第5話「再びの死」



「……」


 清史は手に握った水晶玉を見つめながら森を歩く。赤い輝きに魅力され、つい祠から持ってきてしまった。もしこれが御神体のような役割を果たしているものだとしたら、非常に罰当たりな行為だ。

 それを自覚しているのに、俺の手はなぜかその水晶玉を持ち帰ろうと伸びてしまった。


 わからない。うまく説明できないのだ。何らかの神聖な物品を持ち去る行為が罰当たりであることを自覚している。それでも自分が持っていないといけない謎の使命感も同時に働き、手が伸びてしまう。何なのだろうか。


「ふむ……」


 手触りはツルツルで、かなりの重量を有している。何とか片手で持てるもの、二の腕が震える程度の重さだ。レプリカだとこんなに軽くはないだろう。つまり、これは本物の水晶玉である可能性が高い。


 だとすれば、尚更持ち去ってはいけないのではないだろうか。


「はぁ……」


 とはいえ、あんな誰も見向きもしない錆びれた小さな祠から、水晶玉を一つ盗んだところで、誰も特も損もしない気がする。いや、あの竜が黙っていないか。とにかくわからない。


「どうすりゃいいんだ……」


 水晶玉のことも気になるが、今夜をどう乗り切るかも考えなければいけない。結局千保の家からは追い出されてしまった。もう島民の助けを借りることは望めそうにない清史らひとまず水晶玉をズボンのポケットにしまい、夜を越すための対策を考える。




 グゥ……


「クソッ」


 今まで意識しないように全力で目を背けてきたのだが、そろそろ限界のようだ。腹の虫が鳴った。


「腹へったなぁ」


 思い返せば、家を出てから何も食べていない。水すら口にしていない。あれからもう一週間だ。人間は水無しでは三日も生きられないと聞いたことがある。だが清史は既に通常の人間の限界をも越えていた。真の意味で生死の境目をふらついているのだ。


 ガッ


「うっ!」


 突如足のバランスを崩し、その場に倒れ込んだ。落ち葉が緩和材となって清史を受け止める。


「何……だ……」


 清史の体力は刻一刻と削られていった。空腹を意識し始めた途端、体が思うように動かず、喉の渇きと飢餓感に押さえ付けられる。忘れていた間は自由に動けていたのに、ここに来て余計に疲労を感じてしまった。清史の体もついに限界に達してしまったのだ。


「畜生……」


 とにかく、何か口にしなければ。このままでは命に危険が及ぶ。自分の死因は栄養失調による餓死となってしまうのか。




「……あっ!」


 清史は顔を上げる。地面から一本のキノコが生えている。傘からヘタまで綺麗な純白のキノコだ。ほのかに香る自然で優しい香りが食欲をそそる。


「……!」


 我慢などできるわけがなかった。この際食べられそうなものは何でも口に入れなければ。清史はキノコを引き抜き、土も払わずに傘からかじりついた。適度に歯応えのある感触とじんわりと広がる渋みが、清史にほんの少しの安らぎを与えた。




「……うっ!?」


 キノコを飲み込んだ瞬間、突然謎の吐き気に襲われた。まるでキノコが直接胃を攻撃しているように、腹を突き刺すような痛みが走る。


「がっ……あぁ……」


 清史は瞬時に察した。これは毒キノコだ。しかも即効性の高い毒を持っているようだった。飲み込んだ瞬間に症状が現れた。清史は今まで感じたことのないような激しい吐き気に悶絶する。


「や……べ……」


 吐瀉物が落ち葉を包む。どれだけ吐いても吐き気は止まらなかった。突き刺すような痛みは更に増していった。胃の壁を食い荒らされているようだ。意識も次第に薄れていく。このままでは死もあり得る。


「だ……れか……助……け……」


 森には人の気配はない。知らん顔した大木が立ち並ぶのみだ。清史は苦しみながらも覚悟を決めた。ついに死の瞬間がやって来たのだ。清史の死因は「海に身を投げて溺死」でも「竜に食い殺される」でも「栄養失調で餓死」でもなかった。まさか「毒キノコを食う」になろうとは。


 しかし、これも自分の運命だと諦めて身を委ねた。自分はこの世界にとって害なのだ。ならば人のいない場所で静かに死ぬべきだろう。これで誰にも迷惑をかけず、誰の力も借りることなく死ねる。


 清史は助けを求めるのを止め、地に伏せておとなしく死を待った。








「清史君!」


 まだかろうじて働いていた視界に、千保の姿が映った。彼女の悲壮な顔が近づいてくる。清史を探しに来てくれたのだろうか。


「千……保……」

「大変! どうしよう……」


 千保は辺りを見渡す。清史は目線で彼女に語りかける。もう何をしても無駄だ。この様子では、今から病院に運んだって間に合いそうにない。それに死ぬのは自分の自業自得であって、これ以上千保が助けに入る理由なんてないはず。


 もう、どうしようもないのだ。


「そうだ! 待ってて!」


 そう言って、千保は清史の元を離れていった。ものすごいスピードで走り出し、森の奥へと消えていく。清史を助けようと全力で行動しているらしい。もう何をしても無駄だというのに。清史は徐々に真っ暗になっていく意識の中で、ようやく死ねることに安堵する。


“最後に千保の顔が見れてよかった……”




「あれ?」


 清史は疑問に思った。




「なんで……俺……あいつ……の……こと……」




 清史は遥か彼方へ意識を手離した。




   * * * * * *




“……ん”



 


“……君!”





