最終章「本当の旅」
第49話(終)「本当の旅」
ピピピピピ……
やかましい目覚まし時計の音が、夢から現実へと意識を引っ張り戻す。俺はアラームを止め、ベッドから起き上がり、顔を洗い、私服に着替えて一階へ下りる。
「おはよう、清史」
「昨日はよく眠れたか?」
「あぁ」
眠気を引きずる俺を迎える優しげな声。朝食が用意された食卓に腰かけ、俺は二人に笑いかける。
「おはよう。父さん、母さん」
あの後、俺は気を失った千保を救出して船に戻り、無事に港にたどり着いた。しかし、そこで最初に待っていたのは警察だった。
俺の父さんと母さんは家出から一週間後に、俺の行方不明者届を提出していたらしい。俺の家出からしばらく考え込み、自分達が俺の心に圧を与えていたことに気付いたそうだ。
警察の懸命な捜索の結果、開始から一ヶ月後に、俺がキオス島へ向かうのに利用した船着き場での目撃情報を得た。
そして、偶然港付近を捜索していた時に、島の沈没から避難してきた島民が乗る救助船がやって来たという。
「……」
俺は外出の準備をしながら、警察に保護された当時の心境を思い返す。当然今までどのように過ごしてきたかを尋ねられた。
しかし、律樹さん達を巻き込まないためにも、単独生活をしていたとの一点張りを貫いた。加藤家で過ごしていたことを明かせば、律樹さん達は未成年者誘拐罪に問われてしまう。
“あれでいいんだよな……”
律樹さん達にこっそりと事情を説明し、「今までありがとう」とだけ伝えてパトカーに乗ってその場を去った。本当は一言では伝えきれないほどの感謝の気持ちを抱えていたが、状況が状況であるために仕方ない。
しかし、一番の心残りを置き去りにしたまま離れてしまったことに後悔した。
“千保……”
俺が離れようとした時、千保はまだ気を失ったままだった。それでも俺は千保の解放感を浮かべる笑顔を見届け、「ありがとう」ともう一度付け加えて去った。
本当は千保ともっと一緒にいたかった。目が覚めた彼女を抱き締め、生きている喜びを分かち合いたかった。彼女も俺に伝えたいことがたくさんあっただろう。
それに、恋心をしっかりと言葉で伝えることもしていない。千保を救出した水中でのあの時間……あれだけで十分だっただろうか。
「清史~、そろそろ出ないと遅刻するわよ~」
「あぁ、わかってんよ」
過去に手を伸ばすのをやめ、現在に意識を戻す。そうだ、今更考えても仕方のないことじゃないか。俺は定期券と財布、学生証をリュックに詰め、背負って部屋を出る。
「忘れ物はない?」
「あぁ」
「今度はちゃんと家に帰ってくるのよ?」
「わかってるって(笑)」
母さんと玄関先で冗談混じりの会話をする。久しぶりに自分の家に戻り、家族と対面した時はヒヤヒヤしたものだ。二人共悲壮な顔で、帰ってきた俺を見つめてきた。
きっと今までにないくらいこっぴどく叱られる。そう思って歯を食い縛った。
しかし、父さんも母さんも、俺を優しく抱き締めてくれた。そして、涙を浮かべて「酷いことを言ってごめんなさい」と言った。
つられて俺も泣きじゃくってしまい、何度も何度も「ごめんなさい」と叫んだ。家を出た時のお互いの反発的な態度とは対照に、再会の瞬間は後悔の涙にまみれて迎えた。
「ほら清史、時間だぞ」
「あ、やべっ」
父さんがやって来て指摘する。いつまでも団らんに浸っているわけにもいかない。俺はそそくさと門を出た。
「清史!」
ふと、母さんが俺の足を止める。振り返り、母さんの笑顔を目の当たりにする。
「学校、頑張ってね。美味しいカレー作って待ってるから」
まだまだ出来損ないかもしれないが、それでも家出を通して一回り成長できた。多大な迷惑をかけたにも関わらず、それでも温かく迎え入れてくれた両親に、心から感謝した。
「ありがとう! 行ってきます!」
「あぁ、行ってらっしゃい」
「気を付けて」
俺は手を振って家を出た。
「~♪」
俺は電車の中、イヤフォンで音楽を聴く。流れているのはドリームプロダクションの「ナミダナグサメ」だ。大学生になったばかりの当時、かつて解散したドリームプロダクションが復活したというニュースが話題となった。
ネットのニュースに添付されていた画像の中で、数人の若々しい新メンバーがステージに立って輝いていた。その中心でボーカルとしてメンバーを引っ張っていたのは、結月さんと季俊さんの息子と思われる男の子だ。両親の跡を継いだらしい。
それより驚くべきなのは、彼のバックに律樹さんと光さんの姿があったことだった。二人はバンド活動を再開したのだ。
再びドリームプロダクションの伝説が始まった。俺は毎朝通学の楽しみとして、彼らの伝説に耳を傾けているというわけだ。
“俺も……”
二人の栄光を眺めていると、自分も何か変わらなければいけないという気持ちが芽生える。今は何とか元の自分の生活に戻り、将来の夢を手探りで探しているところだ。まだ具体的な像が見えたわけではないが。
“俺も折り合いをつけるべきなのか……”
「放課後カラオケ行こうぜ」
「行く行く! 明日午前空きコマだし、オールしよっか?」
「いいねぇ♪ じゃっ、夜はお楽しみだな……」
「んもう……///」
大学の廊下で、イチャつく男女の学生を見かけた。リア充爆発しろと、咄嗟に心の中で叫んでしまった。仕方ねぇだろ、ムカつくんだから。
しかし、愛を育む男女が目に映ると、どうしてもあいつのことを思い浮かべてしまう。誰あろう、千保のことだ。
「千保……」
無意識に彼女の名前を呼んでしまう。当然ながら、彼女の元を去ったあの日から一度も会っていない。既に月日は3年ほど経ち、自分は大学生へと成長している。
今頃どうしているだろうか。どこで何をしているのだろうか。
超絶美人の千保のことだから、誰か別の男と結ばれて、仲良く交際しているかもしれない。自分なんかよりも人間が出来ていて、顔立ちもよくて、博識で、立派な人と。そんな最悪な可能性が、何度も頭を過る。
「長谷川、聞いてるのか?」
「あ、すんません」
教授に注意された。講義中も彼女のことで頭がいっぱいになってしまう。意識を黒板に戻す。
“ダメだダメだ!”
