第40話「目が合ったあの日」



 律樹、詩音、千保の父親である、国信くにのぶは体が病弱だった。代わりに母親の美鈴みすずが必死に働きに出て、家の生計を立てていた。律樹もアルバイトを掛け持ちして母親を支えた。

 しかし、あまりにも自身の体を酷使し続け、美鈴は過労死でこの世を去ってしまった。千保を産んでから5年後のことだ。それにショックを受けた国信も、容態が悪化した。


 律樹は彼の枕元に寄り、手を握る。最後の力を振り絞り、国信は言葉を紡ぐ。


「お前が詩音と千保を守るんだ……家族は……任せたからな……」


 父親は律樹と最後の約束を交わし、静かに亡くなった。律樹が23歳の時だった。12歳だった詩音は、兄に抱き付いて泣きじゃくった。まだ5歳だった千保は、死という概念すら知らず、きょとんとしていた。

 しかし、もう二度と父親に会えないのだと理解した途端、壊れた蛇口のように泣き出した。三人は両親が相次いで亡くなるという悲劇に襲われた。


“俺が守らなきゃ……俺が家族を……”


 それから律樹は、妹達を守る使命感に駈られた。本当は誰よりも両親を亡くした悲しみが大きく、吐き出すために思い切り泣き叫びたかった。しかし、妹の涙の前では泣くことができなかった。


 昔から妹思いの兄ではあったが、更に過保護になってしまった。周りからはシスコンだと馬鹿にされるが、それでも残された妹を守ろうと力を尽くした。それも父親との約束と家族愛あってのことだった。


 しかし、律樹の絶望は止まらなかった。父親の死の一年後、ドリームプロダクションで共に活動していた結月と委俊が、交通事故で亡くなった。


 妹を守る決意と、喜びも悲しみも分かち合えるバンド仲間がいるからこそ、両親の死は乗り越えることができた。しかし、追い討ちをかけるように襲ってきた結月と季俊の死が、律樹の心をこれでもかと深く抉った。


「うっ……うう……」


 律樹は久しぶりに泣いた。両親の葬式でも泣けなかったのに、ここに来てなぜか涙が溢れ出た。バンド仲間の死を実感し、絶望の正体を見た。


「お兄ちゃん、大丈夫だよ」

「泣かないで。元気出して」


 千保と詩音が優しく背中を撫でる。情けない弱さをさらけ出したにも関わらず、二人は慰めてくれた。

 二人の優しさは、逆に律樹の罪悪感を増幅させた。自分より小さな妹は正気を保って前向きに生きようとしているのに、兄である自分は子どものように泣きわめいている。なんとみっともないことか。


「千保、詩音……」


 律樹は妹二人を抱き締めた。妹達は両親が残してくれた最後の宝物だ。どれだけ大きな絶望に苛まれたとしても、妹だけは絶対に守らなければいけない。約束したのだ。絶対に守り抜くと。




 しかし、律樹は知るよしもなかった。これらの悲劇が、これから始まる絶望的な人生の序章に過ぎないことを。






 ある日、詩音の提案で、加藤兄妹三人は旅行に行くことにした。あまりにも悲しい出来事が続いたため、沈んだ心を落ち着かせる必要があった。


「ねぇ、見て見て! 海が綺麗だよ、お兄ちゃん」

「あぁ、綺麗だな」


 7歳となった千保が、柵の向こうに広がる青い海を指差してはしゃぐ。それを微笑ましく眺める律樹と詩音。三人はキオス島にやって来た。

 下調べもろくにしない行き当たりばったりの旅だ。しかし、自由気ままに過ごす時間は、三人の心に安らぎを与えた。豊かな自然を妹達と眺めながら、心身共に癒された。




「今晩どうすっか」

「私お店調べるよ」

「サンキュー、詩音」


 自然を見て周り、そろそろ疲れが溜まってきた。詩音はスマフォで夕飯を食べる店を検索する。


「あれ? 千保は?」

「え?」


 詩音に言われ、律樹は足元を見渡した。千保の姿がどこにもない。


「あ、あそこ!」


 詩音が指差した方向に、千保がいた。千保はまだ目に写る物全てに心引かれ、怪しげな森に入ろうとしていた。


「おい! 千保待て!」


 律樹の叫び声に気付かず、千保は森の奥へと入って行った。律樹と詩音は駆け出した。千保のような小さな子どもが、地形のよくわからない森に入っては危険だ。




「あはは、変なの~」


 千保は森を突き進むと、奥で奇妙なものを見つけた。数本の触手が生えた巨大な赤い球体だ。生き物か何かだと思った千保は、面白おかしく笑った。


 スッ

 その球体は、ゆっくりと回転した。生き物が首を振って振り向くように。


「千保!」


 千保を見つけた律樹。急いで連れだそうと駆け出す。




 しかし、一足遅かった。


 ガッ!

