第9話「キオス島」



 すったもんだあって、清史は加藤家に居候することになった。幸いと言って良いのか、清史が家を飛び出したのは、清史の高校が夏休みに入って数日経った頃だった。学校生活というしがらみから解き放たれているため、不登校が発覚する可能性は少ない。親が連絡していなければの話だが。


「……」


 清史はカーテンから透き通る日の光を浴びながら、遠くにいる親のことを思い浮かべる。まさか家出した息子が、こんな離れ小島まで逃げているとは到底思うまい。一週間親の元を離れてみて、ようやく向こうの心境を探る気になった。


 果たして両親は自分のことを心配しているだろうか……。




 コンコン

 ドアをノックする音が聞こえた。


「おはよう清史君。朝ごはんできてるよ」


 エプロンを着た光が顔を出した。


「おはようございます」

「顔洗ってから台所においで」


 清史は布団をめくって立ち上がり、光に案内されて洗面所へ向かう。時刻は8時32分を回っていた。昨日は自分でも気付かないほど疲れていたようだ。随分と寝てしまっていた。


「……」


 ポケットに重みを感じた。







 清史は着替えを済ませてから台所に向かった。テーブルにはトーストと目玉焼き、ベーコンとサラダが用意されていた。典型的な洋風の朝食だ。向かい側には律樹が新聞を読みながらコーヒーを飲んでいた。光は椅子に座った清史に、牛乳を注いだグラスを差し出した。


「ありがとうございます」

「うん、召し上がれ~」

「いただきます」


 清史はバターを塗ったトーストをかじった。スポンジが潰れるようにシャクッと弾けた。テレビからは今週の天気予報を伝えるニュースキャスターの明るい声が聞こえる。光も食卓に合流し、手を合わせて朝食にかかる。そして聞こえるのは咀嚼音だけ。


 何故だろう。かつての長谷川家の無機質な食卓と状況が変わらないはずなのに、居心地の悪さを全く感じない。


「ん~、やっぱり朝食はパンに限るわね」


 いつの間にか光はトーストを一枚サクッとたいらげてしまっていた。清史より後に食べ始めたはずなのに。食欲旺盛な人なのだろうか。


「そういえば、千保はどうしたんですか?」


 今更ながら、食卓にいない千保の姿を探す清史。起きた時から家の中から気配が消えていた。朝から彼女の笑顔が見れることを、清史は内心楽しみにしていた。


「千保ちゃんはもう学校に行ったわ。テスト期間だからお昼までには帰ってくると思うけど。あ、そういえばあと何日で終業式だっけ?」

「あと三日」


 光は律樹に尋ねる。清史が目覚めた時には既に朝食を終え、家を出ていったらしい。夏休みが近づく頃に迎える期末テストを受けているようだ。


「千保は真面目だからな。誰かさんと違ってきちんと学校に行ってるぞ」

「ううっ……お、俺の学校は既に夏休みですし……」

「夏休みじゃなくてもどうせ行かなかっただろ」


 朝から千保の笑顔ではなく、律樹の嫌みをくらうことになった清史。美味しかったトーストの味が、急に不味く感じる。


「こらリッキー、いい加減清史君をいじめるのはやめなってば!」


 光はいつものように律樹を叱る。律樹は知らん顔してコーヒーをすすり続ける。清史は何も言い返せなかった。もし登校期間のタイミングで親と言い争いが起きてたら、律樹の言う通り確実に不登校になっていたからだ。