帰路に着きながら、何度も自分に言い聞かせる。いい加減考えるのをやめなければいけない。願ったところで、千保に会えるわけでもないのだから。
彼女への恋心はしっかりと残っている。忘れてはいない。それだけで十分じゃないか。
『まもなく二番ホームに電車が通過します。ご注意ください』
駅構内にアナウンスが鳴り響く。朝目覚め、家を出て、電車に乗り、学校で授業を受ける。再び電車に乗って家に帰り、飯を食って風呂に入り、温かい布団で寝る。
自分が過ごすありふれた日常だ。彼女への恋心があるだけで、彩りが付け足されていく。
それでも、何か物足りない。親と和解し、満たされた生活を取り戻しているというのに、更に求めてしまう。
“千保……”
彼女がそばにいない世界は、まるで毎日忘れ物をしたまま通い続ける学校生活のようだった。どうしても彼女の姿を求めてしまう。彼女の笑顔が視界に映ってほしいと願ってしまう。
考えても仕方のないことを抱え、俺は今を生きている。
“千保に……会いたいな……”
ガガガガガッ
「うぉっ!?」
突然目の前を電車が猛スピードで通り過ぎた。それに驚き、バランスを崩して思わず倒れそうになる。
パシッ
すると、近くにいた女性が慌てて駆け寄り、俺の腕を掴む。咄嗟に支えられ、地面に背中を打ち付けずに済んだ。
「大丈夫?」
「あ、ありがとうございます」
電車の通過のアナウンスを聞き流していたため、通過の勢いに圧倒されてしまった。今度はしっかり黄色い線の内側で、離れて並ばなくては。
「危なかったね」
「すみません……」
「ちゃんと電車見てないとダメだよ」
「ほんと、すみません……」
すぐに支えてくれた女性に頭を下げた。もう少し前に立っていたら、事故になっていたかもしれない。俺は何度も謝罪した。
「全く……君は私がいないとすぐに死んじゃうね」
「……え?」
俺は頭を上げると、彼女の顔に言葉を失った。
「千……保……?」
「そうです。千保ちゃんです」
凛とした瞳に透き通った声、桃色の長髪に細身のしなやかな体格。目の前に立つ女性は、紛れもなく千保だった。
「キヨ君に会いに来ちゃった」
彼女は小馬鹿にするように、俺に微笑みかける。彼女はメガネをかけている。俺が島にいた時にかけていた伊達メガネだ。
「……」
「嬉しくて言葉が出ないかぁ。私もだよ。この町に来て、ずっとキヨ君を探してたんだ」
彼女は俺が去ったのを知った後、この河野町に来て探し続けたという。そして3年の歳月を費やし、ようやく再会を叶えた。
「ようやく会えたね……」
ガシッ
「えっ……///」
俺は思わず千保を抱き締めてしまった。周りの人の目も憚らず、ただひたすら彼女と再び出会えた嬉しさに感動した。
「千保……会えてよかった……ずっと……ずっと会いたかった……」
俺の瞳からは、涙が滝のように溢れ出ていた。ずっと満たされた日常の中でも、彼女の面影を求め続けていた。俺の人生は、千保がいないと成り立たないんだ。
「うん、私も。キヨ君に会いたかった……」
つられて千保の頬にも涙がつたった。再会の喜びは伝染し、二人だけの輝かしい世界が広がる。
「千保、ずっと言えなかったことがあるんだ」
「うん。なぁに?」
既に千保は知っている。わざとらしい尋ね方で、俺もそのことに気付く。既に俺達は心を通わせているため、互いの気持ちを理解している。
しかし、満たされない人生を満たすため、取りに行けなかった忘れ物を取りに行くため、この恋心はどうしても言葉にして伝えなければいけない。
「千保」
「うん」
俺は千保の肩に手を乗せる。
“さぁ、言うんだ! 俺!”
