第2章「ミズシロ島」
第12話「人外」
翌朝、清史はスマフォで時刻を確認し、ベッドから飛び起きた。既に10時を迎えていた。いくら何も予定がないからといって、居候の分際でいつまでも寝ているなんて、失礼極まりない。
清史は罪悪感を抱えながら、急いでパジャマを脱ぎ捨て、私服に着替えた。顔を洗い、メガネをかけて一階へ下りた。
「おやおや~、こんな時間まで寝てるとはね~」
「すみません!」
光がベースを持って和室から出てきた。音楽配信の仕事をしていたのだろう。清史は頭を下げながら、冷めた朝食が置かれた台所へ向かう。既に千保は学校へ、律樹は職場へ行ったらしい。
「リッキーが呆れてたよ。『いつまで寝てるんだ、あのクソガキは……』って」
「ほんとすいません……」
光は冷蔵庫から牛乳を取り出し、空のコップに注いで清史に差し出した。本人がいない間も、律樹は清史に向けたいびりを続けていた。律樹だけは、なかなか清史に心を許さない。清史は律樹から向けられる圧迫感と共に、バターを塗ったトーストを噛る。
「でも、『疲れてるだろうから、仕方ないが寝かせてやれ』とも言ってたよ」
「え?」
牛乳を飲む手が止まる。清史がなかなか起きないのを見逃してやった。つまり、律樹が清史の心配をしていたということか。彼も意外と優しい一面があるのかもしれない。清史は思った。
「『寝かせておけば、千保と口を交わすこともないだろう』ってさ」
「あぁ……」
後付けの理由に、清史の期待は軽く裏切られた。結局千保が清史と接するのが気に食わないだけだった。
「全く……正直じゃないんだから」
「いや、全然正直だと思いますよ」
まだまだ律樹に気を許せるようになるには、途方もない時間がかかるかもしれない。清史は律樹との距離感を掴むのに戸惑っていた。
「あ、そうだ、この後千保ちゃん迎えに行くんだけど、清史君も来る?」
「あ、はい」
朝からもやもやとした気分ですっきりしない。千保の顔を見れば、心も安らぐだろう。清史は自然とそう思った。
光は清史を助手席に乗せ、車を発信させた。光は一応自宅があるようで、車も持っていた。なぜいつも加藤家にお邪魔しているのだろうか。わざわざ車に乗るのに、自宅まで戻らなければいけない。清史はますます光と律樹の関係が気になった。
ちなみに千保の学校は今日が終業式で、授業は昼に終わるとのことだ。爽やかな風が吹くのどかな港町を、清史を乗せた車が駆けていく。
「町の方は賑やかですね」
「キオス島の自治体はここの
清史は窓から町の景色を眺める。車内にはクールなロック調の曲が流れている。メインのギターとバックのベースの音が重なり、清史も不思議と心が踊る。光も運転しながら鼻歌を歌っている。
「ん~、いつ聴いてもいい音ね。どう? 私のベーステク」
「え?」
光が突然曲に挟まれるベースの音を自慢気に語る。まるで自分が弾いているかのように。
「え?」
「え?」
お互いの頭にクエスチョンマークが浮かぶ。光の質問の意味がうまく理解できなかった。確かに今朝光はベースを弾いていた。しかし、今カーナビから流れている曲の音とは無関係ではないか。まさか光さんが弾いてるわけではないだろう。清史は思った。
“あれ? そういえばこの曲、どこかで聴いたことあるような……”
清史は流れる曲に聴き覚えを感じた。家出する前、たまに聴いていた有名なアーティストの曲だった気がする。しかし、よく思い出せない。
“何だったっけ……”
そうこう考えている間に、千保の通う高校が見えてきた。校門付近には既に下校しようとする生徒達の姿が見えた。
「ん~、停めれなさそう。清史君、先に千保ちゃんのところに行っててくれる?」
「あ、はい」
