第46話「延命」
俺の腕からアタッシュケースが落ちた。スロー再生しているみたいにゆっくり落ちてるように見える。どうやら俺は動揺しているらしい。地面に当たって出たカツンという音が、突然現れた静寂を切り裂いた。
「そうなんだろ……シマガミ……」
芳堂さんも額に汗を張り付けながら尋ねる。
『あぁ。私は強大な神力を持ち、ライフ諸島全てを統括する神でもある。私が滅べば、ライフ諸島全ての島が海の底に消える。文書にもそう書いてあるだろう?』
シマガミに言われたが、俺は文書をめくる気にもなれなかった。ただ突然告げられた衝撃的な事実に困惑し、動けなかった。
『ライフ諸島で暮らす島民全員か……ざっと8万人といったところだな。その娘の命を救えば、莫大な数の島民が死の危機に瀕することになるだろう』
そういえば、キノエ島で実代さんが言っていたな。生け贄の契りから解放されるには、キノエ島の宝玉を見つけ出せと。島ごとに条件が違ったんだ。
実際にキオス島はキオス島の宝玉だけでなく、ライフ諸島全ての種類の宝玉を集めることが条件だった。
「千保……」
彼女の顔を確認すると、案の定真っ青に染まっていた。そりゃそうだよな。自分の命が助かれば、ライフ諸島に暮らす大勢の島民が命の危機に晒されるのだから。
今までは沈む島の対象がキオス島だけだと思っていたこともあり、俺も千保の命を救う決断にあまり難を感じなかった。しかし、対象がライフ諸島全ての島となれば話は別だ。
「……!」
ふと、俺と千保の頭の中に数多くの旅の思い出が甦った。俺達はこの旅で多くの人々と出会い、様々な命に触れてきた。
島民である未玖留や響花さん、ナキウオのキー、実代さんやその家族、そして島に観光に来た友美さんや拓馬、その仲間達……。
これまで知り合った人々全員が、島と共に冷たい海の底へと沈んでしまうかもしれない。この諸島で出会った多くの人々が、涙が出るほど温かい心を持ち、何物にも変えがたい絆を深め合ってきた。
もし千保の命を救う選択をすれば……みんなが……
「あっ……あぁ……」
今宝玉をシマガミに渡してしまったら、この旅で培ってきた全てを、跡形もなく破壊してしまう。優しさに満ち溢れた人々の思いを、全て絶ち切ってしまう。果たしてそれは正しい選択なのだろうか。
先程まで揺るぎなかった頑固な決意が、老朽化した家屋のように脆く弱々しくなってしまった。
「だから、やめるんだ……」
芳堂さんも優しく語りかけてきた。これ以上手荒な真似はせず、穏便に解決したがっている。彼の選択を尊重すれば、少なくとも消える命は千保一人だけになる。
おい待て。俺は千保を救うんじゃなかったのか。何よりもいとおしい彼女の命の灯火を、儚い野花のように枯れ果てさせてしまっていいわけがない。俺は決めたはずだ。千保をこの苦しみから解放させてやると。
しかし、島民の命も同等に尊いものだ。千保が生きる未来を選ぶということは、彼らの命から目を背けていることになるのではないか。みんなもまた、俺に大切なことを教えてくれた命の師だ。犠牲にさせていいなんて馬鹿げている。
でも千保は……
でも島民のみんなだって……
『さぁ、どうする』
「ぐっ……う……うぅ……」
シマガミが俺の思考を部屋の角に追い込む。ふざけんな……ふざけんなふざけんなふざけんな。何でこんなことになったんだよ。どっちかなんて選べるわけねぇだろ。だが、このまま選択しなければ、どちらかの命が失われる。
俺は決めなければいけない。
「……」
「キヨ君……」
千保が俺に歩み寄る。彼女の瞳には、またしても涙が浮かんでいる。この世界全てを飲み込んでしまいそうなほど、とてつもなく巨大な悲しみを孕んでいる。
ほんと、馬鹿みたいだ。先程から俺は自分ばかり追い詰められてると思っていた。一番辛いのは千保自身のはずだろ。
俺は千保に尋ねる。
「千保、お前はどうしたい?」
「……」
千保は涙を拭いて答えた。
「ライフ諸島のみんなを殺したくない……大好きなみんなを……犠牲にしたくない……」
