ぼくの話 26
洋子を励ましたい。
その気持ちは持っていたが具体的にはどうすれば良いのか、解決策が見つからない。
2週間に1回は上田先生と洋子が一緒にぼくのところにやって来ていたが、ここしばらくは上田先生しか来ない。
本当に、高校受験を辞めてしまうのだろうか。
「じゃあ、今日はここくらいまでかな。次回は今習った公式の文章問題を解いてみようか。」
結局、上田先生が沈んでいたのはあの日だけで、次にあった時は今までと同じ明るく元気な上田先生だった。流石大人というべきか。
「…先生、洋子は…。」
洋子が高校受験を辞めるという話をして以来、ぼくたちの間では洋子が話題に上がることは無かった。でも、このままじゃいけない気がした。時はもう11月の終わり、1年の終わりに近づこうとしていた。
洋子の頭なら直前でも試験の心配は無いかもしれないが、受験のためには願書を提出したりと準備がいる。準備が間に合わなければ、いくら頭が良くても受けれないのだ。
その焦りからぼくは、一刻も早く洋子に会わなければとの思いを抱いていた。
「…洋子ちゃんは、相変わらずだよ。」
「理由は今も、分からないんですか?」
「うん。ご両親にも今回は何にも言ってないみたいで…。」
「今回“ は”?」
「…不登校になった時に、洋子ちゃんはご両親にあった事を話してたんだ。だから、ご両親も洋子ちゃんが学校に行かないことについては理解していて…こんなことは、初めてだってお2人も悩んでるよ…。」
洋子は、やっぱり強かった。学校に通わないという選択をした時、両親にきちんと理由を説明してるだなんて。ぼくは、母さんが泣くかもしれないから…なんて言い訳して自分の部屋へ何も言わずに閉じこもった。そんなことをしたら、もっと心配をかけてしまうと分かってたはずなのに…。
「…先生、俺、洋子と話してみたい…です。」
「…優也君が?」
「なんで辞めたのかは分かんないけど…なんか、なんて言うか…話したいんです。」
「……。」
先生は黙りこくって、なんと言おうか考えているようだ。
やっぱり、特に親しい訳でもない、ただの同級生が会いに行きたいだなんて駄目だったんだろうか?
「…同級生にしか、分からないこともあるかもしれないね。」
「…!!」
「でも、今洋子ちゃんは深く傷ついてて、何を言われるかは分からないよ?」
「行く!行きます!それでも、話したい…です!」
「なら、次の授業の時、その時に洋子ちゃんに会いに行こう。」
思いがけない返事にぼくは目を見開く。
会いに行こう、洋子に。
その夜、家族で食卓を囲んでいた時、今度洋子の家に行くことを伝えた。
「最近、洋子ちゃんの姿を見ないなとは思ってたけど、そういう事だったのね。」
「うん…。なんで洋子が辞めたのかは分かんないけど、会ってみたら何か分かるかなって…。」
父親と母親と自分、3人で食卓を囲むのも以前では考えられなかったことだ。自分の部屋に閉じこもって食べる食事より、少しだけ美味しく感じているのは内緒だ。
主に話すのは母親で、ぼくは相槌を打ったり、返事を返すけど、父親は黙々と食べていることが多い。
今日も洋子の話を聞いているのかいないのか、サバの味噌煮の小骨と格闘している。
そうしていると、昼間に上田先生と話していて気になったことを思い出した。
「そう言えば、洋子は不登校になった時、親に理由を言ってたらしいんだけど、もしかして、父さん知ってた?」
実は、父さんと洋子のお父さんは職場が同じだったりする。子供が同級生という事もあって、よく話をしているのではないだろうか?
