を切り拓いていく、それが彼女だと思うから。
「…お母さんと、同じ職業に就きたかった…。」
ポツリと彼女の口から叶わなかった願いが零れてくる。
「まだ、分かんないじゃん。」
「…両親に、孫の顔を見せてあげたかった。」
「それだって、これから叶うかもしれない。」
「…私たちは、まだやり直せるかな…。」
「やり直せるって証明して見せようよ。」
顔を上げた彼女の瞳にはもう憂いはない。涙で潤んだ双眼の中には、力強い光が宿っている。きっと、もう大丈夫。
「…人生100年って言うしね。」
「あと俺らにだって、70年残ってるよ!」
人生あと70年、なんだまだ半分以上あるじゃないか。
ぼくと洋子は顔を見合せ、互いに微笑みあった。
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