「すみません……」

「謝らなくていいんだよ。学生の時期って辛いこといっぱいあるもんね。この人の言うことなんて気にしないで、好きなだけゆっくりしてていいからね」


 光の寛容な態度によって、清史の罪悪感は更に膨れ上がっていく。いつまでも現実から逃げてばかりいられない。本来自分はここに居座ることを許されない存在なのだから。


 清史は朝食をたいらげ、皿をシンクに置く。


「ごちそうさまでした。俺、ちょっと外出てきます」

「あ、うん。お昼ご飯までには戻ってきてね」

「はい」


 台所を出ていく清史。すぐに玄関のドアが閉じる音が聞こえる。光の目には早足で逃げていくように見えた。




「光、清史から聞き出してくれないか?」

「え?」


 コーヒーを飲み終えた律樹が、皿とコップをシンクに置いた。


「聞き出すって……何を?」

「あいつの親の連絡先」


 律樹が自分から清史のことを口にするのは珍しかった。望んだ内容ではなかったが。


「俺があいつの親に電話して、引き取りに来るよう言う。向こうが行けない場合はこっちから行く」

「そんな、急に家のこと刺激したらかわいそうよ」

「このままずっとうちで保護するわけにもいかないだろ。警察沙汰になる前に家に返してやった方がいい。あいつのためにも」


 律樹が清史に対して反抗的な態度を示すのは、ここが居心地がいい場所だと思わせないようにするためだった。やたらと家に返そうとするのも、彼なりの清史への優しさだった。


「今じゃなくてもいいでしょ。こういうのは彼自身が帰りたいと思えるようになってから……」

「光、昨日も言ったろ。家出した未成年を匿うのは犯罪なんだ。誘拐と同等なんだよ。もしあいつの両親が警察に行方不明者届でも出してたら、そんで俺達が匿ってることが発覚したら、俺達は犯罪者だ。たとえ清史が同意の上でもな」


 どこまでも正論を叩き付けてくる律樹。彼は彼なりに清史のことを考えている。しかし、どうも光は受け入れられない。


「そんなの……かわいそうだよ……」

「仕方ねぇよ、これが現実なんだから」


 蛇口から垂れた雫が、皿に溜まった水に波紋をつくる。静寂に包まれた台所に、現実の不条理に苛まれる大人達の苦悩が煮えていた。






「はぁ……」


 律樹の嫌みが心に響き、清史はつい外に出てしまった。外の空気はわずかながら、清史の体に染み付いた緊張を解きほぐす。昼食まで島を徘徊して時間を潰すことにした。


「そういや、キオス島って言ってたな」


 この島に来るために乗ったフェリー。ネットでのチケット購入時に、キオス島を往復する連絡船と記されていた。日本でカタカナの島名は珍しく感じた。そもそもこのキオス島はどういった島なのか。面積、人口、特産、清史には何一つわからない。




「……あ」


 考え込みながら歩いているうちに、大きな建物にたどり着いた。キンコンカンコンとチャイム音が聞こえる。どうやら学校のようだった。


 正門の所まで行くと、『貴緒須町立科樹高等学校きおすちょうりつしなきこうとうがっこう』と書かれた石板が建っていた。島の名前がそのまま町の名前になってるらしい。この島に自治体が一つしかなければ当然か。


「そういや、もうこんな時間か」


 歩いている間は気にならなかったが、既に12時を過ぎていた。チャイムが鳴った後、校舎からはぞろぞろと下校する生徒の姿が出てきた。テスト期間であるため、下校時間もかなり早いようだ。


「ん?」


 当然ながら、生徒達は夏期仕様の制服に身を包んでいた。半袖から見える素肌が、太陽に照らされて輝いていた。清史は女子生徒のセーラー服のデザインに見覚えがあった。早い下校と見覚えのあるセーラー服……


「てことは……」






「あれ? キヨ君?」


 生徒の群れの中に、千保の姿を見つけた。千保が通っているのは、ここの高校だったようだ。







「いやぁ、その……偶然たどり着いたんだよ」

「ほんとかなぁ? 私に会いたくてお兄ちゃんか光さんに高校の場所聞いたんじゃないの~?」

「んなことしてねぇよ!///」


 千保は清史をからかおうと、彼の心に探りを入れる。せっかくなので二人で一緒に徒歩で下校することになった。


「ふふふ♪ あ、帰りに寄りたいところがあるんだ。付き合ってもらっていいかな?」

「ん? あぁ」


 一瞬「付き合う」という言葉で恋愛的な意味を想像した清史。すぐさま浮わついた思考を心の奥底へ引きずり込んだ。






「ここなんだ」

「え? ここって……」


 清史は千保に連れていかれた場所に、恐ろしいほどに見覚えがあった。ここは清史が大きな竜を目撃した場所、もとい赤い水晶玉を拾った場所だ。石の階段が続く先に、さびれた祠が建っている。


