第48話「旅のおわり」



「あっ!」


 次に目覚めた時、千保はどこかの船着き場にいた。周りには救助された人々が治療を受けたり、毛布に身を包む姿が転々としていた。自身も布団の温もりの中で目を覚ました。


「千保! 起きたか!?」

「よかった! 本当によかった!」


 すぐ横にいた律樹と詩音が、千保の冷たい体を抱き締める。二人の強くも優しい肌の感触が、千保の命の輪郭をつくる。確か自分はクラスメイトの女子が海に落ち、助けに行ったが荒波に飲み込まれ、自殺を図った。


 それから……


「あぁ……」


 どうやら自分は助かってしまったようだ。体にまとわりつく気持ち悪い冷気が、あの世との狭間から引き戻された事実を生々しく感じさせる。


「私、生きてるの……?」

「うん、生きてるよ」


 自分の心がわからない。生け贄の契りに苛まれ、島民のために犠牲となることを選んだ。それでも心の底にしまっていた生きたいという願望を明かし、宝玉をシマガミに差し出した。

 島は沈没することになり、島民の脱出計画が始まった。その光景が自身の選択の罪深さを呼び覚まし、再び自分を犠牲にするような行動に走った。だが、結果として助けられ、生き残った。


 生きたいと願ったり、死にたいと願ったり、ちぐはぐだ。自分の心があの世とこの世をぐるぐるさ迷っている。


「……」


 それでも、今こうして仲間に囲まれて生きている現実が、自分の進むべき道なのかもしれない。


「ねぇ、ここは……」


 ひとまず、現状を更に詳しく把握しなければならない。戸惑う千保に、光が状況を説明してくれた。


「ここは本土の港だよ。喜んで。ライフ諸島の島民は全員無事。誰一人島の崩壊に巻き込まれずに、船で脱出できたんだってさ」


 光が肩に手を乗せて安心させる。奇跡的に全島民は島の沈没から逃れ、本土に避難したという。海に落ちた女子生徒も助かり、親に抱き締められているのを、視界の隅で見つけた。


 しかし、光は気付かなかった。その事実が発覚した程度で、千保の不安が拭えるわけではないことに。


「親父……ごめん……約束……守れなかったよ……」


 光の背後に、子どものように泣きじゃくる芳堂の姿が見えた。彼の手元に、父親らしき老人の写真が握られている。落ち着いた微笑みを浮かべた顔に、芳堂の涙の雫が重なる。


 島を脱出する前に、死に物狂いで戦っていた彼の顔を思い返す千保。


「ごめん……ごめんなさい……」


 悲壮な嗚咽が千保の耳に突き刺さる。彼の涙が鉛となって、背中にのし掛かっているように感じた。彼の悲しみに続き、周りの避難した島民の喧騒がはっきりと聞こえてくる。


 突然の大災害に見舞われ、悲しみに暮れている。母親の手に包まれ、子どもが泣き叫んでいる。みすぼらしい老夫婦が、互いを温めるように抱き合っている。




「千保ちゃん!」


 救助された人々の群れの中から、未玖留と響花が現れる。二人は怪我は負っていなかった。千保も無事だと知り、深く胸を撫で下ろす。彼女達の家である宿も、今頃海の底だ。


「千保ちゃん、大丈夫かい?」


 続いて現れたのは、拓馬だった。王子様気取りのボブカットが、寂しく揺れている。今回ばかりは、千保をからかう心境にもなれない。

 今回島民が無事避難できたのは、白石財閥の名声のおかげだ。彼にも感謝しなければいけない。


「……」


 拓馬の背後で、明典が微笑んでいた。彼も無事に脱出できたようだ。加藤家の安否を確認し、一安心する。

 彼の手には、実代の遺影が抱えられていた。また、彼はずぶ濡れの礼服を身に纏っていた。実代の葬式に参加していたのだろうか。突然の避難により、それどころではなかっただろう。




 誰もが安堵と悲観の混じった表情を浮かべている。ここにいる全ての人々が、大切な故郷を失ったのだ。


「島、本当に沈んじゃったんだね……」


 千保が静かに呟く。律樹達は励ましの言葉を綴ることができなかった。島々は千保が気を失っている間に、完全に崩壊してしまったようだ。

 全島民の避難は無事に完了し、わずかな負傷者はいるものの、結果として死者を一人も出さなかった。それは確かに奇跡かもしれないが、今回の大災害に伴う代償は人々の心に大きな穴を開けた。


