ぼくの話⑬

受験勉強が始まった日、ぼくの生活には変化が起こった。


母親が朝にぼくを起こすようになった。今まで昼まで寝てようがお構い無しだったのに『 試験は朝にあるんだから!』と言って7時にはドアをノックして返事をするまで声をかけられた。

上田先生から規則正しい生活をして、勉強する時間を決めるのも受験を乗り切る秘訣として言われていたのでぼくも頑張って起きた。


起きた後にテレビを付けるとニュース番組が流れた後、天気予報がしている。始まった日の天気予報では桜の開花予想がされていて、春がもうすぐそこまで近づいているのを知った。

それを見ている時に、ふと重く締め切られたカーテンと窓に目を向けると、カーテン越しに朝の光が細かい粒子となって部屋に降り注いでいるのが分かった。


今年の春は、新しい春。


そう思って10数年ぶりにカーテンに手をかけ、開けた。

目が眩むほどの光が一斉にぼくの部屋を照らしたのを見ると、ぼくの部屋がまるで別の場所みたいに見えたのも覚えている。


カーテンを開けて感動に浸っていた時にドアをノックされた。いつもと違うノックの仕方だったから母親では無いことに気づいて、少し身体がすくんだ。

引きこもり始めてすぐの時には、父親にこれでもかというくらい叱られたのをまだ覚えていたからだ。高校に行きたいという話をした時には同一人物なのかと疑うほど冷静にぼくの話を聞いていたから大丈夫だと思っていたのだが、今更になって怒られるのだろうかと心配になった。


でも、予想に反してドアを開けた先に立っていた人物は、両手に電動カミソリを持っていた。

思いもよらない姿に言葉を失い、じっと立っていると、『 来い』とだけ言って洗面台に向かった。

そこでぼくはなんと父親から髭の剃り方を教わったのだ。小さな頃から厳格で仕事に忙しかった父親に叱られたことは数知らずだけれど、何かを教えてもらうのはこれが初めてだった。

長年、伸びてくるものをハサミで切っただけの髭は絡まっていて剃りにくかったけれど、徐々に解けていく様はまるでぼくと父親の関係のようだった。


サッパリとした顎を撫でながら部屋に戻ると、母親が部屋の前に立っていて一言『 掃除をするわよ。』と言われた。なんでも、不衛生な部屋ではいつ病気になっても可笑しくない、とのことだ。

今までずっとこの部屋で暮らしてきて大きな病気をしていないのに、そんなことあるわけがない…と思いつつも、『 受験日前日に熱出しても知らないわよ。』と言われてしまうと強くも出れなかった。


部屋に入られるのは嫌だったので、自分ですると言って布団のシーツだけ洗ってもらった。少しだけ母親が顔を顰めたような気がするけど知らんぷりをして、掃除機をかけた。


暖かな日差しが差し込む明るい部屋に、サッパリとした顔、埃がまわない床。当たり前のようでいて20年ぶりに再開したもの。

失っていたぼくの少年期が戻ってきたようで、心の中にも明るい日差しが差し込んできた。

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