最後の話

『僕も、高校に行きたい。』

そう願ったのは、今からちょうど一年前のことだった。外から聞こえてくる学生たちの騒ぐ声と祝福の言葉からその日が卒業式だと言うことを知り、自分も通うことを決意した。

死ぬ時になって、この日が僕の人生のターニングポイントだったときっと思うんだろう。


たった1部屋だった僕の世界は、悲しみも苦しみも無かったけれど、同時に楽しみもやりがいも存在することは無かった。


僕の今までの人生は、他の人の目にはどんな風に映るんだろう。もっと早く高校受験を決断してれば良かったのにと叱られるだろうか?それともよく頑張ったねと褒めてくれるだろうか?


どちらにしても、良いんだ。

他の人から褒められるために頑張ろうと思った訳では無い。自分で頑張ろうと決めて、実行できたのだ、1歩踏み出せたのだ、それだけで十分ではないか。


「高校ではどんなことを頑張りたいと思いますか?」

1対3の面接は、僕に圧迫感を与えた。ドアを叩く手は震えていたし、返事をする声は裏返ってしまった。今も椅子に座っているだけなのに膝に乗せた掌の中では、じっとりと汗をかいている。


「勉強はもちろん、学校行事も頑張りたいと思います。始めに述べたように、僕は小学校から学校に通っていません。そんな僕が一度に勉強も行事も両立するのは難しいと思いますが、自分なりのペースで1つずつ楽しんでやり切れたらと考えています。」

その応えを聞いて、面接官として座っていた眼鏡の男の人が優しく満足そうに頷いた。

「初めから両立するというのは難しいものです。貴方と一緒に勉強も行事も行えるのを楽しみにしていますよ。」


これで面接はお疲れ様です。と返され、反射的にありがとうございました。と一礼をして教室を出た。先程の言葉は、期待してても良いのだろうか?

教室を出た途端に緊張で張り詰めていた気持ちが一気に緩み、深く息を吐いた。

そうか、終わったのだ。

達成感からなのか、それとも疲労からなのか足元がふわふわと浮いて覚束無い。


窓から差し込む太陽の光が宙に舞う埃をキラキラと輝かせている。僕にとっては祝福の紙吹雪にも見える。


冷たいリノリウムの床は上履きで歩くとゴムの音が響くのだ。

階段は、13段になっていないか数えて上った。

踊り場には学年ごとに図工で作った作品や国語で考えた俳句なんかが貼られていた。参観日には他学年の親にも見られて恥ずかしかった覚えがある。

どんなに急いでいても職員室の前だけは歩いて怒られないようにした。


これが、学校だ。


歩いていく度に今まで思い出すこともなかった小学校時代の思い出が溢れ出て、柄にもなく感傷的な気分になってしまった。


校舎を出ると、先に面接が終わっていた洋子が待っていた。

「お疲れ様。」

「お疲れ。どうだった?」

「普通…じゃなくてバッチリ。」

洋子も受験のプレッシャーから解放されたからか表情がいつもより柔らかい気がする。

「面接も大体練習してたのと同じだったから落ち着いて応えれたし、作文も埋めれたし。」

「…こういうのを、“努力が実った”って言うのかな?」

「合格したらね。」

そう笑った洋子の顔を見て、僕はなんだか涙が出そうになった。








「…すごいな。」

目の前に座っている少女がぽつりとこぼす。

「大人になってからっていうのもだけど、学校に行きたいって思えるのがすごいな。」

「学校には行きたくない?」

「うん。友達だって流行りとかころころ変わるから話についていくのが大変だし、先生だってあんまり好きじゃないし。部活も先輩たちが怖いから楽しいって思わなかったし。」


「それに、別に夢もないから勉強する意味もわかんない。」


机に頬杖をつきながら虚ろな瞳で窓の外を見る少女から、先生の学生時代の話を聞きたいと言われ懐かしむように話をした。

自分にとっては同年代の人たちと同じように出来ないコンプレックスの塊だった学生時代も彼女にとっては学校に通う気のあるすごいものに感じるらしい。

「精一杯頑張っても上には上がいるし、特に1番になりたいものがあるわけでもないからさ。親とかは行け行けうるさいけど、行ってどうなるの?って思う。生きていくための知識は持ってるしさ、分からなくてもスマホで調べれば出てくるじゃん?今の時代。」

「まぁ、それは確かにね。」


通いたくても通えない子もいる一方で通う意義を見い出せない子や通う気持ちが出ない子もいる。その子もその中の1人であった。

最初は意義や気持ちが無くても周りと同じように通えても、感じた違和感や疎外感は日に日に大きくなり、やがて足が向かなくなる。

誰が悪い訳でもない。どこが悪い訳でもない。ただ、行けない。

「きっと、行った方がいいんだろうけどなぁ…。」

寂しそうにつぶやく彼女のその表情を見て、どうにか出来ないものかと胸が締め付けられる思いがした。無理に学校に行くことを勧めるのは、カウンセラーの立場としては失格だと思う。それでは、彼女の心に寄り添っているとは思えない。


「普通科以外にも学ぶ方法はたくさんあるよ。通信、定時制、高卒認定とか。」

「…お母さんとお父さんは、許してくれるかな…?」

「それは、話してみないと分からないわ。でも、話してみたら何か変わるかもしれないよ?」

「優也君みたいに?」

「そう!」

まさかそこで同級生の名前が出てくるとは思っておらず、思わず笑ってしまった。


今も地元で働いている彼は元気にしているのだろうか?在学中もテスト前になるとひいひいと泣きついてきた彼を思い出す。

卒業式の日には上田先生も参加してくれて、私の両親と彼と彼の両親、みんなで泣いてしまった。ついこの間のように思えるこの出来事も、考えてみたらもう8年も経っているのだ。

職場では新人を抜け、中堅と呼ばれる立ち位置に近づいてもいる。

「歳を重ねるのは案外早いけど、人生は長いよ。」

「人生100年時代だもんね。」

「まだあと85年は残ってるよ、どうする?」

「えー!長いなぁ!今生まれた子供でも私が死ぬ時には85歳かぁ…えっ、やば。」

先の長さに驚くけれど、そんなに長いのならば少々30年くらい羽目を外したってどうってことないような気がした。

「長いからね、ゆっくり考えて答えを出せば良いよ。」


少女は“確かに。”と言うと陽だまりのような笑みを見せた。

「あ!でも一つだけ言っとくよ。」

「え?なになに?」

「頑張った後に食べる焼肉は、すごい美味しいよ。」

あの時に食べた焼肉の味は死ぬまで記憶の中に残っているだろう。


少女と顔を見合わせて笑いあっていると、窓の外から私の名前を呼ぶ声が聞こえてきた気がした。

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高校生 古河奈桜 @nao-furukawa

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