「あぁ」
「……でも、死にたくない」
よく言ってくれた。
「千保」
千保の瞳からは、本音と共に再び涙が溢れ出てきた。辛いのに、苦しいのに、最後の最後で本音を口にできた。よく頑張ったな、偉いぞ。俺は優しく微笑みかけ、彼女の涙を拭った。
「言っただろ。俺は千保を守るんだって。俺はもう迷わない。千保を守るためだったら、何でもする」
「何!?」
俺はアタッシュケースに手をかけた。彼女が勇気ある本音のおかげで、俺の決意は再び固まった。
やっぱり俺は、千保を助けたい。
「ふざけるな! ライフ諸島全ての島が沈むんだぞ! 大勢の命を切り捨てるつもりか!」
「それでも……俺は……千保を…」
バシッ
芳堂さんはアタッシュケースを奪い、俺の腹を蹴り飛ばした。
「うっ……」
「キヨ君!」
そして、地面に転がるキオス後島の宝玉を拾い、アタッシュケースに入れた。大切な我が子を守るようにケースを抱いた。穏便に問題を済ませる意思など、微塵も残っていなかった。
「そっちがその気なら、私は最後まで全力で抗うぞ!」
彼もまた、決意を固めたのだ。自分の使命の弊害となる俺達に、渾身の限りを尽くして対抗すると。
芳堂さんは腕時計で時刻を確認した。
「残り3分……ここさえ凌げれば……」
タイムリミットまで残り3分を切っていた。千保の寿命が尽きるその時は、すぐそこまで迫っていた。俺は立ち上がり、アタッシュケースを取り戻そうと果敢に立ち向かった。
「うぉぉぉぉぉぉぉ!」
「させるか!」
バシッ
「ぐっ!?」
俺はすぐに地面に伏せられてしまう。見るからに傷だらけで、立つのもやっとなほど衰弱しているはず。それなのに、芳堂さんは最後の最後で超人的な体力を見せつけてきた。アタッシュケースに触れることすらできない。
“クソッ……ここまでかよ……”
律樹さん達が助けに来る様子はない。既に一掃されてしまったのだろうか。
芳堂さんはどんな攻撃にも対応できるよう、ケースを抱えながら拳を構えている。彼の信念は、俺の決意をも上回るようだ。千保もまた、俺のことを心配そうに見つめながら泣いている。
“どうする……どうする……”
俺は考えた。一発逆転の奥の手を。タイムリミットが刻一刻と迫っている。何とか宝玉を奪い返し、芳堂さんに打ち勝つ方法はないだろうか。
“どうする!?”
「あ……」
俺の視界にシマガミが飛び込んでくる。シマガミは先程から静かに戦況を眺めている。その両手には、赤色の水晶玉のようなものが握り締められている。
“そういえば……千保のやつ……”
律樹さんが話した千保の過去のことを思い出した。千保は巨大な目玉のようなものと視線を合わせ、生け贄の契りを交わしたと言っていた。恐らくあのシマガミが握っているのが目玉だろう。
“そうか……”
キオス島のシマガミは、その目玉を二つ握っている。そして、キオス島は前島と後島の二つから成り立っている。後島は今まで島民が不気味がって近づいていないとすれば、握っているもう片方の目玉は……。
「そういうことか!」
ダッ
俺は思い切り立ち上がった。体に走る激痛を振り払い、上を見上げた。
「おい! シマガミ!」
そして、シマガミに呼び掛ける。
「俺とにらめっこしようぜ!」
俺が声を上げると、シマガミが握っていた水晶玉がムクムクと動き出した。手から離れ、側面から数本の触手を生やしてうねらせ、俺の方へと近づいていく。
そして、その目が開いた。
ガッ
「ふぅ……」
俺はゆっくりと芳堂さんの方へ顔を向けた。体が重たいような軽いような、不思議な感覚だ。
「なっ!? お前、まさか……」
「笑うと負けだからな。思わず吹き出しちまう前にケリをつけるか」
自分の右目が赤く輝いているのがわかる。そう、俺はシマガミと生け贄の契りを交わしたのだ。
「一体なんで……」
芳堂さんは困惑した。キオス島のシマガミは、既に千保と生け贄の契りを交わしている。二人同時に交わすことは不可能だ。しかし、なぜ俺が更に交わすことができたのだろうか。そんなことを考えているに違いない。