駐車場が混んでいたため、光は清史を先に校舎に向かわせた。
「やっと学校終わりだぁ~」
「夏休みどこ行く?」
「海行こうよ! 海!」
「いっそのことライフ諸島全部巡っちゃう?」
「いやいや~、本土上陸っしょ♪」
清史は人の多さに圧迫された。生徒達は校舎内をバタバタと駆け巡り、清史の横をすり抜ける。清史が入ろうとした昇降口も、学校が終わってはしゃぐ生徒達で溢れていた。彼らの清々しい笑顔は清史の目には眩しく、吐き気を覚えた。
自分は学校の関係者ではないのに、勝手に入って大丈夫なのだろうか。既に清史の目付きの悪さに気付いた数人の生徒が、彼を不審者を見る目で凝視してくる。ひとまず、千保を探さなくては。清史は勇気を出して、昇降口に足を踏み入れた。
「あ、キヨ君」
生徒の群れの中から、千保が抜け出してやって来た。案外早く見つかってよかった。
「千保……」
清史は千保のセーラー服姿に見惚れた。この間も見たはずなのに、なぜ眼福と思ってしまうのか。相変わらず可愛いという文字が、世界一似合う美少女だ。
「わざわざ迎えに来てくれたんだ。ありがとね♪」
「お、おう……///」
清史はスカートからそそり出る生足に目が釘付けになる。この間と同じロングソックスを履いているが、スカートの裾の下からチラリと見える肌が余計に色気を演出する。
「……///」
「どうしたの?」
スカートと靴下の間、いわゆる絶対領域というものだ。エロい。すごくエロい。清史はやましい気持ちと目線を悟られぬよう、頬を叩いて理性を取り戻した。
「あ、いや何でもない! 早く帰ろうぜ。光さんが車で待ってるから」
「うん!」
「ねぇ見て。あいつ男いんじゃん」
清史と千保は、声のした方へ顔を向ける。下駄箱の影から、いかにもギャルっぽい女子生徒達が、二人を見てヒソヒソと話している。何やら様子が怪しい。
「何あれ……彼氏?」
「人外のくせに彼氏作るとか、調子乗んなよ」
「つーか、彼氏もそんなにカッコよくなくない? 目付き悪いし不審者みたい」
出入り口からでも、彼女達が話しているのが陰口だとわかった。彼女達が放った『人外』という言葉、清史は何となく意味を察した。
それは千保に向けられた言葉だった。
「さっきあの男、あいつの足元見て鼻の下伸ばしてたよ」
「うわっ……何それキモいんだけど」
「でも人外と不審者、キモいやつ同士でお似合いなんじゃない?」
女子生徒達はこれでもかと二人を嘲笑う。清史はうつ向いた千保を見ると、瞬時に堪忍袋が切れてしまった。
「あいつら……」
彼女達を睨み付けながら、一歩を踏み出す。決して自分が貶されたから怒りを抱えているのではない。千保が侮辱されたことに腹を立てているのだ。相手が女子であろうが、清史は怒りに身を任せ、拳を握り締めた。
「キヨ君待って」
清史の手を引っ張る千保。そのまま生徒の群れをかき分けて、駐車場へ逃げるように駆けていく。
「千保……」
生徒の目から離れた途端、冷静さが遅れて戻ってきた。
「悪かった」
「ううん、悪いのは私だよ」
千保はうつ向いたまま、謝ってきた。彼女が見せる初めての弱々しい姿だった。
「ごめんね、キヨ君。私のせいでキヨ君まで悪く言われて」
「別にいいよ、俺もあぁいうの言われ慣れてるし」
清史も普段の行いから、クラスメイトに黒い目で見られたり、陰口を言われることには慣れていた。両親にとやかく言われるよりはさほど腹は立たない。自分の大切な人を悪く言われるのは別だが。
「なぁ千保、ちょっと靴下
「え?」
清史は千保の履いているロングソックスを指差す。
「な、なんで?」
「いいから」
「あ、ちょっと……///」
