第4話「目を閉じて見つけたもの」



 ザッ ザッ ザッ

 俺は地面に散らばる落ち葉を踏み散らして進む。落ち葉は俺に踏まれると、悲鳴のような音を立てて潰れる。苦しむのは俺のせいだ。


「……ハァ」


 口を開けばため息ばかりだ。千保という不思議な少女と知り合ったものの、その家族に追い出された。

 そりゃそうだよな、こんな見ず知らずの気持ち悪い男を、妹に近付けさせるわけにはいかない。いや、誰が相手だろうと俺は害でしかない。


「どうすりゃいいんだ……」


 千保の部屋で確認した時から考えて、今は午後4時40分頃だろうか。ひとまず今日はどこかで休むとしよう。町に行けば除け者扱いされるだけなので、俺の居場所は必然的にこの森しかない。

 今夜は落ち葉で簡易的なベッドでも作って寝るか。どこか寝やすそうなところは……




「あっ」


 テキトーに森を歩くと、道路が見えた。電柱や一般住宅、車道、歩道が目の前に現れる。いつの間にか森の出口まで来てしまったらしい。道路には車は通らず、歩行者の姿も見えない。

 どうやらこの島は田舎に分類されるような小さな町らしい。道路に出てヒッチハイクなんかしても無駄だろうな。いや、そもそもこのまま住宅地まで戻る気も起こらない。


 まぁいい。俺は暇潰しに森沿いに歩道を歩いた。森付近の町並みを少し探索してみるか。


「ん?」


 歩道に降りて少し歩いたところに、コンクリートでできた小さな階段があった。階段の先には、小さな祠のような置物が見える。こんな錆びれた歩道の途中に建ててんのか。

 俺は階段を上って祠の前に立つ。俺の背丈にも満たない木製の小さな祠だ。


 こんな祠に一体何を祀ってるんだ。神様ってやつか。だとしたらこんなみすぼらしい小さな祠じゃ、逆に失礼な気もするな。もっと神社とかしっかりしたもん建てろよ。まぁ、見たところこんな田舎島じゃ無理そうか。


「……」


 俺は何となく祠の前にしゃがみ、何となく手を合わせる。何となく目を閉じて、何となく祈ってみる。ほんと何となくだ。何となくそうしてみたくなった。


 目を閉じて、自分の存在を問いかける。俺はどう生きて、どこを目指し、どうすればいいのか。今の俺の目の前にあるのは一寸先も見えない真っ暗闇だ。俺の進むべき道を示してくれるものもない。そもそも道が存在するのかすらわからない。




 千保は大丈夫だろうか。俺を海で助けてくれた度胸はすごいが、それ故に彼女自身も危険な目に遭った。後を追って彼女まで溺れてしまったらどうするんだ。そんな危険を犯してまで助けてくれなくたってよかったのに。


 あいつは一体何者なんだろうか。




 ……って、なんでこんな時に千保のことを思ってんだ。あいつとはもう会わない。二度と交わることはないんだ。そんな奴のことなんか気にする必要はないだろ。


 でも、このまま俺の居場所はどこにもないままなのか。永遠と先の見えない生に縛られながら歩いていくのか。それとも死んで楽になる方が得策なのか。答えを教えてくれる者はどこかにいないのか。




 なぁ、神様……俺は一体どうすればいいんだ……。






「……」


 俺は目を開いた。




 グルルルル……





 目の前には竜がいた。


「……は?」


 グルルルル……


「えぇぇ!?」


 竜は祠の上に浮かび、喉を鳴らしていた。ちょっと待て。なんで竜が現れたんだ!? 意味がわからない。

 目の前の竜は、全長20メートルはあり、全身が赤褐色で、尾と髭の長い竜だった。両手には大きな赤色水晶玉のようなものを握り締めている。なぜか目を閉じている。


 音もなしに現れたこの竜は何だ!? まさかこれが神様? まさか……


 


 グォォォォォ

 竜は大口を開け、勇ましい雄叫びを上げた。まるで今から俺を食らうことを宣言しているように。鋭い牙がずらりと並んでいる。声の衝撃でひっくり返ってしまいそうだ。

 何だ? やっぱり俺は死んだ方がいいってことか?


「ひぃっ!?」


 俺は膝から崩れ落ち、頭を消えて歯を食い縛る。先程の断崖絶壁から飛び降りるより凄まじい恐怖だ。

 いよいよ最後の時を迎える。想像していたものより現実味のない死だ。マジか……俺の死因『竜に食い殺される』になっちまったよ……。






「……んぉ?」


 竜は何もしてこない。顔を伏せて生まれた暗闇だけが、俺に静寂を返してくる。


「あれ?」


 顔を上げると、さっきまで飛んでいた竜がいなくなっていた。あんなに存在感を放っていた竜の姿が消え、ただのちっぽけな祠だけが残されている。竜は音もなく現れ、また音もなく消えた。


「何だったんだ……?」


 訳がわからない。目の前で起こる謎の現象に、頭の理解が追い付かない。とにかく、こんなおっかない場所から離れよう。




「……ん?」


 階段を下りようとした時、また何となく振り返って祠を見た。そこで俺は気がついた。観音開きの戸が開いており、内部に何か光っている物が置かれている。さっきまで何も置かれてなかったはずだ。


「何だこれ?」


 俺はそれを手に取った。赤くて丸い水晶玉のようだ。さっきの竜が両手に握り締めてたやつか?

