第6話「能力」
「ねぇ清史君、私を殴ってみて」
「……は?」
千保はとんでもない返答をした。これは流石の俺も予想外だ。ていうか彼女の行動の俊敏さについて尋ねたのに、「私を殴って」という返答は飛躍的過ぎるぞ。俺は脈絡のない返答に困惑した。
「どういうことだ……?」
「だから、私を殴ってみてよ。その拳で」
千保は布団に隠れた俺の腕を指差す。訳がわからないぞ。どうして俺が千保をグーパンチで殴る必要があるんだ? こういうことを言ったら失礼かもしれないが、まさかこいつ……マゾヒストか何かか?
「いいのか?」
「うん、いいよ」
簡単に言ってくれるな。俺は改めて千保の体つきに目を通す。シャツやショートパンツからそそり出る彼女の手足は、心配してしまうくらいに華奢だった。まるでポッキーみたいだ。こんな薄っぺらい柔な体で暴力なんか受けたら一溜りもないだろ。
「……ほんとにいいのか?」
「もう、いいって言ってるでしょ!」
彼女の曇らない瞳が、確実に傷付かないと訴えかけてる。その絶対的な自信が逆に心配なんだよ。自慢できることではないが、学校では何度か暴力沙汰を起こして教師から問題視されていた。腕っぷしはかなり強い方だ。彼女のポッキーなんか簡単に破壊できてしまうかもしれない。最悪殺してしまうかも。
それに、何の恨みも無しに暴力なんか振るえるほど俺は残忍じゃない。ましてや相手は俺の命の恩人だぞ。
“おいおい、ほんとにいいのかよ!?”
彼女が全く動じないとなると、もはや問いかける相手が自分自身しかいない。本当に殴ってしまっていいのだろうか。まさか俺をはめようとしているのか。自分が殴られた瞬間、慰謝料を請求するつもりじゃねぇだろうな。
それならまだしも、影からさっきの兄貴が飛び出してきたらどうするんだ。そうなった場合、殺されるのは俺だぞ。
「清史君、いいよ……」
いやいや、なんで『私を抱いて……///』みたいなノリで言ってんだよ。そんな優しげな瞳で暴力は求めねぇだろ。とはいえ、これ以上長時間焦らしても、流石の彼女も機嫌を損ねてしまうかもしれない。俺はため息をついた。
後悔するなよ。お前がやれって言ったんだからな。
“ええい、どうにでもなれ!”
ブンッ!
俺は自分の出せる最大限のスピードとパワーで、彼女の顔面目掛けて拳を繰り出した。
バシッ!
「……」
鈍い音が俺の耳に届いた。俺は静かに目を開いた。やけくそで殴りにかかったため、拳が直撃した瞬間が見えないように目を閉じたのだ。相手を骨折させるほどの威力を込めた一撃だ。
しかし、目を開いて見た光景に、俺は唖然とした。
「……え?」
彼女は俺の拳を片手で受け止めていた。
「ふふっ♪」
「な、なんで……」
「なんでだと思う?」
先程聞こえた音は、彼女の骨にヒビを入れた音ではなかった。彼女の小さな右手が、俺の大きな拳を包み込む。余裕の二文字を浮かべた彼女の笑顔が、そこにはあった。
「……!」
すかさず俺は左手を握り、千保に向けて突き出した。この時の俺はどうかしていたと思う。瞬時に次の攻撃を繰り出した。
バシッ!
しかし、彼女も左手で俺の追撃をしっかりと受け止める。どんなに凄まじい力を込めた素早いパンチも、彼女の手のひらに触れた瞬間に衝撃を吸収されてしまう。
「嘘だろ!?」
「えへへ」
俺はやけになり、次々と連続で拳を振るった。それでも彼女は俺の攻撃を一つ一つ受け止めた。パンチだけでなくキックも試した。もちろん彼女の前には通じず、拳を受け止めた手で即座に足を掴む。それはもう目に止まらぬ速さってやつだった。
バシッ! バシッ! バシッ!
「くそっ! この!」
「……」
どれだけパンチやキックを繰り出しても、全ての攻撃は彼女の力で無効化される。いつの間にか俺は不良と殴り合うノリで、本気で彼女に襲いかかっていた。全部無駄なんだがな。
「はぁ……はぁ……」
軽く5分くらい攻撃を続けただろうか。俺は体力の限界を迎えて倒れた。死にかけから生還したばかりの体には、こんな激しい動きはキツすぎた。汗が千保の部屋の床に垂れる。
対して彼女は全く疲れを見せていない。最後まで彼女の余裕は消えることはなかった。終始笑顔なのが何かムカつくな。こんな華奢な女に負けたのか、俺は……。
「どうなってんだ……一体……」
「驚いた? これが私の能力なの」
千保は自分の細い腕を見せつける。力という言葉とは無関係なほどに細すぎるポッキーを見つめ、俺はまたもや困惑する。能力って何のことだ?
