洋子の話④

世間では夏休みが終わり、秋が近づいてきた。茹だるような暑さは変わらないけれど、赤茶に色づく木々や生ぬるく吹き抜ける風から秋の訪れを感じることが出来た。

今日は、週に2回の買い出しの日だ。


学校に行かなくなって、中学受験にも落ちた私は部屋に引きこもる日が続いた。勉強もせず、ご飯も食べず、親の問いかけにも応えない日々だった。

受験に受かったら違う中学に行って、新しい友人を作り、部活にも精を出して楽しい学校生活を送れるんだと思って頑張っていた。それだけが支えだった。

しかし、結果は不合格。しかも欠席日数が多いからという理由だった。悔しくて悔しくて、中学からもまたあいつらと顔を合わせないといけないと思うと嫌で嫌で…。

もうその時に私は人生が終わったと感じた。大人になった今考えると、たった1度の受験で何をそんな大袈裟な…とも思うが、当時は本当に死んでしまいたいくらい絶望をし、中学に通わないという選択肢以外考えられなくなっていた。

中学も通わなければ、また高校受験でも不合格になるのだろうが、もうそんなことどうでも良かった。

引きこもってから3日経ち、4日経ち…5日目が経とうとしていた頃だった。母親から一緒に買い物に行かないかという誘いを受けた。

「洋子、買い物に行かない?」

「……。」

「…洋子、開けるわね。」


ゆっくりと扉を開けた母親は、部屋から出なくなった娘を叱ろうとする顔ではなく優しく微笑んでいた。

「…外に、出ない?」

母親の問いかけに声を発することはなく首を横に振るだけで返答をする。


「このまま、出ないの?」

「………。」

「ずっと、部屋の中にいるの?」

暗に引きこもるなと言われているような気がして、私は我慢が出来なくなってしまった。

「じゃあ…じゃあ、また私にいじめられに行けって言うの!?今度はきっとあんなに勉強してたのに合格しなかったんだって言われるんだ!!あんなに偉そうにしてたのに結局駄目だったんだって!!」


家族には学校に行かなくなった日に正直に合ったことを話していた。陰口を叩かれていること、無視をされていること、そして杏子と喧嘩したこと…通わないならばきちんと理由を話して理解をして貰わなければならないと思っていたから、包み隠さず話して2人も納得をしてくれていたはずだった。

だから、安心して過ごしていたが、やっぱり本当は通わない私を恥ずかしく思っていたのかもしれない。


「違う!違うのよ…中学に通って欲しいんじゃない…。外に出るのを、やめて欲しくないの…。」

「…外…?」

「そう。中学校だって行きたくないなら行かなくて良いの。勉強は家だって出来るわ…でも、外に出るのは辞めないで。自分の世界に閉じこもって仕舞わないで…。」


優しい眼差しはいつしか真剣なものへと変わっていた。自分の世界に、閉じこもる…。

学校に通わなくなって、私の世界は確かに小さくなった。昨日あったバラエティやドラマの話を聞くことも無くなったし、流行りの曲やギャグを知ることも無くなった。周りから与えられる情報が限られて世間のことに疎くなった。

ならこのまま自分の部屋に閉じこもってたら?テレビのない私の世界に閉じこもっていたら…?

私をいじめていた彼らは、彼女たちは中学に通って、高校生になって大学生になって社会人になって…どんどんと世界を広げていく。なのに私はこのままの世界で生きていくの?


「嫌だ…。嫌!このままなんて絶対嫌!私だって外に出たい!外で、生きたい!!」


我慢していた涙が溢れてきていた。不登校になると決意をした時、なんでもないような雰囲気で、私は平気よって振りをしながら両親に話をした。でも、本当は怒られるんじゃないかと、失望されるんじゃないかと怖かった。


「なんで…なんで私だったの!無視も陰口も!なんで橋本君はこの学校に来たの!!あんな奴…あいつが不登校になれば良かったのに!!」

「辛かったよね…。洋子は頑張った、頑張ったよ。受験勉強だって、いじめにだって立ち向かったよ…!」


わんわんと大きな声を出して泣く私を母親はしっかりと抱きしめてくれた。


決意をして1番悲しかったのは大好きな母親と思い出を共有できない事だった。小さな時から母親が話す教師時代の思い出話が、大好きだった。なかでも修学旅行で古都を巡ったことや生徒が迷子になって大慌てで探したらずっと大仏を見ていたこと、バスの中ではみんなで歌を歌って騒いだこと…遠くを見つめながら在りし日のことを話す母親の横顔を見つめ、私の修学旅行はどんな風になるのだろうかと胸を躍らせた。

自分も修学旅行を体験して、中学受験をして高校大学と通って、教師として引率して…そして、今度は自分が母親に思い出話をしたかった、『 引率って大変だね。』って。


長い時間泣いた後に、母親と話して決めたことは外に出ることと家のことをする事だった。近くへ買い物には行きにくいだろうと、母親は遠くのスーパーへ平日に連れて行ってくれた。勉強ばかりだった私が、ご飯のメニューを考えて買い物をして作る、洗濯機を回す。生きていくために必要なことを1つずつ教えてもらった。

徐々に町並みが変化していた頃、私は1人で近くのスーパーに通うことができるようになっていた。


その習慣は今でも続いており、月曜日と金曜日は買い出しをして、4日分の食料を買いに行く。

優也君とも会え、彼も高校受験に向けて頑張っていると知ることが出来、6年生の頃からずっと気がかりで、胸のつかえとなっていたあの出来事が昇華されて小さくなっていくように感じていた。

順風満帆…とまではいかないが、人生が好転している気がする。


しかし、やはり人生はそう簡単には行かないのだと知る。


「…もしかして、洋子ちゃん…?」


聞き覚えのある声に、私は無視をすることも出来ずゆっくりと振り返った。

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