「ミジンコでもわかる簡単な話だ。キオス島は前島と後島の二つがある。それに伴って、生け贄の契りの枠も二つ分あるってことだよ!」
俺は勢いよく駆け出し、芳堂さんに殴りかかる。時間がないからな、本気で行かせてもらうぜ。
「うっ!?」
芳堂さんは瞬時に俺の攻撃を受け止めるが、間を空けずに来る追撃に対応できない。
「うぉらっ!」
俺は芳堂さんを蹴り飛ばす。能力で全身の筋力を極限まで強化しているため、スピードもパワーも桁違いに高められている。凄い、これが肉体強化の能力か……。
「くっ!」
しかし、芳堂さんも負けじと攻撃を与える。力業でごり押しする俺に対し、最小限の動きで攻撃を受け止める。流石だな。
だが……
「今だ! 千保!」
「何!?」
背後から千保のキックが炸裂する。芳堂さんの背骨の強襲し、前方へと吹き飛ばされる。俺は生け贄の契りを交わし、千保と運命を共有した。そのことが千保に勇気を与えたのか、彼女も再び加戦した。
「ぐはっ!」
勝負は一瞬で決着した。能力者を二人で相手するには、芳堂さんの格闘技術では敵わなかった。彼は背中を押さえながら、見下ろしてくる俺に尋ねる。
「くっ……なぜだ……なぜそこまでする……」
「決まってるだろ」
俺はアタッシュケースから宝玉を取り出しながら告げる。
「この泣き虫でひ弱な女は、命に代えても守らなきゃいけねぇからだよ」
俺は宝玉を千保に手渡す。千保は宝玉を全て抱え、シマガミに差し出す。千保、最後はお前の手で決めるんだ。
「シマガミ様、お願いします」
『うむ』
千保の腕から宝玉が消えた。そして、彼女の全身を白い光が覆った。シマガミは上空へと舞い上がり、曇り空の彼方へと消えていった。
『お前を生け贄の契りから解放する。あと3時間もすれば、ライフ諸島の島々は海の底だ。私達ももうまもなく死ぬ。さらばだ、愚かな人間共よ……』
最後にその言葉を残して。
「……あっ!」
体からスッと力が抜け、千保がその場に倒れ込む。俺はすかさず肩を支える。彼女の右目の輝きは消えていた。力を入れようにも、彼女の体には何の変化も起きなかった。千保は完全に生け贄の契りから解き放たれた。
「よかった……」
俺も安心のあまり、千保にもたれかかってしまった。
「これで千保が死ぬことはないんだよな?」
「うん、キヨ君……ありがとう!」
千保は思い切り俺に抱き付いてきた。彼女の体の温かい感触に、思わず頬が赤く染まる。
「お、おう……///」
俺達二人はこの上ない達成感に包まれた。ようやく千保が命の危機に瀕することなく、これからも一人の普通の女の子としての人生を送ることができる。
「よかったな、千保」
「うん……よかった……ほんとに……よかった……」
ギリギリとはいえ、彼女を呪われた運命から救うことができた。俺達は強く抱き締め合い、喜びを分かち合った。
「そ……んな……」
芳堂さんは地に伏せて絶望した。千保は宝玉を全種類差し出し、延命をしてしまった。文書に記された通りだと、これから天変地異が起きて、島が海の底へ沈んでしまう。キオス島だけではない。ライフ諸島の島全てだ。
ゴゴゴゴゴ……
すると、辺り一面を激しい揺れが襲った。俺達はバランスを崩し、転倒した。
「終わりだ……島が全部沈む……みんな……死ぬ……」
「終わらせねぇよ」
俺は芳堂へと歩み寄り、手を差し伸べる。
「え?」
「散々痛め付けて頼むのも申し訳ねぇが……頼む。力を貸してほしい」
俺は千保の延命を望んだが、島民が死ぬことも望んでいるわけではない。島が沈むまで残り3時間。それまでに、自分達ができることをするまでだ。
「まったく……」
呆れながらも、芳堂さんは俺の手を取った。千保の命を救うことに成功した。また新たな壁が立ち塞がったが、俺は最後まで世界の運命から抗い続けた。
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