第45話「キオス島(後島)」



 芳堂の威嚇と同時に、律樹が駆け出す。顔面目掛けて拳を突き出すが、即座にかわして同じく拳を突き返す。律樹の口元から血が飛び出る。激しい戦闘が始まった。


「うっ……」

「お兄ちゃん!」


 千保と詩音の悲壮な声が聞こえる。芳堂は格闘家のように腰を低くし、両腕の拳を構えている。武道の心得もあるようだ。


「生け贄の契りを交わした者達を食い止めるために鍛えたんだよ」


 背後から光や詩音が体当たり攻撃を仕掛けるも、芳堂の足技で捻り潰されてしまう。隙を見た律樹が繰り出したパンチも、神がかった動体視力で受け止められる。

 しばらく三人の攻撃が続くが、芳堂の前では一切通用しない。


「ハァ……ハァ……」

「つ……強い……」

「三人でも勝てないなんて……」


 あっという間に地に伏せられた三人。経験を積んだ芳堂の方が、何枚も上手だ。彼の見せる余裕綽々な姿に、島を守り抜く覚悟が現れている。


「ここまでか。私に敵う者はいないようだな」

「いや……」


 律樹は口元を緩めて笑った。




「一人いるぜ」


 バッ ガシッ


「うっ!?」


 千保が律樹の背後から飛び上がり、芳堂に蹴りを加えた。すかさず芳堂は、腕で衝撃を受け止めた。芳堂の右腕に、千保の靴跡が生々しく刻まれる。


「こいつ……」


 千保の右目は赤く輝いており、完全な戦闘モードだ。連続して拳を繰り出す。能力を駆使し、強化した腕や脚で攻撃を与えていく。


「この!」


 しかし、相手をする芳堂もなかなかのものだ。千保の攻撃を一発ずつ受け止めていく。今まで何度も生け贄の契りを交わした者と戦ってきただけあって、能力者の攻撃パターンを予測しながら動いている。


 千保がこのまま芳堂に攻撃を加え続け、彼が力尽きるまで待つ作戦だ。


「ぐっ!」


 しかし、芳堂は僅かな疲れを見せるも、果敢に攻撃を受け止め続ける。見る限り互角の戦況だが、清史達にとって互角では意味がない。この隙にも時間は刻一刻と流れている。早く後島に行って宝玉を探さなければいけない。


「ハァ……ハァ……」


 芳堂は腕で汗を拭う。対して千保はまだ疲れを見せていない。ようやく千保が有利になったか。律樹は戦闘に加わる準備をした。千保が相手をしてくれたおかげで、僅かながら体力が回復した。






「負ける……わけには……いかないんだ……」


 ふと、芳堂は息を切らしながら呟いた。


「親父と……約束……したんだ……」




“宗光、キオス島だけは、何が何でも守ってくれ……”


 芳堂の心に声が響く。父親の康治やすはるの声だ。芳堂は亡くなった元町長の父親と約束していた。キオス島だけは、命をかけてでも沈没の運命から救うのだと。


「絶対に……島を……守る……親父と……約束……したから」

「え?」


 律樹の動きが止まった。そして、彼の心にも声が響く。


“お前が詩音と千保を守るんだ……家族は……任せたからな……”


 父親の声だ。父親は加藤兄妹を遺し、かけがえのない約束を置いてこの世を去った。今も父親との約束を糧に戦っている。


 そして、目の前にいる芳堂も同じ。彼もまた大切な人との約束を果たそうとしている。彼にも正義があるのだ。好きで千保の命を奪おうとしているわけではない。島を守るという父親との約束を守るために戦っている。


「……」


 果たして、自分に彼を止める資格があるのか。悩んだ律樹はその場から動けなかった。




「うっ!」


 千保が頬を殴られた。大切な妹が傷付けられている。すぐに助けに入らなければいけない。それなのに、自分の正義の拳が動かない。先の見えない暗闇から伸びる鎖で繋がれたように。


「私が島を守るんだ……お前達の好きにはさせない!」


 相反する別の正義の前に、完全に硬直してしまった律樹。このままでは千保が危ない。しかし、この期に及んで芳堂の正義を否定することもできない。自分の脳が、彼の主張も尤もであると錯覚してしまっている。


“俺は……俺は……”


