第8話「あなたを知る」
「ふぅ……」
食った食った。あれから4,5皿くらいおかわりしただろうか。作った量の三分の二くらいは俺の腹に収まってしまったかもしれない。ただの居候の分際だと自覚していながら、あまりの美味しさについ我を忘れて口にかきこんでしまった。
「たくさん食べたねぇ。流石男の子」
「こんなに後片付けが大変なのは久しぶりだよ」
千保と光さんは台所で皿を洗っている。相変わらず馬鹿にしてるのか褒め称えてるのかわからない言葉だ。一応手伝うようには言ったものの、いいの座っててと肩を下ろされた。申し訳なさを抱えつつも、椅子に座って膨らんだ腹を休めた。
なんて居心地のいい空間なんだ。素性もわからない家出少年を、こんなにも温かく迎え入れてくれる人達がいるなんて。実は自分は飛び降りた時に既に溺れ死んでいて、今は天国にいるのではないかと思い込んでしまうくらいだ。
「……」
俺は首を締められるような苦しい視線を感じた。完全に居心地がいいというわけではない。俺がいることを快く思わない人もいる。そう、律樹さんだ。
「リッキー、終始顔が怖いよ」
「俺達は家出少年を匿った。これで立派な犯罪者だ」
「だからそういうこと言わないの!」
光さんは俺のことを心の底から受け入れてくれてるみたいだが、対して律樹さんは俺のことを完全に邪魔者扱いしている。意見が対立した大人に板挟みになったこの状況が、居心地のよさを磨り減らしていく。
「まぁいい、この家にいることに何も文句は言わない。千保も認めたからな。だが身勝手な真似は許さねぇぞ。絶対に千保に手出しするな」
律樹さんは更に凶悪な表情になり、俺に告げた。
「千保に何かしてみろ。殺すぞ」
言った! この人はっきりと口にしたぞ!? 殺すとか簡単に言わないでくれよ。人にそんな酷いこと言っちゃいけませんって、学校で習わなかったか? まともに学校に通わなかった俺が言えることじゃねぇけど。でも流石に自殺しかけた人間に言っていい台詞じゃない。
「こらリッキー!」
「お兄ちゃん……」
女性陣は引き気味だ。俺も心を乙女にして一緒に仲間に加わりたい。やっぱりこの兄貴、めちゃくちゃ怖い。千保も能力を使えば腕力でねじ伏せてきそうで怖いが、一番警戒すべきなのはこの男かもしれない。クソッ、このシスコン兄貴め……。
ピロンピロン
台所の外から愉快なメロディーが聞こえてきた。
「あ、お風呂沸いたね。清史君先に入っといで」
何から何までありがたいことだ。
「はぁぁぁぁ……」
熱々の湯に浸かり、俺はため息を溢す。風呂に入るのも一週間振りだ。たとしたらかなり不潔だな。自分では気づかなかったが、もしかしたら体から異臭を放っていたかもしれない。臭いと思われたら申し訳ない。
「……」
湯船に浸かりながら、この家の人達のことについて考えた。どうして彼女達は俺にこんなに優しくしてくれるのだろうか。律樹さんはともかく、千保や光さんの献身的な態度に疑問を感じる。
家出少年なんて厄介な存在、普通なら警察に引き渡して即刻サヨナラという選択が賢明だ。少くとも俺の中では、律樹さんの反応は至極真っ当だと思う。俺も向こうの立場であれば追い返す。面倒事には関わりたくないから。