恥ずかしがる千保の制止を聞かず、清史は無理やり千保の足を掴み、靴下をがばっと下げた。
そこにはガーゼが貼ってあった。
「……」
「やっぱり……あいつらにやられたのか?」
千保は静かに頷いた。彼女の無駄に長いロングソックスは、傷を隠すためのものだった。清史は学校で千保がいじめられていることを確信した。理由は間違いなく彼女の能力だ。生徒達はその事を知っており、千保の異常な力を不気味に思い、近寄ろうとしない。
また、先程のようにコソコソと悪口を言って、化け物扱いする者も少数いる。千保はよく『人外』『ゴリラ』『化け物』と呼ばれて貶されていた。千保はそれに対して何もやり返さず、ひたすら耳を塞いで耐えているようだ。その反応が更に油を注ぎ、殴る蹴るなどの暴力行為にまで及んできた。
「なんでやり返さないんだ。やられっぱなしでいいのかよ。お前の能力でぶっ潰せばいいだろ」
清史は娘を心配する父親にでもなったように、持論を突きつける。
「やり返すなんてよくないよ。私の力で攻撃したら、あの子達が私より大怪我しちゃうから」
「そんなこと気にするなよ。やり返さないと、あいつらが更に調子に乗るだけだろ」
能力を使えば、彼女達に痛い目を見させることは十分に可能だ。しかし、千保は誰かを傷付けるために能力を使うことを避けたがっていた。
「それでもやり返すのは無駄だと思うんだ。ここで反撃なんかしたら、それこそ彼女達と同レベルだよ。どんな理由があっても、私は復讐のために能力は使いたくない」
千保のお人好しは揺るぎなかった。たとえ自分をいじめるクラスメイトであっても、やり返して鬱憤が晴らされることはない。更に相手に火をつけ、復讐を繰り返すことに繋がり兼ねない。自分が我慢すればいいだけだと、千保は沈黙を押し通すことにしたのだ。
「……でも」
しかし、清史の心はどうしても納得できなかった。
「それでも、お前のことが馬鹿にされるのが許せない」
「え?」
「千保が傷付いてるのを見ると、俺も悲しくなるんだ。お前は俺を助けてくれた。そんなお前が馬鹿にされるなんて、俺は嫌だ……」
清史は初めてだった。自分のことではない話題で馬鹿にされて腹が立ったことが。もし千保と出会わずに彼女が傷付いてる様を見ても、何とも思わなかっただろう。
だが今は違う。清史には千保に命を救われたという借りがある。命をかけて助けてくれた優しい彼女が、誰かに存在を否定されるなど、自分の道理に反する事実に思えたのだ。
「フフッ、ありがとう。キヨ君は優しいね」
「な……べ、別に優しくねぇよ……///」
千保が清史に微笑みかけ、彼の頬を赤く染める。二人が織り成す温かい光景だ。
「……」
その光景を、光は植木の影からこっそりと眺めていた。
「うわっ! 光さん!?」
「あ、私のことは気にしないで。どうぞごゆっくり……」
光は口に手を当て、大袈裟なほどにニヤついていた。格好のおもちゃを見つけたような、愉快な表情だ。
「来てたんなら声かけてくださいよ!」
「いやぁ、なんかすごくいい感じの雰囲気だったもので。お二人さんお熱いねぇ~♪」
「や……お、俺らはそ、そんな……あ、え……そんな関係じゃ、あ……///」
「キヨ君赤くなり過ぎ……(笑)」
光と千保の両方にからかわれる清史。頭からやかんのように熱気を吹き出す。今までにないほどに口がカタコトになっていた。
「い、いいからとっとと帰って旅の計画立てるぞ!///」
「うん!」
清史は逃げるように光の車に向かって走っていく。千保はその後ろ姿を、満面の笑みで眺める。
「キヨ君、ありがとう……///」
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