第47話「恩返し」



「はい、なのでなるべく多く救助船を用意してください!」

『了解です! すぐに月島海運に手配するよう要請します!』


 律樹が電話しているのは、白石財閥の会長だ。清史はガンセツ島で知り合った拓馬に連絡し、キオス島及びライフ諸島の状況を説明した。

 そして白石財閥の名声にあやかり、周辺の海運に救助用の船を用意してもらうよう頼んだというわけだ。


「さっすが白石財閥。どんなところにも名が通るね」


 一応海上保安庁にも連絡したが、ライフ諸島全ての島民を乗せるには、救助船の数が圧倒的に少ない。白石の名を借り、周辺の動かせる船を動かせるだけ集めることにした。拓馬と連絡先を交換しておいて正解だった。


「あぁもう! 代々宝玉探しを邪魔する一族とか、突然ライフ諸島の全部の島が沈むとか、複雑なことが色々起こり過ぎ!」


 食料や水、服、懐中電灯に電池、その他非常時に必要な物を抱え、避難の準備に追われる光。芳堂は各島の自治体に連絡し、すぐさま島民を避難させるよう要請している。


「荷物はなるべく少なくしろ。あと3分で出るぞ」


 途中何度も地震が発生し、島の地盤が崩壊へと近づいている。ライフ諸島の近辺にだけ雷や豪雨が伴い、海も過去に類を見ないほど荒れ狂っている。


「みんな! 避難はもう始まってる! 早く出ろ!」


 芳堂が呼び掛ける。必要な荷物を全て抱え、清史達は家を出た。島民達は長年暮らしてきた家に別れを告げる暇もなく、船着き場に集められた。




「押さないでください! 全員乗れます!」


 警察の誘導に従い、島民は一人ずつ船に乗り込んで行く。先に白石財閥が手配した救助船が到着し、救助が始まる。


 雨風に打たれながら、我が子を抱きかかえてこらえる者。愛する者同士で手を繋ぎ、乗り越えようとする者。

 彼らの姿を見ると、非常に心苦しくなる。拭えきれない罪悪感を抱え、千保は清史に手を引かれながら船に乗り込んだ。




 ゴゴゴゴゴ……

船着き場で地割れが発生した。地獄絵図の四文字を体現するように、縦に大きな裂け目が刻まれる。


「全員乗った! 出港だ!」


 島の沈没まで残り数分という間一髪のタイミングで、島民全員が救助船に乗った。波がいよいよ激しくなっていく。すぐさま船は向きを変え、崩壊する島を背に本土へと向かう。




 バシッ

 すると、突然大きな波が船に打ち付けられ、船体が大きく傾く。


「あぁっ!」


 柵にもたれかかっていた女の子が、バランスを崩して身を乗り出してしまう。そのまま重力に従い、荒れ狂う波へと吸い込まれる。


 バシャッ


「人が落ちたぞ!」


 清史の耳に叫び声が飛んできた。人々が指差す方向には、落ちた女の子が波に飲まれて流されていくのが見える。


「た……助……けっ……t……」


 何度も顔を出しては沈み、出しては沈みを繰り返す。このままでは溺死は免れない。




「……!」


 バシャッ


「千保!」


 なんと、千保が柵から飛び出し、海に飛び込んで泳ぎ始めた。抜群の遠泳技術を見せ付け、女の子の元へとたどり着いた。


「加藤……なんで……」


 海に落ちた女の子は、千保をいじめていたグループの女子生徒だった。突然千保が助けに来てくれたことに困惑する。


「私、あんたのこと……」

「そんなの関係ないでしょ。助けてあげるから、絶対に離さないでよね」


 千保は船に視線を戻す。かなり遠くまで離れてしまっていた。再び船まで泳いで戻れるだろうか。




 ザバァ


「わっ!」

「あぁっ!」


 再び大きな波がぶつかり、二人の手は離れてしまった。それぞれ別の方向へと流される。千保は再び泳ぎ始めるも、波の激しさは増すばかり。女子生徒と距離が縮まることはなかった。


「おいヤバイぞ。二人共溺れる!」

「誰か助けてあげないと!」

「無理だ! こんな波の中じゃ……」

「どんどん離れてくよ!」


 船内は騒然としている。千保は尚も泳ぎ続けるが、荒れ狂う波の力には勝てなかった。やがて体力が底をつき、水中へと引きずり込まれる。




 誰もが助からないと感じ、諦めかけていたその時……


「千保!」


 清史が叫んだ。彼も柵から飛び出し、海に飛び込ん泳ぎ始めた。すぐさま能力を発動させ、全身の筋肉を強化し、必死に水を掻いた。


「待ってろ! 俺が助ける!」


 能力を宿した体は、大きな波の中でも思うように動かせた。清史は千保を助ける一心で、がむしゃらに泳いだ。


「千保!」


 ガシッ

 清史は手探りでうっすらと見えた腕を掴んだ。




「うぅぅ……」


 しかし、清史が掴んだのは千保の腕ではなく、先に溺れた女子生徒のものだった。だが、彼女も同様に救出しなければならないのも事実だ。


「ちょっと痛いかもしれねぇが、我慢しろよ」


 清史は腕に思い切り力を込めた。血管が膨張し、表面に生々しく浮き出る。そして、その場でグルグルと回転を始めた。


「うぉらっ!」


 回転の勢いで、彼女を空中へ投げ飛ばした。そのまま船の方へと飛んでいく。


「痛っ!」


 飛ばされた彼女は、船の床に腰を打ち付けた。だが、幸いにも軽傷で済んだようだ。


「千保! どこだ!」


 すぐさま清史は辺りを見渡した。視界に広がるのは濁った海面だけ。千保の姿はどこにもなかった。


「千保!」


 清史は辺りを泳ぎ回り、千保を探した。彼女はもう能力を持っていない。この荒れ狂う波の中では、溺死するのは時間の問題だ。すぐに見つけ出さなければいけない。


 清史は慌てて水を掻き、千保の姿を追いかけた。








“これでよかったのかな……”