「ここ来たことあるの?」

「あぁ……」

「そうなんだ。私ね、毎日ここでお祈りをしてるの」


 千保は先に階段を登っていく。清史は足がすくんで動けないでいた。また竜が現れたりしないだろうか。襲うことはないにしても、真ん前に馬鹿でかい怪物がいる光景は、とてつもなく恐ろしい。


「キヨ君どうしたの? 登ってきなよ」

「えっと……」


 千保が振り返り、突っ立ったままの清史を待つ。竜の存在を知らないのか、臆することなく階段を踏み締めている。


「あ、もしかして下からスカートの中見る気かな?」

「なっ、んなんじゃねぇし!///」


 言われて始めて気がついた。清史は階段の上に立つ千保のスカートの中身が見える位置にいる。千保はどこまでも清史をからかってくる。


「キヨ君のえっち♪」

「み、見てねぇよ!///」


 嘘である。清史は確かに千保の下着を見た。スカートが風でめくれた瞬間と、絶好の位置が相まって、しっかり拝むことができた。清史は鼓動を早める心臓を押さえ、やけくそで階段を登った。


“ていうか、お前のパンツなんかもう見飽きたっての……”


「それにしてもお前、こんな暑いのによくそんな長い靴下履いてられるな」

「そりゃピチピチのJKだもん」


 千保は膝の位置までロングソックスを履いていた。せっかくの綺麗な素足が隠れてしまい、少し残念に思う清史だった。そのことはもちろん彼女に内緒だ。バレたら彼女の兄に肉片にされてしまう。


「それよりお参りしよ」

「こんなちっぽけな祠でお参りか」

「別にいいじゃん」


 千保は目を閉じ、手を合わせた。祈りを捧げる様がとても美しい。写真に撮って額縁に入れて飾りたい。そんな疚しい考え事をしながらも、清史は彼女に倣って手を合わせ、目を閉じて祈った。


 同じことは、初めてここに来た時にもやってしまったが。




「ふぅ」


 千保が祈りを終えたタイミングで、清史も恐る恐る目を開いた。首を振って辺りを見渡す。念のため、頭上を確認する。どこにも竜の姿はなかった。


「よかった……」

「どうしたの?」

「いや、実はな……」


 清史は昨日この祠で体験したことを話した。






「……というわけなんだ」

「え……」


 清史は全て話し終えた。いつの間にか千保がやや引きつったような顔になっていた。まるで秘密にしていた事実が知れ渡ってしまったように。


「どうした?」

「ううん、何でもない」

「そうか。とにかく不思議なんだよな。あの竜は一体何だったんだ……」

「うん、不思議だね……」


 千保はすぐに平常な顔に戻った。彼女の心境が気になる清史だったが、非現実的な話に呆れているだけだと思い、深く追及はしなかった。


「それにこれ、この水晶玉は何なんだ……」


 清史はズボンポケットから水晶玉を取り出した。


「それ何?」


 水晶玉を見た千保が尋ねた。中の赤い光は、手元に置いておきたくなるようような不思議な魅力を感じさせた。清史も何かに取り憑かれたように、着替えのズボンのポケットに水晶玉を入れて家を出た。


「あぁ、俺にもよくわかんねぇけど、竜が消えた後にこの祠に置いてあったんだ」


 千保にも正体がよくわからない水晶玉。まるで竜が持ってきたかのように、不思議と清史の手元に渡った。青空に浮かぶ太陽の光に負けないように、水晶玉は赤くメラメラと輝いていた。


 このキオス島には、清史や島民も知らない大きな謎が隠されているようだ。


「……キヨ君」

「ん? どうした?」


 千保はぼそりと呟いた。


「ちょっと手伝ってほしいことがあるんだけど」


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