 いや違う。あれより更に一回り小さい。俺の手のひらに収まるくらいの小さな水晶玉だ。清涼な血液を封じ込めたように赤く輝いていた。












「さっきはいきなりあんなことを言ってすまなかった」

「……」


 お兄ちゃんは何度も私に頭を下げて謝ってきた。私はいつもより情けない姿を晒すお兄ちゃんを黙って見つめる。光さんも隣から心配そうに視線を送る。


「でも、全ては千保のためを思ってのことなんだ。許してほしい」


 お兄ちゃんが謝罪しているのは、だ。私にとってはとても衝撃的過ぎて、正気を保てなくなるような恐ろしい事実を、お兄ちゃんはいきなり口にしてきた。そのことに罪悪感を抱き、私に頭を下げる。


 でも、今の私はそんなことより気になることがあったのだ。


「なんで清史君を追い出したの?」

「清史?」

「さっきの男の子」


 なんでだろう。お兄ちゃんが私に告げた事実なんかより、清史君のことが気になる。清史君を無断で追い出したことへの怒りの方が強い。


「今はあんな奴のことなんかどうでもいいだろ」

「どうでもよくない」


 お兄ちゃんは私の言葉に萎縮する。私は分からず屋のお兄ちゃんに経緯を説明した。私が偶然が自殺する現場に遭遇し、海に飛び降りた彼を助けたこと。気を失った彼をここまで運び、休ませてあげていたこと。


 しかし、全てを話しても、彼に対するお兄ちゃんの認識は変わらなかった。


「なんでそんな危険な真似をしたんだ!」

「死のうとしてる人を放っておけないよ」

「お前の身がどんな状況なのかわかってんのか!」

「律樹、落ち着いて」


 光さんが席を立ち、声を荒らげるお兄ちゃんをなだめる。お兄ちゃんは冷静さを取り戻し、再び謝ってくる。


「すまん……だがもう俺達を心配させないでくれ」

「……」


 お兄ちゃんは昔から私に対して過保護だ。いつも自分のことなんかそっちのけで、私のためだけに動いている。そのことはとても嬉しいけど、私が成長する度に過保護が増している気がする。鬱陶しくてなんか嫌だなぁ。


 でも、お兄ちゃんが私に注いでくれる愛は本物だ。そのことは認める。


「二人共、この話はもうやめましょう。落ち込むのも喧嘩するのも無し。前向きに頑張りましょう!」

「あぁ」

「それに、希望はまだ残されてないわけじゃないんだから」

「そうだったな」


 光さんが場を明るくしてくれる。私とお兄ちゃんの仲が犬猿になった時、彼女の存在がいつも私達のほどけた絆を結び直してくれた。まさに私達の光だ。


「それじゃあ、清史君を探しに行こっか」

「は?」


 光さんが唐突にそう言った。対してお兄ちゃんはまたもや反抗的になった。

 

「何よ『は?』って」

「いや待て待て、なんであいつを探しに行く必要があるんだ!」

「だって未成年が一人でいるなんて危ないじゃない」

「清史君、見たところこの島の人じゃないかもよ。きっと家出したのかも」


 この島は人口が少ない。ほとんどの島民は嫌でも顔を把握し合っている。目の前の人が島民か島の外から来た人かは、雰囲気でわかる。

 それに、清史君には言ったら失礼だけど、彼からは人を寄せ付けまいとする禍々しい空気が溢れ出ていた。過酷な現実に耐えられなくなり、逃げ出してきたのかもしれない。彼の遺書を書く様子からも、そのことが垣間見える。


「だったら尚更ダメだろ。関わらない方がいい」


 彼の境遇を想像しても、お兄ちゃんはまだ反対している。


「でも、もしも何かまた危険な目に遭ったら大変じゃない。ひとまず私達が保護してあげましょうよ」

「あのな、親の同意無しに家出した未成年を匿うと、未成年者誘拐罪に問われるんだよ」

「別に保護するだけよ。それに彼が受け入れれば誘拐なんかにならないでしょ」

「たとえ本人の同意を得ていても誘拐扱いになるんだよ。家出した奴を匿うってのはそういうことだ」


 お兄ちゃんは断固として清史君を受け入れなかった。光さんの言葉は何度もお兄ちゃんの心をすり抜ける。お兄ちゃんは自身の地位が危うくなるのを恐れているんだ。




 ダッ

 私は席を立って玄関へ向かった。お兄ちゃんはすぐに私を呼び止める。


「おい待て、どこに行くんだ」

「清史君を探しに行く」

「だからあいつのことは放っておけって」

「……」




 ガシッ


「痛っ!」


 私はお兄ちゃんの腕を掴み、能力を解放させて思い切り握った。筋肉と骨がひん曲げられる鈍い音が響く。


「やめろ千保! ぐっ……あぁ……」

「わかってるでしょ。お兄ちゃんじゃ私を止められないって」


 お兄ちゃんは必死に抵抗するも、私の手から腕を引き剥がすことはできない。私の力は止められない。お兄ちゃんの腕は悲鳴を上げる。


「ち、千保……やめてくれ……」

「だったら、清史君を保護して。それを認めてくれるなら、さっきのことも許してあげるよ」

「わ、わかった! わかったから!」


 バッ

 私はお兄ちゃんの腕を離した。私の掴んでいたところは薄っすらと紫色に腫れていた。光さんは馬鹿にするような、それでも心配もしているような複雑な表情で、戸棚から救急箱を取り出す。


「妹に力勝負で負ける兄って……(笑)」

「うっせぇわ」


 ガチャッ

 私は玄関のドアを開けた。


「千保ちゃん一人で大丈夫?」

「うん、大丈夫。行ってきます」


 お兄ちゃんの腕を治療する光さんに手を振り、私は外へ出ていった。


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