「清史君、寝間着ここに置いとくね。お兄ちゃんのだけど」
千保の声が脱衣室から聞こえる。寝間着を持ってきたようだ。あの兄貴の替えか……嫌だな。
「サンキュー」
「うん、ごゆっくり~」
俺は小さく返事した。
「ほうほう、それで嫌になって家を飛び出したと」
風呂から出た後、俺は千保達に家出の経緯を詳しく説明した。どこまでも優しい彼女達に甘やかされてばかりでは申し訳なかった。親の威圧感に耐えられなかったことやフェリーでこの島に来たこと、生きる意味を見失って自殺に至ったこと、全てを話した。
「そんなことかよ、くだらねぇな」
「リッキーは黙ってなさい」
「んぐっ!?」
横槍を入れてくる律樹さんの口に、光さんはスイカアイスを突っ込んだ。
「その気持ちわかるよ~。親っていうのはすぐガミガミ言ってきてうるさいもんね。私も何度嫌だと思ったことか……」
光さんは腕を組んでうんうんとうなずく。千保も隣で相づちをうつ。共感から入ってくれるのは好印象だ。
「お前の親はお前のことを心配して厳しく言ってんだぞ。そもそもお前が日頃からだらしなくしてるかr……んがっ!?」
光さんが律樹さんの口に二本目のスイカアイスを突っ込んだ。律樹さんもいつの間に一本目を食い終えたのだろうか。とにかく、自分で言うのも何だが、親の呪縛に苦しむ子どもにその決まり文句は厳禁だ。
「家出したくなる気持ちはよーくわかる。でもなかなか行動に移せないものよね。それを清史君はやってのけた。すごい勇気よ!」
光さんは俺の話すことを何でも肯定的に捉えてくれる。誉めてくれるのは嬉しいが、別に家出は誉めるようなことじゃない気がするぞ。
「私達の家に好きなだけ居ていいからね」
「おい待て、ここは俺の家だz……んごっ!?」
三本目のスイカアイス入りました。確かにここは加藤家で、千保と律樹さんの家だ。そういえば光さんは律樹さんとどういう関係なんだ?
「ゆっくりしてってね」
「はい、ありがとうございます……」
俺は光さん達に頭を下げた。
「清史君、お風呂上がりにアイスでも食べなよ」
千保は椅子から立ち上がり、冷蔵庫までアイスを取りに行ってくれた。俺はどこまでも献身的な彼女に感謝した。
ところで気のせいかな。今チラッと中身が見えた冷凍庫に、スイカアイスが100本くらい入ってたような……。
「面白い人でしょ、光さんって」
「まぁな」
「ふふふ♪ あ、この部屋使ってね」
俺は千保に案内された部屋に入る。この家に都合よく空き部屋が用意されてて助かった。もし律樹さんと同じ部屋で寝ろと言われたら、あまりの恐怖に眠れなくなる。本人に言ったら殺されて、永眠してしまうだろうな。そんな形でぐっすり眠るのは御免だが。
「ごめんね、本当は私の部屋を使わせてあげたいけど、お兄ちゃんが許してくれないから」
「千保の部屋?」
千保の部屋を使わせてもらうだと? それはつまり、千保と同じベッドで……千保と同じ布団を被って……///
「あれ? 何想像してるのかなぁ~?」
「な、な何も想像してねぇよ!///」
頬が赤く染まっていたのが自分でもわかる。それに気付いた千保が俺をからかってきた。何してんだよ俺。なんで俺と千保が同じベッドで寝るのを前提に想像してんだ!
