第10話「海の底」
俺と千保は加藤家に戻った。光さんが用意してくれた昼食は、すっかり冷めてしまっていた。帰りが遅くなったのをペコペコ謝りつつ、昼食を頬張った。今日の昼食はチャーハンだ。
「そういや、律樹さんは?」
「もう仕事に行ったわ。彼、下町の工場で働いてるの」
律樹さんがいないということは、いちいち嫌みを言われる心配がないということ。そう思うと、飯が軽やかに進むな。
「リッキーがいないと落ち着くでしょ」
「え? ま、まぁ……(笑)」
「気持ちわかるよ。確かに彼なりの優しさはあるんだろうけど、言ってくることが理屈づめでうんざりするのよね」
光さんが呆れながらチャーハンを口にする。つくづく光さんが俺と同じ意見で助かった。
「お兄ちゃんって超が付くほどのシスコンだよね。優しくしてくれるのは嬉しいけど、行き過ぎな気がする」
「この間なんか、音楽配信なんか辞めてまともな職に就けって言ってきたのよ。これでも十分稼いでるんだけど」
本人がいないからって、女性陣が口々に律樹さんへの不評を語り始めた。度胸の座った人達だな。確かに俺もあの人に散々言われたが、流石に言い過ぎな気も……
いいぞ、もっとやれ。
「そっか、光さんってYouTubeやってるんでしたっけ」
「えぇ、まだまだ現役なんだから」
何の話だろうか。まさか光さんってYouTuber? さっき稼いでるって言ってたし……。そもそも、光さんは律樹さんとどういう関係なのだろう。血縁関係があるわけでもなさそうだ。加藤家とどういう繋がりを持っているんだろうか。
「あ、そうだ光さん、午後からちょっと出てくね。用事があるから」
「あらそう、一人で大丈夫?」
千保が一人で外出することを心配する光さん。律樹さんと同じくらいに、千保のことを大切に思っているんだろう。この人達の言葉からは、目には見えない温もりを感じる。
「うーん……あ、キヨ君に付いてってもらうよ」
「え?」
なんで俺!?
「それなら安心でしょ?」
「そうね、それなら安心ね」
どこが安心なんだよ。二人共、勝手に納得しないでください。
ザッ ザッ ザッ
俺と千保は軽装に着替えた後、神殿の森を進む。もはや立ち入り禁止という言葉は何の意味も成さない。お構い無しに森の地面に生えた雑草を踏み散らす。
「なぁ千保、そろそろ教えてくれよ。俺に手伝ってほしいことって何なんだ?」
祠に祈りを捧げた後に言われたことだ。俺は千保にあることを手伝ってほしいと頼まれた。そのあることとは一体何なのかは、後で話すと言っていた。
「ちょっと待ってて。その前に確かめたいことがあるんだ」
千保は清史に顔を向けないまま、木々の間をすり抜けていく。彼女の考えが理解できないまま、俺はただ付いていくことしかできなかった。
一体何のつもりなんだ?
「ここは……」
俺達は森を抜け、断崖絶壁にたどり着いた。ここは昨日俺が飛び降り自殺しようとした場所だ。結局千保に助けられてしまったが。
「キヨ君よくこんな高いところから飛び降りたよね」
何だそれ。わざわざこんなところまで連れてきて、当て付けか? 自分勝手に自殺を企て、命を無駄にするなんて馬鹿だと言いたいのか?
「悪かった……って、え?」
千保はスタートダッシュの構えをした。
「ちょっ、待て待て!」
俺は慌てて走り出そうとする千保の体を押さえた。明らかに今、彼女は崖から飛び出し、海に身を投げようとしていた。俺は千保を崖から遠ざけた。
「何やってんだ!」
「うーん……やっぱりここからじゃ怖いや。もうちょっと低いところに行こう」
そう言って、千保は再び森へと入って行った。俺は再び彼女を追いかけた。
一体何のつもりなんだ?(二回目)
今度は広い砂浜へとやって来た。夏の青空を写す澄みきった海がとても綺麗だ。さっき俺達がいた崖も近くに見える。
「ここならいいかもね」
「さっきから何をやってるんだ?」
千保はさっきから俺を森やら崖やら海やら、至るところに連れ出している。彼女の足があっちこっち変な方向に転換するものだから、付いていって頭がこんがらがってくる。
「ちょっと海の中に用があるんだ」
「海の中に? 何の用だ?」
「キヨ君、崖から飛び降りた後に海で溺れてた時のこと覚えてる?」
「はぁ? んなの覚えてねぇよ」
あの時は自分から死ぬために飛び降りたとはいえ、海に沈んでいく度にまともに息が吸えなくなる恐怖と苦しみで、パニック状態になっていた。そして瞬く間に気を失った。千保が助けに来てくれたのも気付かなかったくらいだ。覚えてるわけねぇよ。
「そっかぁ」
「海の中に何があるって言うんだ?」
「さぁね。今から確かめるんだよ」
「はぁ?」
千保は軽く屈伸や伸脚を行い、大きく深呼吸をした。恐らくこれから海に入るんだろう。でも、海に入るなら服を脱いだ方がいいように思えるが。
「キヨ君、しばらくここで待ってて。すぐに戻って来るから」
グググッ
再びスタートダッシュの構えをした千保。彼女の足の血管が膨張し、生々しく浮き出た。能力を発動させたのだ。
「え? あ、おい千保!」
ダッ ザバァーン!
