第17話「人喰いグマ」



「キーちゃん!」

「キィィィィィ」

「うまい!」


 未玖留とキーは宿の空き庭でボール遊びをしている。二人……いや、一人と一匹の和気あいあいとした様子を、清史と千保は縁側で座りながら眺める。

 宿の仕事を片付ける間、未玖留のそばにいて面倒を見てほしいと、響花に頼まれたのだ。


「すごいね、まるでオットセイみたい!」

「キーちゃんボール遊び得意なんだよ♪ 人の目があるから散歩に連れていけないし、この庭で遊ぶしかないんだ」


 キーの頭を撫でる未玖留。完全なペット感覚で遊んでいる。確かに犬や猫のように魚を散歩に連れていく者など、好奇の目で見られかねない。


「キヨ君も一緒に遊んでもらいなよ」

「それよりさ、誰も気にしてないから言うけどよぉ……」


 清史は先程から気になることが一つあった。誰もが指摘するべきことのはずが、当然のことのように流している事実だ。




「なんで魚が陸上で平然と生きてんだよ!?」




 清史の常識では、魚が陸上に身を置くとピチピチと跳ねた後に窒息して死ぬ。魚は基本エラ呼吸しかできないため、水中でしか酸素を体内に取り込むことができない。それは一般的な海水魚であるナキウオも例外ではない。


 しかし、未玖留の飼っているキーは、陸上でも水中でもお構い無しに呼吸を行っている。生物学上あり得ない現象が起きている。


「ほんどだ、なんでだろうね~?」

「ねぇ~」

「いやいや、お前らもっと驚けよ!?」


 キーが陸上で生息可能という異常な現象を、未玖留と千保はさほど驚愕の姿勢を示さなかった。未玖留に関しては10年間も飼っているにも関わらず、その事実を気にも留めていなかった。


「まぁ別にいいじゃん。こうして抱けるんだもん」

「キーちゃんのうろこ気持ちいい~♪」


 マスコットと触れ合うようなノリで、キーに抱き付く二人。可愛く鳴き出すキー。ごくありふれた日常の一切れで、とても犯罪を犯しているような風景には見えない。


「こんなことしてていいのか……」


 清史がぼそりと呟く。違法なナキウオの飼育を見逃していることもそうだが、清史達はまだ達成しなければいけない目的があった。






 未玖留の世話を清史と千保に任せ、律樹と光は宝玉探しに向かっていた。島中を巡って聞き込みを続けたが、案の定収穫はなかった。


「ここか……」


 最後に訪れたのは水城みずしろ町の役場だ。もう思い当たる可能性はここしか残っていなかった。正式な行政機関なら有力な情報を掴めると踏み、二人は扉を潜った。




「海底での採掘……?」

「えぇ、ミズシロ島は火山島なので、少量ではありますがダイヤモンドが採れます。先程見せてもらった文書の絵とは少し違いますが」


 ついに宝玉の名を口にし、首をかしげない人物と出会えた。律樹達を出迎えた職員は、ミズシロ島で採掘できる宝石について説明した。この島では水産業と並行して、宝石の採掘も行っているようだ。


「リッキー、もしかしてそのダイヤモンドが宝玉なんじゃない?」

「うーん……どちらかと言うとダイヤよりフローライトっぽいけどな」


 職員の用意したダイヤモンドのレプリカと、文書のミズシロ島の宝玉の絵を見比べる。青く美しい輝きを放つ様子は同じだが、瓜二つと言えるほど似ているわけではなかった。


「それで、そのダイヤはどこで採れるんですか?」

「近海の海底で採掘できますが……残念ながら一般人の私的な採掘は許可できません。我々も極秘で行っているわけですから」


 職員が言うには、宝石は海底の奥深くで、専用の潜水採石船を使って掘っているらしい。だが、私的に利用することはできない。宝玉の存在が島民に認知されていない様子から、上等機関だけで極秘に行われているという。


「そうですか……」

「どうしてそんな機密事項を教えてくれたんですか? 島民には内緒にしてるのに」

「最初から宝石の存在を知っていて、わざわざ尋ねてきたあなた方に隠す意味もないですし。それに……」


 職員は周りを見渡しつつ、律樹達だけに聞こえる小言で尋ねた。




「先程宝玉と仰いましたよね。それを探してるということは、つまり……なんですか?」

「……はい」


 律樹は静かに頷いた。宝玉採掘のことよりよほどの機密事項なのか、「アレ」という隠語で職員は尋ねた。その意味を律樹達は理解しているようだ。


「やはりそうですか……。できれば力になりたいところですが、一般人への採石の許可は流石に下せません。大変申し訳ございません……」

「いいえ、大丈夫です」


 お互いに頭を下げる。役場にて宝玉の存在が微かに明らかとなかったが、手に入れることはできなかった。用も済み、律樹達は役場を出ていった。







「千保さん! こっち!」

「未玖留ちゃんいくよ! それ!」


 千保と未玖留は、キーと共にサッカーで遊んだ。昼を過ぎても、彼女達の活気は収まらなかった。


「キーちゃん! 決めて!」

「キィィィィ」


 バシッ

 キーは尾をバットのように振り、ボールを打った。


「え……ふがっ!?」


 ボールはキーパーである清史の顔面に直撃した。清史の不細工な顔がより一層不細工になった。魚が当然のようにサッカーボールを操る様に驚き、反応が遅れた。


「お前もう魚じゃねぇだろ……」

「やったね未玖留ちゃん、キーちゃん! ゴールだよ!」

「わ~い♪」

「キィィィィ」


 笑顔でハイタッチする千保と未玖留。二人はいつの間に仲良くなったのだろうか。キーも勢いよく飛びはね、尾で千保達とタッチした。誰も顔面が赤く腫れた清史に手を差し伸べない。