 突然球体に穴が開き、そこから大きな瞳が現れた。一瞬波動のようなものを放ち、千保はその瞳を覗き込んでしまった。そして、気を失って倒れた。


「おい千保! どうした? しっかりしろ!」

「千保? どうしたの? 大丈夫?」


 詩音も遅れて合流し、突然倒れた千保を揺さぶった。巨大な球体は目を閉じ、空へと浮かび上がった。




『その娘の寿命は私が奪った』

「何だ!?」


 突然飛び込んできた声に驚き、律樹と詩音は辺りを見渡した。そして、上空に巨大な赤い竜がいることに気付いた。先程の球体を両腕に握っている。


『この娘の命はあと10年だ。覆したくば、ライフ諸島の宝玉を全種類集め、私のところに持ってこい』

「は? 何だよそれ……どういうことだよ!?」


 突然告げられた余命10年という馬鹿げた言葉に、律樹は戸惑いを隠せなかった。突然現れた得体の知れない化物を不審に思う余裕もない。


『言葉通りの意味だ。この娘はあと10年しか生きられない。私が生き長らえる生け贄として選ばせてもらった』

「何言ってんだよ……お前誰だよ!」

『シマガミ。このライフ諸島の命を司る神だ。信じるも信じないもお前の自由だが、私の言うことに嘘偽りはない。この娘の命はあと10年を持って消え失せる』

「ふざけんな! いきなり何なんだよ!」


 突然自分は神だと名乗り、言葉を操る竜。妹はあと10年で死ぬという事実。目の前に現れた常識の範疇を越える現象に、律樹の精神は荒波にもまれる船のように揺さぶられた。


『いいか、もう一度言うぞ。私は虚言を吐くことはない。娘の命は確実に10年で途絶える。それを覆したくば、娘の延命を望むのなら、ライフ諸島に眠る全ての種類の宝玉を、私の元に持ってこい』

「延命……宝玉……何だよそれ……」


 律樹の声は徐々に弱々しくなっていく。シマガミの冷徹な声と驚異的な威圧感が、妹が10年後に死ぬという事実を証明しているように思えた。この化け物の言っていることは、紛れもなく真実であることを疑えなくなった。


「千保が……死ぬ……? 10年後に……え……?」

『制限時間は10年後のこの日、午後6時だ。それまでにライフ諸島の全ての宝玉を集めてこい。見事私の元に持ってくることができれば、娘を生け贄の契りから解放しよう』


 シマガミは空へと登っていった。体がうっすらと空気に溶けるように消えていく。


「お、おい待て!」

『以上、どうするかはお前次第だ。10年待ってやる。さらばだ、愚かな人間共』


 シマガミの姿はあっという間に消え去った。律樹の必死の呼び掛けも、森にこだまして消えた。囚われたお姫様のように眠る千保を残して。




「千保……」


 詩音は千保の前髪を撫でた。突然妹に突き付けられた余命宣告に、この上ない焦りを感じる。


「俺が……」

「お兄ちゃん?」


 詩音は律樹の顔色をうかがった。長男である律樹が一番焦っていた。


「俺がしっかりしていれば……ちゃんと千保ことを見て……目を離さなかったら……こんなことにならなかったのに……」

「お兄ちゃん……」

「クソッ! なんで千保が……なんで……なんでだよ!!!」


 そして、再び泣き叫んだ。とうとう一番大切な存在である妹にまで、命の危機が覆い被さってしまった。幸いにもシマガミが千保の寿命を取り戻す方法を教えてくれた。

 しかし、シマガミの言ったことを達成できなければ、千保の尊い命が失われる。


「千保……ごめん……ごめんな……」


 律樹は千保の頬を撫でた。瞳から溢れた大粒の涙が、頬の上で弾けて消えた。




 律樹は千保と共にキオス島に移り住み、千保本人には生け贄の契りのことは内緒にして宝玉を探した。律樹は詩音を巻き込みたくないからと、彼女には実家に残って高校生活に専念するよう言った。


「お兄ちゃん、あの時の大きな目玉は何だったんだろう?」

「さぁ……夢だったんじゃないかな」


 千保は突然の引っ越しにも物言わず付いてきた。兄の気苦労も理解できるわけもなく、のほほんとしている。自分が残り10年間の命であることなど、知る由もない。


 宝玉の捜索は予想以上に難行した。途中で事情を知った光も近所に移り住み、宝玉の捜索に協力した。キオス島の至るところを捜索した。




 しかし、何の手がかりも得られないまま、あと一ヶ月半で10年経つというところまで迫ってきた。


「お兄ちゃん、最近顔色悪いよ? 大丈夫?」

「大丈夫だ。お前は何も心配しなくていいんだよ」


 時はあっという間に過ぎ去り、千保は17歳になった。スタイルもよくなってだいぶ大人びたが、小さい頃からの明るさも持ち合わせている。驚くほどにたくましく成長した。

 それが逆に律樹の心を不安にさせる。自分が残り一ヶ月半足らずで亡くなると知れば、どんなに絶望するだろうか。




「リッキー、そろそろ……」

「……あぁ」


 流石にこれ以上千保を騙すことはできない。心苦しくはあるものの、もしものために千保に事情を打ち明けることにした。10年前にシマガミと目を合わせ、寿命を奪われたことも、もうすく死ぬ運命にあることも。


「……え」

「すまん、千保。ずっと隠してたんだ。お前が傷付くのを見たくなくて……本当にすまん……」


 案の定、千保は今までにないほどに泣き叫び、想像を絶する悲しみにうなだれた。感情が高ぶり、思わず家を飛び出した。




 そして、あの崖で飛び降り自殺を図ろうとしていた清史に出会った。


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