ぼくの話 27

上田先生の運転する車に乗り、綺麗に舗装された道路を走っていた。

今日は、洋子に会いに行く日だ。


車の中から流れる景色を見つめているぼくには、ある思いの狭間で揺れ動いている。

1つは、今度はぼくが洋子の役に立つんだという思い。もう1つは、会いに行って彼女の負担にならないかという思い。


ぼくだって長く引きこもっていたから分かる。外に出て来いというメッセージは、時に重く体にのしかかってくる。1度も会ったことの無い級友達や不登校にした張本人達が綴る色紙の言葉には薄ら寒ささえも感じるのだ。なにが『 早く来て一緒に勉強しよう。』なんだ、そんなことこれっぽっちも思ってないくせに…と。それに、出ないといけないと自分でも分かってはいるのだ、けれども出れないのだ、だから、悩んでしまう。

今回、洋子に会って、どうなるのだろうか。厚かましい色紙になるのか、それとも理解者になれるのか…。


1人で悩んでいても何も結論が出なかったので上田先生にも聞いてみる。

「…俺、洋子の負担になりませんかね…。」

ボソリと吐き出した言葉は、オーディオから流れるJポップスのメロディーに掻き消されてしまうかと思ったが、先生の耳にはちゃんと届いたようだ。

「それは…分かんない…。」

先生は真っ直ぐ前を見すえたまま言った。

「正直、言う相手や本人の性格によって感じ方は違うからなんて思われるのかは予想することが難しいんだ。」

先生の言葉に確かに、と思い当たる節があった。不登校になって直ぐ『 学校に行こう。』と言われても行く気にはならなかったが、今同じように言われたらその気になっただろう。感じ方には時間も関係してくるのかもしれない。


「だから、言ってみなきゃ分からない。どんな結果になるか分からないけど、とりあえずやってみよう。」


そう言われたと同時に車は洋子の家に着いた。小学生のときにも来たことの無い洋子の家に緊張した。

先生がインターフォンを押すと、中から一人の女性が出てきた。洋子の母親だ。


「こんにちは。洋子ちゃん居ますか?」

「先生…前と変わらずです。塞ぎっぱなしで全然…。」

洋子の母親の視線がふと先生の後ろにいく。


「…あなたは…もしかして、優也君…?」

20年前と風貌が変わっても気づいて貰えるのは、洋子から話を聞いているからだろう。きっと彼女のことだ、オープンスクールでぼくに再会したことも話していただろう。


「…お久しぶりです…。」

「そう…そう…本当に優也君なのね…。洋子からも浩さんからもあなたのことを聞いてずっと気になっていたの…。受験、頑張ってね。」

「今日は優也君も洋子ちゃんと話したいと言うことで勝手に連れてきたんです。事前のご相談もなしに申し訳ありません。」

「いえいえ、そんな…洋子のために来てくれたのはありがたいです。でも…今はあの子話をしてくれるかどうか…。」

「それでも良いんです。声をかけるだけでも、何か変わるかもしれません。」


上田先生から並々ならぬ決意を感じたのか、洋子の母親はそれ以上は何も言わず、ぼくらを家の中に通してくれた。


階段を上り、ドアを叩く。返事はない。

「洋子、先生が来てくださったわよ。たまには出てきて話をしない?」

そんな問いかけにも応える声はない。

この光景にぼくは既視感を覚えた。


これは、以前のぼくだ。

自分の世界に閉じこもって、外と距離を置く。この部屋の中は、ぼくを傷つけるものは何も無くて安全な場所。安心できる場所だけど、詰まっているのは不安と後悔とやるせなさ。

それが、この四角の中の世界。


上田先生の問いかけにもやはり応えはなかった。先生は気にせず話しかける。

「今日はね、洋子ちゃんと話したいって優也君も来てるんだ。」

突然の振りに、何も考えていなかったぼくは言葉を発することができない。


「あ…えっと…。」

しどろもどろとしていると、先生と洋子の母親は気を利かせてその場を離れてくれた。


ひとりぼっちになってドアと対峙する。ドアの向こうからは物音がうんともすんとも聞こえない。本当に向こう側に洋子は居るのだろうか?そんな気さえしてしまう。

ええいままよ!と当たって砕けることにした。賢い洋子には、ぼくがいくら考えたって敵わないのだ。それなら、ありのままの言葉でぶつかろう。


「洋子…本当に、高校受験辞めるのか?」

もちろん、返事はない。

でもこれで止めるわけにはいかない。

「…洋子にはさ、言ってなかったけどさ…5年生のとき、クラスで話し合いになったときに橋本たちのこと言ってくれて、ありがとう。」


あの時の感謝だけは、伝えたいんだ。


「洋子のおかげでさ、みんながあいつらの悪事を話してくれてさ…助かった。」

「でも、あなたは不登校になった。」


返答があるとは思っていなくて驚いたが、その言葉にぼくは眉を顰める。


「なったけど…それとは関係なしに感謝してるよ。」

「私があのとき言わなければ、いじめは酷くなることも無かったかもしれない。」

「…確かに、話し合いが有った後、いじめは酷くなったよ。でも、今ならはっきり言えるよ、話し合いが無くったって酷くなってたと思うし、ぼくは不登校になってたと思う。」


そう。話し合いが有ったから酷くなったわけではない。あのままであってもいじめはエスカレートしていっただろうし、そうなるとぼくは同じように引きこもっていたと思う。


「だから、先生に言うことができなかったことを、洋子が言ってくれたんだ。ぼくは、嬉しかった。あいつらの悪さを大人に知ってもらえる事ができて、ぼくのことをちゃんと見てくれる人がいるんだって知れて…。」


助けてくれる人は、いなかった。みんな自分に火の粉がこないように遠巻きに見ているだけだった。きっと、ぼくがこのまま来なくなっても誰も何も言わないんだろうな…と悲観していた。

だけど、あの話し合いのとき、ぼくが普段どんなことをされているのかを話してくれた。その時の喜びといったら。ちゃんと、みんな見ていてくれたんだと心の中が幸福で満ち溢れた。


「洋子には感謝しかないよ。不登校になったのも、洋子のせいじゃない。悪いのはあいつらだろ?」

洋子は何も、悪いことはしていない。


再び返答がなくなったが、ドアの向こうから布ズレの音がする。

と、ゆっくりとではあるが、ドアが開いた。

幅にして3センチほど。隙間と変わらないが、これが大きな1歩であることは間違いない。

「優也君だけ、部屋に入ってきて…。」


虚ろな目をした彼女に誘われるまま、部屋の中へ足を踏み入れた。

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