 島民の宝でもあった美しきライフ諸島は、人々が船上で見守る中、海の底へと跡形もなく消えていった。






『なんてことだ……』




「え?」


 空から落ちてきた声に、千保は恐ろしいほどに聞き覚えがあった。顔を上げると、赤竜がこちらを見下ろしていた。キオス島のシマガミが現れた。シマガミは毎度毎度、何の前触もなしに姿を見せてくる。


「うわっ! 何だ!?」

「こいつは……一体……」

「え、何? 何こいつ!」


 他の島民にも姿は見えているようだ。突如現れた得体の知れない怪物に、人々は恐れおののく。シマガミは島民を見下ろしながら、凍える千保に告げる。


『犠牲者が出なかったのは、実に見事だ。人間にしてはよくやった』

「何しに来たの?」

『最後の別れだ。私はまもなく死ぬ』


 島が沈んだことで、島と結びつけられていたシマガミの命も終わりを迎えようとしていた。生け贄の契りを交わした人間が、宝玉を全て集めてしまった。

 心なしか、尻尾の先端が薄くなりかけているように見える。今頃他の島のシマガミ達も、永遠の眠りにつく頃だろう。生物の死は見慣れてきたが、神様の命が尽きる様は、心にくるものがある。


『結果として、お前達は島の破滅を選択した。それに伴う代償は大きいがな』


 皮肉のように既知の事実を言うシマガミ。島が沈む要因となった、生け贄の契りを交わした千保にぶつけてくる。今自身の体を覆う冷気のように、しつこく根を張る無情な現実だ。


『だが、後悔をするでない。その後悔の念が、お前の選択を間違いに変えてしまう。意地でも正しいものにしたくば、自らの天命を全うしろ。延命が成功したのだ。この先に見るものすること、感じるもの全てを己に刻み、その身が朽ち果てるまで生きるがいい』


 千保はシマガミの言葉に聞き入った。死の危機に陥れた埋め合わせのつもりだろうか。神なりのエールを贈ってきた。


『そして忘れることなかれ。生と死は隣り合わせ。お前の生は誰かにとっての死。人間が生きる上では、必ず犠牲が成り立つということを、その胸に刻め』


 憎めばいいのか、敬えばいいのか。シマガミの言葉は微妙な心境にさせてくる。敵とも味方とも捉えられない怪物の声は、徐々に弱々しくなっていった。


『ではさらばだ……愚かな人間共よ……』


 シマガミは尻尾の先端から溶けるように消えていった。最後に今まで開かなかった瞳が開いた。その瞳には、覚悟を決めた千保の表情が映っていた。




 島民の目の前で、シマガミは静かに生き絶えた。もう目の前に広がるのは、どんよりとした曇り空だけだった。こうして千保の宝玉探しの旅は幕を閉じた。


「……」


 同じく何かの覚悟を決めたのか、島民達は港に着々と停まる救急車へと向かう。故郷を失い、途方に暮れる人々。しかし、運良く生き延びたのだからと、またゼロから人生を始める。


 人々の姿を見て、千保も決意した。自分も希望を捨てずに生きていこう。あれだけ現実から逃げ続けた挙げ句に生き残ったのは、何か理由があるのかもしれない。

 それがわかるまでは生きることを諦めてはいけない。島を犠牲にしてまで生きることを選んだからには、ここで死ぬわけにはいかない。


 千保はぎゅっと右の拳を握った。もう能力は発動しない。これから普通の女の子として生きていけるのだ。未来ある人生を、思う存分謳歌しよう。


「千保、俺達も行こう」


 律樹が千保の肩に触れる。負傷者は多いが、溺死しかけていた千保が一番治療が必要だ。




「……ねぇ」


 千保は立ち上がった。目が覚めてからずっと心に引っ掛かっていた疑問を、静かに投げ掛ける。






「そういえば、キヨ君はどこ?」


 先程から清史の姿が見当たらない。清史は千保を救うために、自らシマガミと生け贄の契りを交わしただけでなく、流される千保を追って荒れ狂う海に飛び込んだ。

 シマガミは死んでしまったため、彼も千保と同じく、必然的に生け贄の契りから解放されただろう。


 しかし、千保は彼に伝えたいことがたくさんある。自分が一番感謝しなければいけないのは彼なのだ。清史が助けてくれたからこそ、自分は生きることを決意できた。清史は千保の生きる希望だ。


 彼の姿を見ずして、人生は再開できない。


「……」


 一瞬黙り込んだ後に、律樹は渋々事情を説明することにした。ゆっくりと重い唇が動き出す。


「……実はな」


 そして、千保は今更ながら気が付いた。自分の左手の中で、清史がかけていたメガネを握っていることを。


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