千保は勢いよく走り出し、海に飛び込んだ。うっすらと見えた彼女の右目が赤く光っていた。遠ざかる彼女の影を、俺は砂浜から呆然と眺めているしかなかった。
ほんと、一体何のつもりなんだ……?(三回目)
電車の窓から流れる景色のように、私を避けて泳いでいく魚の群れ。私の体を受け止めるたくさんの水泡達。桃色の髪はワカメになったようになびいて、時折横切る魚をくすぐる。
海中を泳ぐ時の感覚は、いつ感じても摩訶不思議だ。海はまるで宇宙のような幻想的な空間を、陸の世界しか知らない私に見せてくれた。私は景色に魅惑されながら、先程の崖の下の方へ泳いでいった。目的地はその周辺だ。
「……!」
遊泳気分に浸っている間に、早くも目的地が見えてきた。巨大な黒い山が見えてきた。海底にそびえ立つ山だ。
“これだ……”
私は昨日からこれが気になって仕方がなかった。キヨ君を助けたあの時、気を失った彼を引っ張って海中を進む中、海底にうっすらと大きな山がそびえ立っているのを発見した。
あの時は溺死しかけていた彼を最優先しなければならなかったため、急いで砂浜へ泳いでいったけど、私の脳裏にある可能性が
“これは……家!”
私は家の柱に使われていたと思われる木材を見つけた。周りに倒壊した跡のように別の木材が散乱している。
“この鉄片……”
今度は赤黒い鉄の塊を見つけた。藻が表面を覆っている。形が歪であるため、何に使われていたかはわからない。もしかしたら、これも建物に使われていたのかもしれない。
“次々と出てくる……”
他にもかろうじて形を保った建物、桑や鎌などの畑仕事の道具、茶碗や箸、花瓶など、明らかに人間の生活を物語る道具が落ちていた。私はこれらの物証から確信を得た。
“やっぱり……沈んだ島!”
これはきっと、何十年か前に海底へ沈んだ島だ。当時はちゃんと陸地として海の外に顔を出していて、その上に人が生活していたんだと思う。それが天変地異が何かで地盤が崩壊して、海の底へと沈んでしまった。
「……!」
しばらく泳いでいると、岩の影から人の白骨が姿を現した。ぎょっとして海水を飲んでしまうところだった。今は能力で肺を強化して、水中でも長く息が続くようにしてあるけど、そろそろ効果が切れそうな時にやめてほしい。
そうだ、そろそろ能力の効果が切れてしまう。せっかく見つけたのだから、何か情報を持ち帰らなければ。私は白骨の周りを物色した。慌てると水中で土煙が広がり、探しにくい。それでも急がなくちゃ。
“ん?”
私はたまたま触れたものを手に取って確認した。これも藻が表面を覆っててわからないけど、書物か何かだった。藻を払い取って中を読んだ。
“これは……”
そこには島の詳細が日記の形式で書かれてあった。じっくり読んでいる暇はないけど、「宝玉」「シマガミ」「ライフ諸島」など、関係しそうな言葉が記されてあった。この白骨の人がまとめたものなのか。
“すみません、これお借りします”
私は微かに刺さる胸の苦しみを感じ、来た道を引き返す。その書物を手に、急いで砂浜へと戻った。
“やっと見つけた……”
私はわずかな希望を見出だしたような、清々しい気分を胸に泳いだ。
「……あ!」
千保が海面から顔を出した。思ってたよりも早く帰ってきたな。俺はすぐさま彼女に駆け寄った。
「はぁ……はぁ……危なかった……」
千保は海から出て、重い足取りで砂浜を歩く。彼女の服はずぶ濡れで、至るところから海水が垂れている。よくそんな格好で海に潜ったもんだ。千保は砂浜に腰を下ろした。
「千保、何だその本」
「え? あぁ、海の底で潜って見つけたの」
「そうか。んで、もう用事は済んだのか?」
「うん」
千保は緑がかった汚い本を持って戻ってきた。なんでわざわざそんなゴミを持ってきたんだよ。ていうか何のために海に潜ったんだ。これじゃあ俺が付いていく意味ないだろ。
「悪いけど、さっき言ってた頼みたいことはもうちょっと待ってて。必ず後で説明するから」
「あぁ、それよりさっさと体拭いて着替えろよ。濡れたままだと風邪引くぞ」
そういや、千保は海の底まで潜ってたと言ってた。酸素ボンベやダイビングスーツも無しに潜れるなんてすごいな。恐らく能力で体を強化して、水中でも酸素がもつようにしたり、水圧に耐えられるようにしたんだろう。つくづく便利な能力だ。
何のためにそこまで体張ってんだか。
「さてと、用事も済んだことだし、帰ろうか~」
千保は砂浜に背を落とし、仰向けに寝転がった。帰る気あんのか?
「その前にどっかタオル借りてこようぜ。早く拭かねぇと……って……」
「ん? キヨ君、どうしたの?」
俺は千保からゆっくりと目を反らした。
「あっ……///」
千保はとっさに起き上がり、腕で胸元を覆い隠した。そう、服が透けてブラジャーが見えていたのだ。下は飽きるほど見たが、上は見たことなかったな。なかなか可愛い柄だった。
「キヨ君のえっち……///」
「不可抗力だろ!///」
俺も千保も頬が赤く染まった。スカートの中が見えそうな時は俺のこと散々からかってたのに、いざ見られたとなると照れるって何だよ。
そういうのやめてくれ。可愛いから。
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