「…あぁ。」
思っていた通りだった。自分の娘がいじめられて不登校になったら、そりゃあ同級生の親に橋本達のことを尋ねるに違いない。
その尋ねた人の息子も、まさかそいつらのせいで不登校になっているとは思わないだろうが…。
父親の隣に座っている母親もそんな話は聞いたことがなかったのか豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしている。
「…お前が不登校になってから、1年も経たない頃、洋子ちゃんのお父さん…浩から洋子ちゃんが不登校になったことを聞いたんだ。」
箸をお茶碗の上に置いて、ぽつりぽつりと神妙な面持ちで語り出した。ぼくもそれに倣って箸を置き、一字一句聞き逃さないように父親の言葉に耳を傾けた。
「お前は理由を話さなかったから、なんで不登校になったのかも分からない。お前には怒鳴って、浩には愚痴を言った『 息子が怠けてる』って。」
ぼくの中に、当初の記憶が蘇る。朝起きれないなんて夜更かししたからだ、家で一日中ゴロゴロするな、怠けるな。そう怒鳴られた記憶がある。今思い出しても身震いするほど、父親の剣幕は恐ろしかった。
「浩は最初は笑って『 そういう時もあるよ。またふらっと学校に行くようになる。』なんて言ってた。でも、丁度6年生の夏か秋頃、浩が沈んだ顔をして言ってきたんだ『 優也君は怠けてる訳じゃないかもしれない』って。」
母親も食べる手を止めて父親に視線を注いでいる。
聞こえるのは時計の音と父親の声だけ、世界が3人だけになったような錯覚を覚えた。
「『 橋本と言う奴がリーダーとなって、いじめをしていた。』それは知っていたから、向こうの親御さんとも話して解決をしたと返したんだ。すると『 まだ終わっていなかったんだ。うちの娘も被害者だ。』と言われたんだ。そこで初めていじめが続いてたことを知ったんだ。…洋子ちゃんも不登校になったのを聞いて、お前が、怠けて学校に行かないわけじゃないことを知った。」
「…怒鳴ってばかりでなんでもっと話を聞いてやろうとしなかったのか、後悔した。そうしたら、もっと違う方法で学校に通わせられたんじゃないか、部屋に閉じこもることなんて無かったかもしれないんじゃないか…。沢山、考えたさ…。でも、同時に理由があるならなんで話してくれないのかと恨みもした。」
洋子は話して、ぼくは話さない。
そのことは、父親にとってはそのまま信頼の差に感じられたのだろう。
別に信頼をしてなかった訳では無い。親との話し合いになった後、いじめは酷くなった。またその話し合いをしたら、今度はどうなるのか…というのもあったし、5年生にもなって親に助けてもらうのは恥ずかしいような気がした。
「ごめん…なさい…。」
「…すまない。責めてるわけでは無いんだ…。いや、これじゃ責めてるようなもんだな。お前は、悪くないんだ。…それから、俺は叱るのを辞めた。」
ある時から、事ある毎に叱っていた父親が叱らなくなった。それには、そんな理由があったのか。
「本当ならお前にちゃんと謝って、話をするべきだった。あんなに叱っておいて今更何を…と思われるかもしれない、でも本当に、本当にすまなかった…!」
そう言うと父親は机に額をくっつけるほど深くお辞儀をした。そんな父親の行動は生まれてから初めて目にしたものだったので、ぼくは思わず椅子から立ち上がるほど驚いた。
「やっ、止めてよ父さん!ぼくだって、理由を話さなかったんだ…。話す機会なら何回だって会ったはずなのに、先延ばしにして…。この歳まで、秘密にしてて…ごめん。そして、何も言わずに家にいさせてくれて、ありがとう…。」
同級生が卒業する度、入学をして新しい制服に身を包んでいるのを見る度、どんな気持ちでいたんだろう。自分の子供の晴れ姿を見られなかったことを落胆したに違いない。
小さかった近所の子供が外の世界に羽ばたいていくのを眺める度、時間の止まった部屋にいる我が子のことが気になっただろう。
それでも、ぼくを家から追い出さずに待ってくれた2人の愛は、今十分に感じている。
ぼくと父親のやり取りを見ていた母親がポツリと呟いた。
「なら、お母さんも秘密を話しちゃおうかな…。」
感動の波に浸っていたぼくと父親は、母親の衝撃的な発言にバッと音が鳴るほどの勢いで顔を上げた。
「あら、いい反応。でも、そんな大したことじゃないんだけど、実はね…優也の定時制高校に通いたい理由、上田先生に話してるの聞いちゃったの。」
ぼくの、定時制高校に通いたい理由。
いつか、時が来たら話さなければいけないと思っていた理由。上田先生だけに話したあの理由を、母親も聞いていたのか?
「優也が大きな声を出したから、もしかして上田先生に何か言われたんじゃないかって思って、そっと応接間の外で話を聞いてたの…。その時に私も優也のいじめは終わってなかったってことを初めて知ったんだけど…。橋本君たちのせいで出来なかった青春、今度は全力でやるのよ?」
涙ながらに訴えたあの思いは、母親にも届いていたらしい。思わぬところで、定時制高校へ通う許可がおりた。
ぼくは、自分の未来へ少しずつ進んでいる。
「上田先生が不安なことはないだろう。浩が紹介してくれた先生だ。」
「あら、そこでも浩さんと繋がってたのね。だから洋子ちゃんはオープンスクールで優也を見ても驚かなかったし、上田先生とも仲が良かったのね。んもう、知ってるなら教えてくれたら良かったのに!」
「洋子ちゃんから知り合いなことは言わないでくれって言われてたんだ。守秘義務を守ったまでだよ。」
2人とも再び箸を手に取り、和やかな食事の時間が戻ってきた。
「…優也、洋子ちゃんに会ってきなさい。彼女のおかげで気づけたことが私たちにはたくさんある。上手くいかなくても、めげてはダメだ。」
最後に締めくくるように、父親が背中を押した。
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