「もう清史ったら、魚の打つシュートくらい止めれるでしょ~」


 未玖留は清史に歩み寄り、小馬鹿にする。地味に呼び捨てである。


「呼び捨てにすんな! つうかおかしいだろ! どこの世界にサッカーの上手い魚がいるんだよ!」

「この世界にいるじゃん。ねぇ~」

「ねぇ~。サッカーの上手い魚、サッカーナだよ♪」

「やかましいわ」

「キィィィィ」




 時刻は午後3時を回る頃。響花が縁側からお茶菓子を持って出てきた。


「お二人共ありがとうございます。そろそろお茶にしましょう」

「ねぇママ聞いて! さっき千保さんが言ってたんだけど、清史ったら家出してきたんだって」

「おいこら未玖留! バラすな!!!」


 お菓子にありつきながら、無邪気に話す未玖留。笑顔の絶えない我が子を見て、響花は微笑ましい気持ちになった。響花はナキウオの餌の袋を未玖留に渡した。


「ありがとうママ。ほらキーちゃん、ご飯だよ!」




 キーは黙ったまま空を見上げていた。雲がかかったのか、辺りは徐々に薄暗い影に包まれていく。


「キーちゃん?」


 キーの視線を追い、未玖留も空を見上げる。




「……え?」


 そこには鯉のような魚が、上空を泳ぐように飛んでいた。


「何……あれ……」


 清史や千保も突然現れた巨大な鯉の存在に気が付く。体が水で形成されたように透き通っていた。鯉は大きな体をくねらせながら、海の方へと飛んでいった。再び非現実的な光景を前にして、清史は愕然とした。


「鯉……?」

「海の方に行ったよ! 追いかけよう!」


 未玖留は咄嗟に駆け出し、宿の出口へ向かった。鯉の正体を確かめるつもりらしい。


「おい待て!」

「未玖留ちゃん!」


 清史と千保も後を追った。




「確かあっちに……」

「未玖留ちゃん?」

「こんなところで何してんだ?」


 山道を下りてきた未玖留は、道中で律樹と光と合流した。たった今役場から戻ってきたところだ。


「さっき大きな鯉が現れて、海の方に泳いでったの!」

「え、鯉?」

「追いかけないと!」

「待て! どこに行くんだ!」


 未玖留は再び駆け出した。同時に清史と千保も追い付いた。






 ザッ


「ん?」


 一行は再び何者かの気配を感じた。今度は上空ではなく陸上だ。




 グルルルル……

 清史達の目に飛び込んできたのは、体長2メートルほどの巨大なクマだった。次から次へと未知の生物が現れ、大混乱に巻き込まれる。


「え……?」


 ふと、清史は思い出した。宿を紹介した島民の話を。



“それにあの山、人喰いグマが出るから”


“人喰いグマ!?”


“あぁ、オズフルっていうでっけぇクマだ”



 グォォォォ


「マジかよ!?」


 清史は必死で飛びかかってきたオズフルをかわす。人喰いグマの噂は本当だった。ただ、島民の話では人里には下りてこないはず。なぜ人間の前に白昼堂々と現れたのか。


「クソッ、空飛ぶ鯉に人喰いグマ……さっきから一体何なんだ!」


 オズフルの迫力は恐ろしいものだった。まるで自動車に殺戮本能を植え付けたような化け物だ。ただひたすら視界に映った人間を、執拗に追いかけて襲いかかる。


「あぁ……」


 逃げ惑う人影の中、未玖留だけが呆然と突っ立っていた。そう、人は心の底から得体の知れない恐怖を感じると、全身の筋肉が硬直して動けなくなる。襲われる恐怖ががんじがらめになり、未玖留は小鹿のように怯える。


 グォォォォ!

 もちろん野生のオズフルが、人間の感情を汲み取ってくれるはずもなく、格好の獲物目掛けて飛びかかる。




「未玖留ちゃん!」


 バシッ ドォォォン

 間一髪のところで、横から千保が飛び膝蹴りを食らわせ、オズフルの巨体を横転させる。千保は能力を発動させ、全身の筋肉を強化したようだ。未玖留はすかさずその場を離れ、光の腕の中へ。


「みんな、下がってて!」


 千保の光る赤眼が、体勢を整えるオズフルをまっすぐとらえる。何の武器もなしに、人間の力で対抗するのは自殺行為だ。今は千保の能力に頼るしかなかった。

 このままオズフルを町へ向かわせてはパニックになる。島民の命を守るため、ここで無理にでも足止めするしかない。


「千保……」


 清史は固唾を飲んで見守った。自分の力では事態を解決できないという、底知れぬもどかしさに狩られながら。


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