「千保、あの時……俺を助けてくれてありがとう。生きるってこんなに素敵なんだってことを、教えてくれてありがとう。この先も、ずっと千保と一緒に生きていきたい。俺と生きてほしい」
「私も……他の誰よりも、キヨ君と一緒がいい。これからも、ずっとずっとずーっと、キヨ君と一緒に生きていきたい」
俺は言葉を絞り出した。
「俺は千保のことが大好きだ。俺と付き合ってくれ」
千保は背を伸ばし、俺の唇に自分の唇を重ねた。
「はい……喜んで……」
再び涙が止まらなくなる。壊れた蛇口のように、激しく落ちる雫が顔を湿らせる。
「千保!」
「キヨ君!」
そして、また抱き締め合う。ヒビが入らないように優しく、壊れてしまわないように強く、何度も何度も愛を確かめ合う。
私は心臓の鼓動を確かめ合う。ドクドクと激しく動いている。生きていることを喜んでいるみたいだ。私自身も嬉しくて涙が止まらなくなる。こんなにいとおしいと思える人と一緒に生きていけるなんて、夢みたいだ。
「ありがとう……本当にありがとう……」
「それはこっちの台詞だよ……うぅぅ……本当に……ありがとう……」
俺は自殺の危機から、千保は生け贄の契りから。お互いがお互いの命を救い、結ばれた。俺達は今、生きてるんだ。生きてるってこんなに嬉しいことなんだな。千保と出会って、初めて知った。
これほど自分のことを身を呈して守ってくれる優しい人は、この世界のどこにもいない。そう確信した私達は、何度も「ありがとう」と感謝を述べて抱き合う。キヨ君のおかげで、自分は生きているんだと実感できる。
「私達、なっちゃったね……世界一の幸せ者に……なっちゃったね……」
千保が泣きじゃくりながら呟く。彼女の言葉で悟った。これが幸せという感情の正体。自分の命と同等に大切なものを見つけ、それと共に人生を歩むことができる。嬉しい、楽しい、あぁ……幸せだ。
そんないとおしい時間に、幸せというものを感じることができる。今まで手を伸ばしても知ることができなかった答えに、ようやくたどり着いた。きっと相手がキヨ君じゃなければ、知ることはなかったと思う。
「俺も……幸せだ……千保と出会えて……超幸せ者だ……」
「これでようやく終わりだね、私達の旅は」
千保は俺の胸に顔をうずめる。
「……いや、違うな」
「え?」
意外と頭のいい彼女でも、たまには間違えることがあるらしい。清史は千保に言う。
「本当の旅は、ここからだ」
キヨ君の微笑みで、私は自分の間違いに気付いた。
「……フフッ、そうだね」
そうだ、旅はまだ終わっていない。千保は俺の命を、俺は千保の命をこの世に繋ぎ止めた。人生はまだまだ続く。旅はまだ始まったばかりなのだ。
キヨ君のおかげで、私は未来を掴み取ることができた。でも、旅はここで終わりじゃない。これから始まるんだ。人生という名の旅が。
「これから一緒に生きて、もっともっと幸せになってやろうぜ」
「うん! 今度は世界一を超えて、宇宙一の幸せ者になる!」
いつの間にか太陽の色はオレンジ色に変わり、夕暮れ時になったことを告げる。ホームが影に包まれていく中、俺達だけが別次元の世界に取り残されていく。
周りの目が気にならなくなるくらい、私達は幸せを感じている。愛が消えない限り、私達の幸せは途切れない。
「千保」
「キヨ君」
俺達は互いに名前を呼ぶ。心に不安が残らないように、何度も彼女に呼び掛ける。気持ちを伝え、愛を確かなものにする。
愛の大きさを確かめるように、私達は互いに見つめ合う。そして言葉を紡ぐ。思いはどうしても言葉にしておきたくなる。
「俺達はずっと一緒だ」
「うん。もう絶対に離ればなれにしないからね」
自殺という命を絶つ行為から始まった、俺達の命を繋ぎ止める旅。もちろん人生は幸せなことばかりではない。これから絶望的状況に叩き落とされる時もあるだろう。
でも、たとえどんなに遥か高くまでそびえ立つ壁も、力を合わせて乗り越えてゆける。私達はそう確信した。
「千保、大好きだ……」
「私もだよ。キヨ君……」
いつまでも抱き合い、互いの心臓の鼓動を確かめ合う俺達。これから千保と歩む人生がどんなものになるのか、どんな幸せが待っているのか、楽しみで仕方なかった。
まだ知らないことがたくさんある。それをキヨ君と一緒に迎えたい。きっと私達は、これからも共に生き続ける。この美しい世界のどこかにある、まだ見ぬ幸せを求めて。
KMT『幸せの旅路』 完
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