「ふふ♪ とにかく、この部屋好きに使っていいからね」
「お、おう……///」
こいつと一緒にいると簡単にペースを崩されてしまう。赤く染まった頬が戻らない。心なしか、さっき千保の部屋のベッドの温かい感触が
俺は壁に掛けてあった時計を眺める。午後9時12分か……寝る時間にしては少し早いように感じる。
「なぁ、千保」
「何?」
俺は空き部屋のベッドに腰かけた。
「なんで俺を助けたんだ?」
俺はずっと千保に聞きたかったことを聞いた。どうして自殺しようとした俺を救ったのか。能力があるとはいえ、荒れ狂った海に飛び込むなんて危険過ぎる。下手すれば彼女も命の危機に晒されたはずだ。
「どうしてそんなこと聞くの?」
千保はきょとんとした表情で聞き返した。もし危険な場面でなかったとしても、俺には人を助けるという行為の意義が理解できない。
「お前は道端にいるホームレスに食べ物を与えたり、物を差し出したりするか? 普通の人はそんなことしないだろ」
相手が家族や友人であるなら納得できる。日頃から仲良くしている人なら助ける義理があるからな。しかし、今回は何の接点もない赤の他人だ。彼女は誰だかわからず、素性も知り得ない俺を助けてくれた。俺にはそれが普通とは思えなかった。
彼女は迷うことなく答えた。
「そうかな? まぁ、『普通』って人によって基準は違うけどね。でも、私の中では道端にいるホームレスみたいな恵まれない人達を見るとすごく心が痛むし、その人達に何かしてあげたくなるのは普通のことだと思うよ」
俺が普通でないと思うことは、彼女にとっては普通のことだ。そう言い返された。確かにそうかもしれないな。普通の基準なんて人それぞれだ。
「……そうか」
しかし、俺にはまだ千保の心が理解できなかった。まだまだ俺の普通は、彼女の普通と一筋も重ならないようだ。彼女の考えが通じるほど、俺の心の壁は薄くはなかった。
「だから、私は苦しそうな清史君を見て、心を痛めた。助けてあげたいなぁって思ったの」
彼女は言葉を続けた。
「私はあなたの苦しみをわかってあげたい」
「なんでそう思う必要があるんだ。お前と俺とは赤の他人だろ。お前に俺の何がわかる」
俺は容赦なく吐き捨てる。何やってんだ俺……なんで献身的に接してくれる彼女にも高圧的な態度をとってるんだ。謎のタイミングでムキになり、ついつい乱暴に言い返してしまった。
それでも、千保は俺の目を真っ直ぐ見つめながら話し続けた。
「うん、わからないよ。あなたがどんな人か、私にはわからない。どうすれば喜んで、どうしたら怒るのかも。何が好きで何が嫌いなのかも、何もわからない」
俺は千保の顔を見た。彼女の顔は嘘偽りのない本音を、誰の目にもわかるくらい写し出していた。
「だから一緒にいるんだよ。そばにいて、あなたを見つめて、一緒に生活して、あなたを知るの。あなたがどんな人間なのかを、これからあなたと関わりながら理解していくの」
「関わり……」
千保の声が段々強さを帯びて大きくなっていく。
「人間は関わってみないとどんな人かわからないのよ。上部だけの言動や立ち振舞いだけ見ても、それはその人の全てじゃない。長く一緒にいて、深く関わることで、相手の中身まで知れるの」
俺は千保の真剣な眼差しに見惚れる。こんなに真摯な顔は家族にも向けられたことがなかった。いや、記憶がないだけであったかもしれない。しかし、確実に今まで出会った人の中で、千保がダントツに一番自分の心に寄り添ってくれている。俺はそう思った。
「あなたのこと、これから色々教えてよ」
千保は手を伸ばした。俺は千保の手を握り、恥ずかしがりながらも口を開いた。
「千保、ありがとう。その……よろしくな」
「うん、よろしくね! キヨ君!」
「あぁ。……って、え、キヨ君?」
相変わらずの千保の可愛げの凄まじい笑顔に気を取られ、一瞬反応が遅れてしまった。彼女は俺のことを「キヨ君」と呼んだ。
「せっかく友達になれたんだし、ただの君付けじゃ面白くないでしょ。だからニックネーム考えてみたの♪」
友達……唐突に俺をそういう関係として見てくれたことにも驚きだ。彼女の優しさに満ちた温かい光は、俺の体だけでなく心にまで浸透してくる。
「キヨ君、ダメかな?」
彼女の優しさが、とても嬉しい。
「……いいよ」
「やった~♪ これから改めてよろしくね、キヨ君!」
千保は俺に手を差し伸べる。不思議だ。彼女と握手を繰り返す度に、感じる温かさが増していく気がする。どうして彼女のことを思うと、こんなにも胸がドキドキするのだろう。千保と深く関わることで、それが判明するのだろうか。
「あぁ、よろしくな」
俺は手を握り返した。これからの人生、それを確かめるための時間として費やすのも、案外悪くないかもしれない。
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