横山の話
体を動かすのが好きなら、体育教師はどうだ?そんな高校時代の担任の一言をきっかけに俺は体育教師を目指すことにした。
特にやりたいことも無かったし、体を動かすのが好きなのは本当だったので、自分の好きなことが仕事になるならラッキーくらいに思っていた。
無事大学生にもなれ、楽しいキャンパスライフを送っていた。試験が近くなると友達の家に集まって試験勉強をしたり、カラオケでオールをしてそのまま街に遊びに繰り出したり、ちょっと無茶なアルコールの飲み方をしたり。
大人たちが見れば馬鹿にされるようなことを大人と子供の狭間にいた俺は好き勝手やっていた。
でも、大学3年生ともなるとそうともいかず、教員免許取得のための実習の準備をしなければならなかったり、実習中はレポートを書いたり、授業計画を立てたりと忙しい日々を過ごした。
その中で、実習中に受け持ったクラスに1つ、空席があった。その空席を見た途端、俺の頭の中には『不登校』の3文字が浮かんだ。いつまで経っても埋まらないその席に、俺は既視感を覚えていた。俺の中学校でも同じように埋まらない席があったから。そう、俺が埋まらないようにした席が。
少し気になって、俺を担当してくれている教師に空席のことを尋ねてみた。
「あの席、いっつも空いてますよね。あの席の子はどうしたんですか?」
「あぁ、山上な。あいつは1年生の時からずっと来てないよ。」
「1度もですか?」
「俺が知る限りでは1回も無いな。入学式とかも来てないかもしんねぇな。」
「不登校…ってやつですか?」
「まぁ、そういう奴もいるよ。お前も教員になったら何人かは見るだろうよ。ただ、こういう奴らは高校もろくなところに行けないがな。」
「はぁ…。」
「いや、不登校の奴が悪いってんじゃないぜ?通えない理由ってのは人それぞれあるんだからな。でも、出席日数が高校の入試には大事になってきたりするんだよ。」
背もたれに背中を預け、どこか上の方を見ながら担当教師は続ける。
「人気のある高校は定員割れを起こすことはないからな。受けたとしても入試の点数と内申点の良い奴から受かっていく。入ろうとしても難しいんだよ…。そうしたら、不登校の奴らはもう高校を選べなくなってくる。金がある奴は私立に行けるが、ないなら定員割れしてる公立を探して行くしかない。それか全日制を諦めて定時制にするか…。どちらにせよ希望した進路を叶えてやれないことが多い。」
高校は義務教育ではないから、欠席日数が多くなると単位不足ということで留年しなければならないことがある。留年や退学が多いのは高校側にとっては不都合なので、入試の段階で通いきれそうな人を選ぶのも納得である。
通っていないと、自分の行きたい高校を選ぶことさえままならない。
この事実は、俺の頭を鈍器で殴ったような衝撃を与えた。同級生の2つの空席の持ち主は、今どうしているのだろうか。記憶が正しければ、中学校に1度も来ていないはずだ。
彼らも高校に進学したのだろうか?2人の家は私立に通えるほど裕福だっただろうか?
1つの空席から、2つの空席のことが気になり黙りこくって考え込んでいると、何かを勘違いしたらしい教師が声をかけてきた。
「おい、間違ってもあの席の奴に家庭訪問とかは行くなよ。」
「…えっ?」
「どうやったら来るようになるのか考えてるのかもしれねぇが、来なくなった理由が分かんねぇんだ。無理やり来いだなんて言うもんじゃねぇ。それに、お前の実習期間は2週間だ。2週間でどうにかなる問題でもねぇよ。」
どこか他人事のようにいう教師に、ふつふつと怒りが込み上げてきた。しかし、相手は年上で、しかも自分の担当教師だ。ここで喧嘩をして実習の単位を貰えなければ来た意味がない。
怒りを悟られぬよう深呼吸をして、気持ちを落ち着かせてから話す。
「放っておくんですか?」
「あぁ?」
「その子のことを、そのまま放っておくんですか?」
「…。」
担当教師はじっと俺の目を見てきた。居心地が悪いことこの上ないが、今はこの目を逸らしたらダメだと思い瞬きも忘れて見つめていた。
時間にしてほんの数秒の出来事だった。
「放っておくのは、正しくはねぇんだろうな。」
「なら、」
「でもな、どうにも出来ねぇこともあるんだよ。」
「…。」
「お前も、教師になったら分かるよ。不登校の奴は1学年に1人や2人はいるもんだ。来いと毎日声をかけに行くか?学校になんで来れないのかも知らないのに。もし、原因が学校にあったらどうする?そいつの為だけに変えるのか?」
「それで…来て貰えるなら…。」
「それは理想だがな、馬鹿言っちゃいけねぇ。お前はそいつの担任じゃない、みんなの担任なんだ。そいつの為に何かをするってんなら、他のみんなの為にも何かしなきゃならない。」
「不登校の奴に来てもらうために一生懸命になるのは良い事だ。でもな、そのせいで他の生徒のことを蔑ろにするんなら、それは教師として失格だと思うぞ。不登校の奴もそうじゃない奴も、みんな等しく生徒なんだ。」
1人のためだけに一生懸命になるのは、悪いことなのだろうか?そう思った時、つい口から言葉として溢れてきてしまった。
「1人のためだけに、一生懸命になるのは…悪いことなのでしょうか…?」
「…悪いとは言ってねぇよ。ただ、こういうのは見方が変わると意見も変わるもんなんだ。」
―例えば、不登校の奴から見たら、先生が毎日親身になって話を聞いてくれて学校にも再び通えるようになった。先生のおかげだ、ありがたいってなるわけだ。でもよ、もしそうじゃない奴からしたらどうだ?放課後に先生はいつも居ない。部活動にも顔を出さない。聞きたいことも聞けず、部活動は生徒だけで上手くまとまらずになあなあで終わるんだ。これじゃこっち側は報われないわな。―
担当教師の例え話は、一理あるように思えた。最初は心の中に湧いていた怒りも、話を聞いているとすっかりとなりを潜めてしまった。
「教師だって人間だ、出来ることと出来ないことがある。全部を全部、上手くやろうなんて無理な話なんだよ。」
教師になって25年は経つというこの担当教師の言葉にはそれだけの重みが詰まっているような感じがした。
教師にも、出来ないことがある。
中学時代に2人に教師が登校するまで何かをしてくれていたら、2人の未来は違っていたのに、と身勝手だけれど思ってしまった。そして同じ教師という立場だけで、この担当教師にもその怒りをぶつけそうになった。
1番の原因は、自分たちにあるのに。
不登校にするまで追い込んでしまったのは自分なのに。
ここで、初めて俺は自分の仕出かした罪の大きさに気づいた。俺が呑気に友人と遊んでいる時、2人はどうしていたのだろう?大学で過ごしている時、2人はどんな気持ちでいたのだろう。
俺は、2人もの人間の青春と夢を奪ってしまったのだ。もう永遠に取り戻すことの出来ないものを、奪ってしまった。
その罪の重さからか、俺はチャイムが鳴って担当教師に声をかけられるまでその場を動くことは出来なかった。
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