 誰だ……




“……史君!”




 誰かの声が聞こえる……




“清史君!”




 誰かが俺を呼んでいる……






「清史君!」

「は!?」


 バッ

 俺は思い切り起き上がった。この感じは初めてじゃない。俺、またベッドの上で寝てんのか。しかもここ、さっきの……


「よかった、無事だったんだね」

「千保……」


 隣で千保が胸を撫で下ろしている。ここは千保の部屋だ。さっきの動物のぬいぐるみといい、壁に掛けられたセーラー服といい、見覚えのあるものばかり。完全に最初に海で助けられた後と同じシチュエーションだな。


 でも、病院ではないのか?


「また助けてくれたのか?」

「そうだよ。清史君、いくらお腹が空いてるからって、目の前にあるもの何でも食べちゃダメでしょ」


 俺が無事だとわかった途端、小馬鹿にするように笑う千保。俺はキノコの毒で苦しんでいたところを、また千保に救われたらしい。腹の苦しみも綺麗に収まっている。


「あれはシロアヤメダケって言って、即効性の強い猛毒のキノコだよ。ちょっと食べるだけで命に関わるんだからね」


 綺麗な薔薇には刺があるように、美味しそうなキノコにも毒があるってか。あの時の俺は空腹で判断能力が崩壊していたため、つい確認もせずに口にしてしまった。ほんと申し訳ないな。


「神殿の森には結構生えてるんだ。だからあそこは近寄らない方がいいよ」

「神殿の森?」

「あそこの森の名前だよ。別に神殿があるわけじゃないけど、噂では神様の力が宿ってる森って言われてるんだって。すごく神聖な場所だから立ち入り禁止になってるの」


 千保が窓の外を眺めながら説明する。神聖な場所か……確かに近くに竜の現れる祠もあるくらいだし、結構神秘的なオーラが宿ってそうな森って感じだったな。

 ていうか立ち入り禁止なのか。看板とか監視カメラとかもなかったし、俺普通に入っちまったぞ。結構ザルなんだな、この田舎島。とにかく神秘的な伝承が関わる場所だから、一般人は無断で入ってはいけないということか。


「まぁ、立ち入り禁止になってる本当の理由は、シロアヤメダケがいっぱい生えてるからなんだけどね~」


 彼女は振り向いていたずら小僧のような笑みを浮かべる。女だから小僧ではなく小娘だな。何か企んでそうな無邪気な表情が可愛い。ついつい心を狂わされる。彼女の笑顔も危険だな、猛毒だ。


 ……って、俺は何を考えてんだ! 知り合ったばかりの女眺めて可愛いとか、変態かよ!


「とにかく、その……サンキュー///」

「どういたしまして♪」

「でも、なんで俺は無事なんだ……?」


 考えてみるとおかしい。明らかに俺は助かるとは思えない状態だった。自分で感じる症状の進み具合から、あそこから病院に運ぼうが手遅れのはずだ。そこから彼女はどうやって俺を助けてくれたんだ?


「それはね……じゃ~ん、ヒトアンシン!」


 千保は小瓶に入った錠剤を見せつける。瓶に巻かれたラベルには、お腹を押さえて幸せそうな笑みを浮かべる子どもの顔のイラスト描かれている。


「なんだこれ……」

「どんな自然毒も抑えられる解毒剤だよ。病院に連れてったら間に合いそうになかったから、家に戻って薬を取りに行ってたんだ」

「取りに行った?」


 千保は平然と説明するが、やはりおかしい。家に戻って取りに行くのにも相当な時間を必要とするはずだ。俺のところに戻ってくる前に俺が毒で死んじまう。いちいち薬を取りに帰ってたら間に合うはずがないんだ。


 そういえばさっき見かけた買い物から帰ってきた様子もそうだが、明らかに千保の行動が常人を越えた速度で行われているように感じられる。まるで一瞬で出ていき、一瞬で帰ってきたように。俺はおおむねそのような疑問を千保に説明した。


「なぁ、どういうことだ?」


 俺は千保に尋ねた。別に気にすることでもないかもしれないが、なぜか考え出すと止まらない。千保は何かを悟った目付きになり、ゆっくりと口を開く。






「ねぇ清史君、私を殴ってみて」




「……は?」


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