僕の話38

待ち合わせ場所に行くと、もう洋子は待っていた。しかも、随分と長い間待っていたようで鼻の頭や頬が寒さから赤らんでいるのが見えた。

慌てて彼女の元へ行くとなんでもないような顔をしてただ「おはよう。」とだけ言った。


「お前、もう来てたのかよ。まだ時間まで10分くらいあるぞ?」

「私だってさっき来たばっかりよ。それに、優也君だってもう来てるじゃない。」

「俺は…母さんが早く行けってうるさいから…。」

絶対にそんなことはないだろうが、彼女がそういうので深くは追及しないことにする。


「優也君のお母さんらしいね。」

「5分前行動が基本でしょ!ってさ。でもやっぱり早いよな、10分前に着いたぜ。」

「遅いよりは良いでしょ。」

「そりゃまあそうだけどさ…。」

揃ったので2人並んで歩き出した。

上田先生とは校門前で会うことになっている。これから高校に合格したら自分で通わなければならなくなる為、実際に歩いてみようとなったからだ。


今日は休日なので、こんなに朝早くに外に出ている人は少なかった。ランニングをしている人、犬の散歩をしている人、庭の掃除をしている人、様々な人とすれ違ったが、誰一人として自分たちを気にする者はいない。

20年間、怖くて怖くて堪らなかった外の世界は自分が思っていたよりもずっと他人に無関心で広かった。

指をさされて話されることもなければ、知り合いとすれ違うこともない。思っていたよりも自由だ。


「本当はね、20分前に着いてた。」

無言で歩いていた僕らであったが、途中ぽつりと洋子が呟いた。

「緊張してね、家に居てもたってもいられなくて…気づいたら待ち合わせ場所まで行ってた。」

「……。」

特に返答をすることもなく、ただじっと黙って聞いていた。彼女は、返事を望んでいる訳では無いとそう思ったから。

目線は洋子に向けながら歩くのは止めない。

洋子の視線は自身の爪先に注がれており、自分と目が合うことは無い。

「英検も漢検も取ってきたけど1年に3回は受けれるし…それに…」


「受かっても落ちても、人生は変わらなかったし。」


勉強ができて、資格も持っていて、僕にとっては憧れのような存在の洋子。

彼女もまた人生が変わるきっかけが欲しかったのだ。


「私ね、心理カウンセラーになりたいの。」

「えっ?」

今まで黙って聞いていた僕であるが、洋子の告白に思わず声を出して聞き返してしまった。

「お母さんと一緒の教師になるのは無理ではないんだけどさ、だんだんね、私や優也君と同じような人を助けたいって思ったの。」


「学校に行けなくて困ってる子や行くのが辛い子に、頑張ったらこんな風になれるんだよって教えてあげたいの。」

「だから、高校を受けようと、思ったの?」

その言葉に洋子はへへっと笑うことで返事をした。


「今は学校に行けなくったって学ぶ方法は沢山あるし、それに、学校に通わなかったら人生が終わる訳でもない、それを伝えていきたいの。」

そう言った洋子の眼には強い光が灯っていた。


「出来るよ、きっと。洋子なら。」

僕はそう確信するよ、なんて無責任だろうか。

「私も。自分でも出来る気がする。」

「…そういう奴だよお前は…。」

「あ、でも、そのためには優也君にも頑張ってもらわないといけないんだからね。」

「え、俺?なんで?」

「私だけの体験談じゃあ少ないでしょ。優也君の話もしたいからちゃんと受かって幸せになってよね。」


“ 幸せになってよね。”

この一言に、彼女の想いが詰まっているのかもしれない。

「…頑張る。洋子も色んな奴を幸せにしろよ。」

照れくさいけれど、これだけはきちんと伝えておかなければ。

洋子にもその気持ちが伝わったのか満足気に頷いて、また前を向いて歩いていく。



たくさん悩んで、たくさん泣いて、一筋縄ではいかなかった僕らの人生もこの先誰かの役に立つのだとしたら、案外悪くなかったのかもしれない。

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