第7話「食卓の温もり」



「それじゃあ、次は君のことを話してもらうね」

「え?」


 椅子に座り直した千保は、ベッドに腰かける俺に言う。体を動かし過ぎて出た汗が、急に冷たく感じる。


「君は一体何者なのかな?」


 そういえば、俺は名前を名乗ることしかしていない。千保は信じられないような自身の能力を明かした。ちっともありがたくない実践を交えて。今度は俺が自分を明かす番か。

 でも別に彼女のように特別な能力を持っているわけでも、顔立ちが優れているわけでもない。つまんねぇ説明になりそうだな。




 ただ、だからと言って普通ともちょっと違う。


「……俺、家出したんだ」

「やっぱり」


 やっぱり? 千保もなんとなく察してたんだな。いや、彼女でなくても気がつくか。やはり家出した子ども特有の腐敗したオーラか何かが漂っているんだろう。


「正確には親に出ていけって言われたんだ。だから望み通り出ていった」

「酷いこと言うものね」


 全くだ。いくら息子の出来が悪いからって、『出ていけ』なんて冗談でも口にしてはいけない。父さんと母さんはどういう神経してんだ。もうあんな家、死んでも帰りたくない。


「まぁ、酷いのはあなたもだけど」

「あぁ?」


 俺はその言葉を聞き逃さなかった。ついしかめっ面に戻される。千保まで俺を蔑むつもりか。


「ごめん。でも一概に親だけが悪いとも言いきれないでしょ」

「チッ……んなことわかってんだよ。どうせ俺なんか……」


 俺の傲慢さは俺自身が一番理解している。でも、それを認めたくなくて逃げ出した。ついカッとなる性格も問題だ。そっぽを向く俺を、千保は小馬鹿にするように笑う。何笑ってやがる。


「ふふっ♪ それで、どこから来たの? 見るからにこの島の人じゃないみたいだけど。お家はどこ?」

「岐阜県の河野こうのってところだ。……って、俺は戻らないからな!?」


 俺はすぐさま付け加える。家の場所を尋ねられると、まるでそこに帰らせようと考えてるみたいじゃないか。家出少年を見つければ当然の対応だが。でも絶対に帰ってやるもんか。


「違う違う、そんなことしないよ。行く宛ないんでしょ? うちでよかったらしばらく泊めてあげるよ」


 千保は軽く手を振って訂正する。千保はこんな素性もわからない家出少年の俺を、家に泊めてくれるという。それはそれで問題じゃないか? 家出して帰るのを拒む俺が言うのも何だが。


「い、いいのか?」

「うん、いいよ」

「本当に?」

「うん」


 彼女の発言はいちいち軽はずみで困る。二つ返事で男を自分の家に泊めるなよ。あの強面の兄貴が黙ってないだろ。それにお前自身は本当にいいのかよ。こんな顔面犯罪者の俺が怖くないのか?


「いや、その……え?」

「何? もしかして照れてるの? 女の子と同じ屋根の下なんて思ってて♪」

「なっ、違……んなんじゃねぇよ!///」


 クソ……この女、なんか腹立つ。ぶっちゃけ照れてるのは事実だけど、それを見越してからかってくるのがマジで腹立つ。でも、今まで感じた怒りとはまた種類が違う。憎悪にまみれた怒りではない。うまく言い表せないが、気軽に許せるくらいの温かい怒りだ。


 何なんだ、温かい怒りって……訳わかんねぇ。


「とにかく決まりね。しばらく家でゆっくりしてくといいわ」

「……」


 お前が許したとしても、兄貴が何て言うかわからないけどな。さっき俺に向けていた敵対心から考えて、受け入れてくれる可能性は望めない。もしまた出ていけと言われたら、今度こそ諦めて出ていこう。神殿の森の中で死ぬまでテキトーに暮らそう。


 俺は千保の提案に乗りつつも、正直安心できなかった。




 コンコン キー


「千保ちゃん、ちょっと手伝って」

「あ、は~い」


 突然ドアのノックしてやって来たのは、白髪の女性だった。彼女は確か千保の兄貴と一緒にいた人だ。


「あ、君、起きたのね。まったく……毒キノコ食べるなんて、随分大胆なことするじゃない」


 白髪の女性は笑顔で歩み寄ってくる。馬鹿にしてるのか心配してるのか、よくわからない。


「私、池内光いけうち ひかる。よろしくね」

「長谷川清史です……」

「清史君、お腹空いてるでしょ。今晩ご飯作ってるから、ここで待ってて。できたら呼びに行くね」

「え?」


 光さんは俺を夕飯に誘っていた。まるでさっき千保が言っていた、俺をこの家に泊めるという話を前提にしているかのように。こんな俺なんかのために、晩ご飯を振る舞ってくれると言うのか。


「千保ちゃん、鍋見といて。私皿準備しとくから」

「わかった~」


 千保は椅子から立ち上がり、光さんの後ろに付いて行く。


「清史君、メガネ枕元に置いてあるから」

「お、おう……」

「あ、そうだ」


 千保はドアノブに手をかけ、最後に付け加える。




「メガネ似合ってないからやめた方がいいよ」

「うっせぇわ」












 千保は夕飯の調理の手伝いに向かった。俺はメガネをかけて立ち上がる。これは家を出た後にテキトーな店で買った伊達メガネだ。俺は目付きが悪いため、伊達メガネで見た目だけでも真面目そうな人間に見せている。似合ってないだと……余計なお世話だ。


 でも、まぁ……自分でもわかってる。初対面の千保でも気づいたのだ。このメガネには何の効果もない。伊達メガネをかけたところで、俺が頭良さそうに見えることもないし、目付きの悪さも変わらない。


