第6章「キオス島(後島)」

第39話「千保……?」



「……」


 長谷川家のリビングに静寂が響き渡る。父親の隆助りゅうすけと母親の朱理しゅりは、無言で台所の椅子を眺める。かつて食事をする際に、息子がいつも座っていた席だ。


「清史……」


 清史が姿を消して一ヶ月が経った。最初は腹いせに家出をしたのだと、軽い気持ちで見過ごした。所詮は子どもの無計画な反抗だと。こちらも抵抗してやる気で、何食わぬ顔で状況を放置した。

 しかし、清史は一向に帰ってこなかった。彼が家を出てから一週間後に、警察に行方不明者届けを出した。本格的に焦りを感じ始めたのはそれからだった。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 泣きじゃくる朱理の背中を、隆助は優しく撫でる。清史がいなくなって初めて、自分達が息子を精神的に追い詰めていたことに気付いた。毎日が後悔を煮詰めた泥水を飲まされたような気分だ。

 出来の悪い息子に少しでも更正してもらいたいと願い、辛い気持ちを圧し殺し、厳しくしつけを行ってきた。しかし、逆にプレッシャーを与えてしまっていたのだ。


 清史の方にも問題はあったかもしれない。しかし、こうなってしまった原因は清史のせいだと一方的に決めつけ、ただひたすら彼に向けて怒りをぶつけてきた。出来損ないの人間であることは、自分達も同じではないか。


「なんでこんなことになってしまったんだ……」


 彼がいなくなってから、家を居心地がよいと感じたことはない。いや、清史がいた頃も感じたことがあっただろうか。本人がこの汚い空気に一番嫌気を刺していただろう。それに気付いてやることができなかった。親として不甲斐ない。


「ごめんな……清史……」


 息子が今どこにいるかもわからない。ただ彼の座っていない席に向かい、口に出しても仕方のない謝罪を繰り返すしかなかった。決して消えることのない後悔を抱えながら。




 ピンポーン

 突如インターフォンの音が耳に飛び込む。慌てて玄関の扉を開けるが、訪ねてきたのは清史ではなく、捜索を頼んでいた警察だった。扉を開ける前にわかっていたのに、どうしても落胆してしまう。


「突然すみません。ご両親にお伝えすべきことがあって、直接お尋ねしました」

「何でしょう?」


 警察官は絞り出すように口にした。




「息子さんの目撃情報がありました」

「え!?」




   * * * * * * *




 キオス島に戻ってきた俺達。これまで集めてきた全ての宝玉を、テーブルの上に並べて考える。形や色も様々で、それぞれが独特の神秘的な輝きを放っている。苦労したもんだぜ。


「さてと……」


 約一ヶ月を費やし、無事全種類の宝玉を手にすることができた。しかし、問題はここからだ。この綺麗な石ころ共……一体どうればよいのか。


「千保、どうすんだ?」


 俺は千保に尋ねた。そもそも宝玉を集めてきた理由は、千保の言っていた「世界最高の幸せ」とやらを手に入れるためだ。一応文書に従い、ライフ諸島の島を全部巡り、宝玉を全種類余すことなく揃えた。

 これからこの石ころ共を、どこに持っていって何をすればいいんだ? どうすれば世界一の幸せ者になれるんだ?


「え、えっと……」


 千保の頬に冷や汗が垂れる。尋問を受けているような焦りを見せる。急にどうしたんだ?

 まさか、体調悪いのか? キノエ島で海を泳いでキオス島まで戻り、楽器を取りに行ったからな。冷たい海に身を浸し、風邪でも引いているのかもしれない。


「大丈夫か?」

「あ、ううん、大丈夫。えっとね……」


 千保は宝玉を丁寧に持ち上げ、律樹さんが用意したアタッシュケースに慎重に入れていく。作業をしながら説明する。


「宝玉をシマガミに捧げないといけないんだ。それと引き換えに幸せをもらえるらしいから」


 シマガミ……最初にこの島に来た時に俺が見た、あの赤いドでかい竜のことか。


「てことは、あの祠か」

「そういえばキヨ君、キオス島のシマガミに会ったことあるんだっけ?」

「あぁ」


 神殿の森沿いの道で、俺は偶然あの祠を見つけた。なんとなく祈りを捧げ、シマガミに会った。あそこに行けば、再び会えるのではないか。千保はアタッシュケースを蓋を閉める。俺はケースを握り、席を立つ。


「行こう、千保!」

「……うん」


 律樹さん達も立ち上がり、俺達は家を出る。そうと決まれば、早速祠へ行き、シマガミから貰おうじゃねぇか。世界最高の幸せを。

 俺達は宝玉を全部集めた達成感と、これから降り注ぐ想像も付かない幸運への期待を胸に、力強く一歩を踏み出した。






「ここだな」


 何事もなく祠に着いた。空がどんよりと薄暗い雲を浮かべていたため、何となく嫌な予感がしてたのは気のせいか?