 茶色の海の中で、千保は沈みながら考えた。結局自分は延命し、島が沈む運命を選んでしまった。

 つまり、自分は死ぬのが怖かっただけなのだ。そんな身勝手な理由で、島民の命を危険に晒してしまうとは、甚だ図々しい。


“このまま死ねば……少しは許されるかな……”


 喉が酸素を求め始めた。しかし、生身の人間は水中で呼吸はできない。このまま水中で身を潜めていれば、溺ぼれて死ぬことができる。

 何とも罪深い選択をしてしまった自分が少しも許されるような可能性が、この水の底にあるような気がした。


“いいんだよね……これで……”


 千保は前身に溜まった力という力を全て抜き、自分を沈める運命に身を委ねた。


“バイバイ……みんな……”


 そして、愛する人々に別れを告げた。人一倍に責任を感じ、自分を支えてくれた律樹。聖人にしか持ち合わせない慈しみの心を持ち、可愛がってくれた詩音。血の繋がりがないにも関わらず、第二の姉として面倒を見てくれた光。

 旅で出会った全ての優しい人へ、美しい世界へ、別れを告げた。


 そして……


“バイバイ……キヨ君……”


 地球上の誰よりも自分のことを愛し、命を張って守ってくれた愛しの王子様へ。千保は目を閉じ、この世の全てに別れを告げた。








“千保!”



“……え?”


 不思議だ。全てに別れを告げたはずなのに、まだこの世に生きる人間の声が聞こえる。感覚をも手放したと思ったのに、すぐ近くに誰かがいる気がする。


“千保! 千保! 千保!”


 あぁ、そうだ。この世の誰もが希望を捨て去っても、それを取り返して戻ってくる人が一人いる。しつこいくらいにそばに寄り添って、それでも優しい愛で包んでくれる生意気なガキがいる。


“キヨ君……”


 本当に不思議だ。目を開けなくても彼の姿が見える。彼の優しさは、体を突き抜けて心にまで浸透してくる。


“待ってろ千保、俺が絶対に助けてやる!”


 彼が手を引いて泳いでいる。その手はとても強く、優しいものだった。赤く光る彼の右目が、千保の深淵に沈む心を照らす。


“なん……で……”


 清史は千保の手を決して離さなかった。この手が離れれば、自分の命が途切れてしまうように。大切な宝物を傷つけまいとするように。


“まだ恩返し……できてねぇだろ!”


 清史は心の底から自分の命を救ってくれた千保に感謝していた。あの時命が途切れていれば、自分はどれだけ多くの大切なものを知らずにいただろうか。


 自分の瞳に映る世界は、絶望にまみれて醜く生き辛い場所かもしれない。無駄に生き延びても、何度も自殺願望を殴り付けてくる世界かもしれない。

 しかし、そこには生き延びた者しか知り得ない、美しい宝物が芽吹いている。それが清史にとっての千保の存在だった。


“千保……”


 彼女が教えてくれた世界の美しさは、彼の曇った視覚を晴らすには十分だった。


 誰かに仲間として認められ、迎え入れてくれる家族の温もり。生きる上に大切な多種の生物の犠牲。誰かと熱い思いをぶつけ合い、一つの事柄に一生懸命に取り組む姿勢。

 数多の景色が感じさせてくれる、大自然の底知れぬ美しさ。いつまでも縛り付けてくる過去に向き合い、今を精一杯生きる力。


“大切なことを教えてくれて、ありがとう……”


 そして、何よりも彼女に感謝したかった宝物。夏の夜も燃えるような恋心を、自分に抱かせてくれたこと。

 彼女を好きになってから、一つしかない命を無駄にすることなく、自分の命と同等である千保を守り抜こうと誓った。大切な誰かを守るために、希望と絶望の入り交じった世界を生き抜こうと決意した。


“千保、好きだ……大好きだ”


 海中では声は届かない。言葉が聞こえないと、思いを伝えることは難しい。それでも、心から通い合うことができた二人には関係なかった。目を合わせれば、心に声が聞こえてくる。


“キヨ君……”


 シマガミと生け贄の契りを交わした時のように、千保は清史の澄んだ瞳を見つめる。今度は呪いではなく、永遠の愛を誓うために目を合わせるのだ。


“私も、大好きだよ……”


 千保も同様に、必死に手を取る清史に感謝していた。実の兄も気付くことができなかった本音を、彼は引き出させてくれた。

 どんなに多くの犠牲を孕んでも生きたいと願っていた思いを、死という概念を一番理解していた彼が気付いてくれた。


“ありがとう、千保……”


 自分を滅ぼしては知り得なかった世界を、千保は特技を自慢する児童のように見せてくれた。この世に命を繋ぎ止められ、これ以上の行き場を失った自分に、使命を与えてくれた。


 ならば、この命を千保を守るために使おう。


“ありがとう……キヨ君……”


 自殺しかけていたのを助けた頃より、非常にたくましく成長していた。自分が彼を助けたのは、このためなのかもしれない。そう思えるくらいに、清史の成長に対する喜びが止まらなかった。


“本当に……ありがとう……”


 冷たく濁った水の中で、二人の熱く澄んだ愛が花咲く。優しさに身を委ね、千保は再び気を失った。



 清史は千保の体に触れ、底へと沈まぬように優しく抱き締めた。


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