「今は私の腕にありったけの力を注いだんだ。それで清史君のパンチを受け止められたってわけ」
「力を注ぐ?」
千保が俺の攻撃を受け止めることができたのは、能力で一時的に腕力を増幅させたからだという。俺の拳よりも遥かに強い力らしい。
「普段はあんな力出せないんだけどね。でも能力を解放させると腕力が桁違いにアップして、さっきみたいにパンチやキックを受け止めたり、重いものを持ち上げたりできるんだ」
千保は自分の腕を撫でながら説明する。確かに、さっきは千保の華奢な腕からは想像もつかないようなパワーを感じた。こんなポッキーみたいな細い腕から、よくあんな力が出てくるな。いや、あんなに力が強いということは、最後までチョコたっぷりというわけだから、ポッキーというよりもトッポか。
「とにかく、お前は腕っぷしを強くする能力を持ってるってことか」
「強くできるのは腕力だけじゃないよ」
「え?」
そう言うと、千保は椅子から立ち上がり、部屋のドアへと駆けていった。ドアを開け、俺の方に振り向く。
「いい? 見ててね」
ブォンッ!!!
「……は?」
凄まじい突風が発生したかと思いきや、千保の姿が一瞬にして消え去った。
「見ててねって……見えねぇんですけど」
突風で本棚に並べられた本が何冊が飛び出たり、引き出しにしまっていたプリント類が舞い上がったり、部屋はもうめちゃくちゃだ。
そして、俺の頭の上に千保の下着がヒラヒラと落ちてきて乗っかった。突風でクローゼットから飛んできたのだ。こいつのパンツ、何度見ても可愛いな。
ブォンッ!
「お待たせ!」
2分くらい経った後、千保は部屋に戻ってきた。突風が発生し、片付けの最中だった部屋はまためちゃくちゃになった。こいつは一体何がしたいんだ……。
「あ、それ……」
千保は俺のリュックを握っていた。俺が家を飛び出した時からずっと背負っていたリュックだ。中にはスマフォや財布、折り畳み傘、毛布などが入っている。そういえば海に飛び込んでから、リュックの存在をすっかり忘れていた。
「さっきの断崖絶壁のところに置いてあったの。今取ってきたんだ」
平然と口にしているが、千保の家からあの崖を往復する距離と、千保が戻ってきた時間を考えてもあり得ない。戻ってくるのが早すぎる。2分程度で往復できるはずがない。俺は一度ここから崖のある森に引き返したことがあるから、だいぶ距離があるのを知っている。
「……もしかして、これも能力か?」
「その通り♪」
千保は歯を見せてにやつき、リュックを俺に手渡した。今までも何度か千保の行動の俊敏さに疑問を抱いていたが、ようやく理解した。
「今度は足の力を強くしたの。おかげで早く走れるようになるんだ」
「それじゃあ、さっきの買い物に行ってたのも、家まで解毒剤を取りに行ってたのもそうか。やけに早すぎると思ったら、能力で脚力を増幅させてたってのか」
「そういうこと♪」
千保は問題に正解した生徒を称えるように、俺に可愛い笑顔を向けてくる。こんなに無邪気でちっこいガキのような幼気な彼女でも、体の中にはとんでもない力が眠っている。そう思うと、女という生き物に対するイメージがよくわからなくなるな。
「最初に君を海から助けたのもそうだよ。肺を強くして水中で長く息ができるようにして、次に全身の筋肉の力を強くしたの。そうすればあの荒れ狂った波の中でも泳げるからね。それで君を海から引き上げて、家まで運んだんだ」
「そんなこともできるのか!?」
「簡単にまとめると肉体強化だね。体内の特定の器官の働きを促進したり、筋肉を強くして衝撃から守ったりとか、色々できるよ。とにかく自身の体を強くできるのが、私の能力なんだ」
全くわからないが、とにかくわかった。千保は俺のために超人的な能力を活かし、命の危機から何度も救ってくれていたようだ。
「まぁ、ずっと強化状態でいることはできないけどね。あくまで能力は一時的だから」
「そ、そうか……」
全ての謎がパズルのピースを埋めるように解けいく。心にかかっていた
いや待て。まだパズルの穴は残っている。俺は更に質問した。
「なんでお前はそんな凄い能力を持ってんだ?」
ここまでバリエーションの豊富な能力を持っているなんて、もう彼女は普通の人間ではないのかもしれない。どこにでもいるような可愛い少女の千保が、なぜこのような特別な能力を有しているのだろうか。
「うん、それはね……」
「おう」
千保は俺の質問にはっきりと答えた。
「私にもわかんない♪」
ズコーッ!
「はぁ!?」
俺は思わずズコーッと倒れてしまった。漫画でよくある、予想外の天然なボケに転倒するアレだ。
「小一か小二……の頃かな? よく覚えてないんだけど、気付いたらこの能力が使えるようになってたの。最初は重いもの持ち上げて遊んでたんだけど、何度も試してたら色々できるようになったんだ」
「はぁ……」
滅多に笑顔を崩さない彼女。やけに呑気だな。そんな不気味な力を得ても恐れないのか。俺だったら怖い。何かを壊してしまいそうで、誰かを傷付けてしまいそうだから。
「怖くないのか?」
俺はまた千保に尋ねた。彼女は即答した。
「うん、怖くないよ。この能力を手に入れてから、毎日楽しいもん♪」
相変わらず彼女の笑顔は俺を安心させてくれる。しかし、瞬時に劣等感が俺の心を多い尽くす。彼女は訳のわからない力に目覚めても、恐れることなく前向きに生きている。目の前に広がる世界を、事象を、景色を心の底から楽しんでいる。
「そうか……」
「うん。なんかね、生きててよかった~って思えるようになったんだ~」
彼女は生きることに希望を見出だしてるのだ。
「……」
それに比べて俺は……。
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