「……」


 カァァァァ

 さっきまでメガネが置かれていた枕元には、あの水晶玉が転がっていた。カーテンを閉じた暗い部屋の中で、美しく赤い輝きを放っていた。耳を済ませば輝く音まで聞こえてきそうだ。ほんと、なんで俺はこんなの持ってきたんだろうな。


 そして、赤い光を見つめていると、あのことを思い出す。


「赤い目……」


 先程千保が能力を発動し、俺の攻撃を受け止めたり、猛スピードで走っていた時のことだ。桃色の前髪の奥で、彼女の右目が光っていた。充血していたわけではなく、瞳を赤い清涼な液体で満たしたような、美しさを感じるような赤みがかった目だった。恐らくあの目が、彼女の能力が発動している証拠なのだろう。


 しかし、見続けて感じたのは美しさだけではなかった。こちらの心まで狩り取られてしまいそうな恐怖も心に存在していた。力でねじ伏せられる痛みは、決して体だけに染みるわけではない。




「清史くぅぅぅぅぅん、ご飯できたよぉぉぉぉぉ」


 一階から光さんの声が聞こえた。




 グー


「……///」


 返事をするように、俺の腹が鳴った。












 階段を一段下る度に、美味しそうな匂いが増していく。腹の音が再び鳴り出しそうなのを抑えるために、慎重に台所へと足を運ぶ。


「うっ……」


 台所に来て一番最初に視界に入ったのは、不機嫌そうに肘をついて座る千保の兄貴だった。


「……」


 千保の兄貴はやって来た俺に気付き、狙撃手のような鋭い目付きで睨み付けてくる。眉が反比例のグラフのように垂れ下がっている。俺との距離が近づくほど、苛立ちが増すらしい。


「もうリッキーったら、そんなあからさまに嫌そうな顔しないの」


 光さんが母親のように注意をする。


「この人は千保ちゃんのお兄さんで、加藤律樹かとう りつき。リッキー、この子は長谷川清史君よ。仲良くしてあげてね」

「よ、よろしくお願いします……」

「おう」


 律樹さんの返事には覇気がこもっていなかった。こりゃ絶対馴れ合うことを拒んでるな。俺だってこの人と仲良くなれる自信がない。俺は律樹さんとなるべく目線を合わせないように心がけた。


 光さんはサラダの器をテーブルの中央に乗せ、俺の目の前のランチョンマットにコップを置き、麦茶を注いだ。続けてスプーンを隣に置く。階段のところまで漂ってきた香ばしい匂いと大きなスプーン。ということは……


「さぁ清史君、召し上がれ♪」


 千保は俺の前にドンと皿を置いた。茶色のルーと純白の米が盛られたカレーライスだ。ごろっとした大きなじゃがいも、にんじん、玉ねぎ、牛肉、それらがルーにまみれて散りばめられていた。


「千保ちゃんの得意料理よ。そこらへんの下手なカレーより何けい倍も美味しいんだから」


 千保は自慢気に胸を張る。エプロンをかけていてもわかるほど、彼女の胸はそこそこ大きかった。なんかエロいな。


 いや、こんなこと考えてたら律樹さんに殺される。さっさと食べよう。


「それでは……」

『いただきま~す』


 四人で手を合わせる。俺以外の三人はスプーンを手に取り、さっさとカレーを口にしている。だが俺は今更ながら遠慮気味だ。なんで夕飯を食べさせてもらうことにすら罪悪感を感じているのだろうか。


「清史君」


 千保が手を止め、俺に言う。


「すっごく美味しいよ、食べてみて」

「……」




 俺は一口すくい、口に運んだ。


 パクッ




「……!」


 口に入れた瞬間、俺の瞳から涙が溢れた。


「……うまい」

「ふふっ、よかった♪ おかわりたくさんあるから、いっぱい食べてね」


 そこからは狂ったロボットのように、一気に口にかきこんだ。うまい、うま過ぎる。冗談抜きで今まで食ったカレーの中で断トツに一番うまかった。光さんに「落ち着いて食べな」と背中を撫でられた。

 一週間振りのまともな食事に、俺は心も体も感動したのだ。涙まで無意識に流れるくらいに。


「……」


 あの律樹さんも満更でもない表情で俺を見つめていた。俺はあっという間に一皿平らげてしまった。


「ありがとうございます……」


 とにかく初めてだ、何かを食べて涙が流れるなんて。この人たちはこんなに美味しい料理を振る舞ってくれて、笑いながら食事を共にしてくれる。いつもの家族との食事は、こんなに温もりに溢れていない。冷たい空気と心のこもっていない料理、咀嚼音そしゃくおんとテレビの音声が聞こえるだけの乾いた食卓しか記憶にない。


 だが、ここは違う。食べる料理、食卓を囲む人々、漂う空気、全てが温かかった。


「千保ちゃんから事情は聞いたよ。今まで辛かったよね。好きなだけここにいていいから、今はとにかくたくさん食べて忘れな」


 光さんは優しく笑いながら、山盛りのおかわりを差し出す。限界を迎えていた俺の腹に、温度のある料理がどんどん吸い込まれていく。食う量に負けないくらい涙も溢れる。


「ありがとう……ございます……」

「うんうん。あ、おかわりね、は~い」


 今度は千保がよそってくれた。俺の母親になったようなつもりで。俺は自分でも驚くくらいに、この場所居心地がいいと思ってしまった。


「はいどうぞ、たくさん食べてね」

「あぁ……ありがとう……」


 千保を中心とした、この温かい食卓を。


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