「よし」


 俺と千保はコンクリートでできた階段を上る。その先には小さな祠。ここで俺はあの大きな赤竜と出会った。ついでにキオス島の宝玉までサービスしてくれたなぁ。デカイ図体が恐ろしかったが、不思議な奴だった。

 あの時祈りを捧げたことでシマガミが現れたのだ。もう一度同じことをすれば会えるかもしれない。


 俺は宝玉の入ったアタッシュケースを足元に置いた。


「……」


 俺と千保は目を閉じ、手を合わせて祈りを捧げた。心の中でシマガミに呼び掛ける。もう恐れたりはしない。もう一度現れてくれ……。






「……あれ?」


 恐る恐る目を開いた。竜は姿を現さなかった。


「なんでだ?」


 なぜ出てこないのだろうか。祈りを捧げるという行為は間違っていたのか。そういえば、二回目にここに来た時も、千保と共に祈りを捧げた。その時もシマガミは現れなかった。


 どういうことだ? どうすればシマガミが現れるんだ?


「なぁ、千保」


 千保ならわかるかもしれない。毎日この祠に来て祈りを捧げていると言っていたから。俺は千保の方へ顔を向けた。






「千保……?」




 千保はバランスを崩し、ゆっくりと倒れていった。


「千保!」


 ガシッ

 俺はとっさに千保の体を支えた。危ない……もし俺が手を伸ばさなければ、階段から落ちて大怪我していたかもしれない。千保は突然立ちくらみにあったように、脱力して倒れた。


「おい、どうした? 大丈夫……か……」


 俺が自分の手の平を見て衝撃が走った。少々黒みがかった血に染まっている。これは俺の血ではない。千保の血だ。


「なんだ……これ……」


 千保を抱き起こすと、彼女の口元から血が垂れている。それに気づいた途端、千保は次々と咳き込み、吐血していく。唾と共に混じる彼女の血は、なぜか背筋が凍るほどに冷たかった。


「おい千保! 大丈夫か!? しっかりしろ!」


 千保の頬を撫でながら、大声で訴えかける。彼女は相変わらずの不器用な作り笑顔を向け、呑気に呟いた。




「えへへ……旅はここまでだね……」

「え?」


 その時、律樹さんが階段を登り、アタッシュケースを取りに来た。一体千保の身に何が起きているのか。俺は律樹さんに尋ねた。


「あの、千保は……一体……」

「タイムリミットが迫ってるんだ」

「タイム……リミット……?」


 律樹さんは冷静に話を始めた。自分の大事な妹が吐血して苦しんでいるというのに、恐ろしいほどに落ち着いている。何だ? タイムリミットって何のことだ?


 よく見ると、光さんと詩音さんも辛そうな表情はしてるものの、あまり騒ぎ立ててはいない。まるで、こうなることがあらかじめわかっていたかのように。


「え? え……?」


 千保本人も苦しそうな様子だが、不釣り合いな笑顔を浮かべている。ここにいる者の中で、俺だけが状況を理解できず、取り乱している。


「ハァ……ハァ……」


 千保の息切れと、俺の高鳴る心臓の鼓動が競争している。雲は千保が吐いた血のように黒みがかっていき、不気味さを増していく。




「一体何が起きてるんですか……」


 俺は律樹さん達に尋ねる。半ば睨み付けるような表情になってしまった。みんなはきっと重大な秘密を隠している。恐らく知らないのは俺だけだ。


「……清史」


 獲物を狩るような視線に耐えられなかったのだろうか。律樹さんは冷静さを崩さず、落ち着いて真実を口にした。






「千保は10年前、キオス島のシマガミと生け贄の契りを交わしたんだ」




「……え?」


 そして律樹さんは語り出した。妹の呪われた過去を。加藤千保という一人のか弱い少女が背負った、あまりにも残酷で絶望的な運命を。


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