僕の話 31

図書室で見た写真の衝撃を覚えたまま、僕らは職員室まで帰った。ドアを開けると、出る前と変わらず教員用の机に座って作業をしている安元先生の姿があった。

僕らに気づいたようで、書類を書く手を止めて声をかけてくれた。


「あら、もう学校見学はいいの?」

「はい。たくさん見させてもらっいました。ありがとうございます。」

洋子に倣い、僕もありがとうございますとお礼を言った。

この先生が、僕らの担任だったかもしれない人…。


気になってじっと見つめすぎてしまったのか、安元先生に笑われてしまった。

「優也君どうしたの?先生の顔になにか付いてる?」

「あっ、いえ、そういう訳じゃ…すみません…。」

「あらあらごめんなさいね。あんまりにも真剣に私の顔を見るものだから気になっちゃって。」


指摘されるほど見ていたのかと思うと、顔から火がでそうなくらい恥ずかしかった。隣で洋子も笑っている。

「見学してみてどうだった?何か気になるものはあった?」

「気になるもの…は特にはありませんでした。全部新鮮で楽しかったです。」

「優也君は?」

「あっ、俺も…楽しかったです…。」

気の利いた言葉の一つや二つ言えたらいいのだが、如何せん親以外の年上と話すことは20年ぶりなのだ、何も出てこなくても許して欲しい。

「嘘。優也君の顔に“ 気になることがありますー”って書いてあるわよ。」


そんな。自分の気持ちを言い当てられ、驚いて顔を触る。触っただけでは書いてあるかどうかなんて分かるはずもないのに。

「ふふふ。当たり?」

「えっ、あの…その……はい…。」

とうとう観念して、卒業アルバムの話をすることにした。


「図書室で、偶然ですね。あの…先生の写真を見つけまして…。」

別に悪いことをした訳では無いが、なんとなく決まりが悪くてハッキリと話すことが出来ない。そんな僕を安元先生は焦らず待ってくれる。…なんだろう、少し上田先生に似てる気がする。


「あぁ!あの卒業アルバムね!もしかして、昔の私の写真を見つけたの?」

「はっ、はい!先生は僕らの担任だったんですか…?」

「私は担任ではなくて教科担当、国語を貴方たちの同級生に教えてたのよ。1年生の時の担任は確か…平田先生だったはずよ。」

「凄い。20年前の担任の先生まで覚えてるんですか?」


洋子が感心をしたように話す。

「いいえ。その時は特に思い出に残ってるから覚えてるのよ。最初に言ったでしょ、ずっと待ってたって。私、貴方たちのことを20年前から待ってたのよ?」

控えめに笑いながら先生は話し始める。


―…20年前、まだそこまでいじめ問題が社会問題として扱われていなかった時、私が国語を教えている1年生のクラスの中にいつも2つの空席があった。初めは『今日はお休みなのかな?』と思っていたけど、2日経っても3日経っても、1週間経ってもその2つの席は埋まることが無かった。

1週間のうちに4回ある国語の授業で一度も会わないのはどうしたんだろうと思いながらも、入学したての生徒たちに理由を聞くのは気が引けて、結局2つの空席について尋ねられたのは気分も滅入るような天気が続く季節のときだった。


「ねぇ、聞きたいことがあるんだけど良い?」

「あっ!安元先生どうしたんですかー?良いよ良いよ!」

「いっつも空いてる席があるけど、あの席の子達ってどうしたの?」

「……。」

先程まで笑顔で話していた子達がその話題を振った途端困ったように目配せをして黙ってしまった。まだ聞くのは早かったか…と思い違う話をしようとしたら2人のうちの1人が小声で話し始めた。

「あのね、先生、これあんまり言わないんで欲しいんだけど、実はね…あの2人小学校の時から学校に来てないの。」

「学校に?」

「うん…。まぁ、私たちの小学校で前ね、いじめがあってね…それで…。」

「2人はいじめられたの?」

「うん。男の子の方は優也君って言うんだけど、結構物隠されたりとかぶつかられたりとかされてた。」

「それで一回学級会議したもんね。」

「そうそう。男子と女子とですごい言い合ってね!」

「もう1人の子は?その子もいじめられたの?」

「まぁ…ちょっと無視されたり…仲の良かった子と喧嘩もしてたし…でも、洋子ちゃんはいじめられても全然気にしてなさそうだったけどな…。」

「しっかりしてたしね。なんで来なくなっちゃったんだろうね。」


優也君の方は不登校の理由もハッキリとしており、みんなも分かっているようだったが、洋子ちゃんについてはみんなもなんで来なくなったのか首をひねっているようだった。


担任の先生はこのことを知っているのか気になり、当時2人のクラスの担任だった平田先生にそれとなく話しを振ると、『今に2人とも来ますよ!』という答えが返ってきた。

良かった、知っていて何かサポートをしているのだ。と安心したのもつかの間。彼が行なったのは2人を追い込むようなものだった。


クラスのみんなに色紙を書いてもらい送る、家庭訪問をして声をかける、そして学校に通う必要性や如何にみんなが今頑張っているのかを話す…。平田先生が一生懸命なのは理解できるが、いじめた子が同じクラスにいるかもしれないのに学校に来いだなんて無神経なのではないかと思った。

しかし、ならどうすれば良いのかは当時の私にも分からなかった。学校に来なくていいとは言えない、来いとも言えない。正解なんて知らなかった。


そして、どうすることも出来ないまま、2つの空席の持ち主を1度も見ることなく別れることとなった。

このことは胸の中にわだかまりとなって残り、転任となってもずっと忘れることは出来なかった。


3年前にこの中学校に教頭として戻り、そしてこの前2本の電話が鳴った-…


「名前を聞いてすぐに2人があの時の子達だって分かったわ。だってずっと待っていたんですもの。」

胸の内に秘めていた物を全て出し切ったのか、とてもスッキリとした顔をして笑っていた。

「2人が高校受験をしようとしてるのはとても嬉しいわ。あの時に出来なかった先生としての役割を今度は絶対にしてみせるわ。」

と言って、安元先生は記入した願書を僕らに手渡してきた。

「校長先生にもちゃんと了解を得て書いてあるからね。心配しないで!受験、終わったらまた遊びに来てね。」


僕らのことを心配してくれる人は、家族にも居たのか。一度も会ったことのない僕らのことをこんなにも考えてくれる人がいたことに、驚きを隠せない。洋子も何も言わないがきっと同じ気持ちに違いない。


「ありがとう…ございます。」

「ありがとうございます!俺、受験頑張って、良い報告が出来るようにします!」

決意を口にすると、思ったよりも大きな声が出て少し恥ずかしかった。

でも、安元先生と洋子が同じように笑っていて、なんだか先生って良いなと思えた。

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