 律樹の頬に冷や汗がつたう。






「千保に触るなぁ!」


 ガシッ

 そんな中でも、自分の正義を疑うことなく、果敢に立ち向かう者がいた。誰あろう、清史だ。


「キヨ君……」

「俺は決めたんだ……千保を守るって! 俺があいつの涙をぬぐってやるんだ! どんな犠牲を生もうが関係ない! 俺は千保を助けたい。それだけだ!」


 島が沈むことを告示されても、千保の命を救うという純粋な約束のみに心を預け、果敢に芳堂の懐に攻め込む。


「くっ、小生意気なガキが!」


 芳堂は何度も清史を一掃した。芳堂にとって、同級生の喧嘩しか経験していない相手など、虫けら同然の弱者だ。しかし、清史は諦めなかった。地に伏せられる度に立ち上がった。


「清史君、よく言った!」

「私達だって千保を守るんだから!」


 清史の熱意に感化され、光や詩音も再び攻撃に加わった。それぞれ右腕と左腕を拘束した。


「この! どけっ! どk……んぐっ!?」


 光は懐に忍ばせていたスイカアイスを、芳堂の口に突っ込んだ。加藤家の冷凍庫に大量に保管していたものだ。


「どけぇ!!!」


 自分に群がった相手を、芳堂は腹を殴って吹っ飛ばした。彼も自身の正義に灯をともし、清史達の正義を全力で妨害した。




 その隙を見て、律樹が再び攻撃を加える。


「ぐはっ! お、お前……」

「ハァ……ハァ……危ねぇ……またバカ兄貴になっちまうところだったよ……」


 律樹は芳堂に覆い被さった。首もとに腕を回して締め付け、その上から倒れ込むように押さえ付けた。


「清史、行け! こいつは俺が押さえておく! 今のうちに後島へ行け!」

「律樹さん……」


 律樹に倣い、光と詩音も芳堂の腕と脚を押さえる。


「行って! 清史君!」

「千保を助けて!」


 清史は千保の手を引き、アタッシュケースを持って走り出す。


「行くぞ、千保」

「うん!」


 二人は橋を渡って後島へ向かった。









「ここが後島……」


 後島に降り立った二人。島は深い霧が辺り一面に立ち込めていた。島中にゴツゴツとした茶色の岩が無数に生えていて、まるで地獄の様子を現世で再現したようだった。一本歩みを進めるのにも戸惑うほど、重苦しい空気が清史と千保を襲った。


 そして、小さな祠が島の入り口の正面にわかりやすく設置されていた。


「これか!」


 祠の観音開きの扉を開けると、中には黒い水晶玉が奉納されていた。キオス島後島の宝玉だ。予想以上に早く見つかり、呆気なさに安心した。


「えっと……よし、本物だな」


 文書に描かれた絵と見比べ、本物であることを確認した。キオス島前島、ミズシロ島、ガンセツ島、スザク島、キノエ島、キオス島後島……6つ全ての宝玉が、清史の手元に渡った。


 後はシマガミに集めた全ての宝玉を差し出せば、千保は生け贄の契りから解放されるはずだ。




『流石だな』


「うおっ!?」


 突然の声に驚き、清史は背後を振り返った。何の前触れもなくシマガミが現れた。だが好都合だ。待っていたかのようにタイミング良く現れてくれたことに、清史は感謝した。


「ほら、今度こそ全部集めてやったぜ」

『ならば、私の前に差し出すがいい』


 清史は地面に後島の宝玉を置き、残りの宝玉を見せようとアタッシュケースに手をかける。




「ダメだ!!!」


 そこへ、なんと芳堂が飛び込んできた。清史は驚愕して手を止める。律樹達の拘束から脱出してやって来たのだ。目を背けたくなるほどに、全身傷だらけになっている。


「宝玉を渡してはいけない……そうしたら……」


 芳堂は最後まで清史に訴えかけた。島が沈むのを阻止するために、何度も事実の銃口を突きつける。しかし、清史は既にキオス島を犠牲にして、千保を救う覚悟を固めてしまっていた。


「俺は千保を守る。そのためなら、島の一つくらい犠牲にしてやるさ」

「そうじゃない!!!」


 芳堂は掠れた声で全力で叫んだ。






「沈むのは……キオス島だけじゃない……ライフ諸島の島……全てが海に沈んでしまうんだ……」




「……え?」


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